【映画コラム】真実とうその境界線はどこにある?『ローマに消えた男』
2015年11月14日

(C) BibiFilm (C) RaiCinema

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 ローマから消えた男と現れた男の運命を描いてヨーロッパ各国で大ヒットを記録した『ローマに消えた男』が公開された。

 統一選挙が近づくイタリアで、支持率の低迷に悩む最大野党の書記長エンリコ(トニ・セルヴィッロ)が突然失踪。慌てた側近のアンドレア(ヴァレリオ・マスタンドレア)は、エンリコの双子の兄ジョヴァンニ(セルヴィッロ二役)を替え玉に起用する。

 ところがジョヴァンニは、機知とユーモアに富んだ話術や不思議な存在感で、アンドレアやエンリコの妻の心に変化をもたらし、やがてライバルやメディア、そして大衆をも魅了していく。

 替え玉であるジョヴァンニの感動的なスピーチにたやすくだまされてしまうメディアや聴衆を見ていると、怖さとおかしさを同時に感じるが、裏を返せば、そこには現実の政治への不信や理想の政治家の登場を待望する大衆の夢が込められているとも言えるだろう。

 ところで、本作のセルヴィッロのように、俳優が一人二役を演じる映画は少なくないが、ポリティカルフィクション(政治ドラマ)に限れば、喜劇王チャールズ・チャプリンが理髪師と独裁者を演じた『独裁者』(40)、ケビン・クラインが職業斡旋所の経営者と大統領を演じた『デーヴ』(93)が双璧。どちらも外見は似ているが身分も性格も全く違うというところがミソだ。

 本作も偏狭なエンリコとおおらかなジョヴァンニという対照的な性格の持ち主として描いているが、実はジョヴァンニは精神科から退院したばかりという設定が目を引く。その点では、知的障害のある庭師が、自らの意思とは関係なく次期大統領候補に祭り上げられる『チャンス』(79)をほうふつとさせるところもある。

 本作のような、皮肉や寓意を込めた良くできたホラ話を見ると、正気と狂気、真実とうその境界線は一体どこにあるのか、ということをあらためて考えさせられる。(田中雄二)

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