1940(昭和15)年のオリンピック開催地の座をローマと争う東京。だが、劣勢に追い込まれた東京は、嘉納治五郎(役所広司)発案による「ローマに譲ってもらう」という起死回生の策を実行するため、イタリアの首相ムッソリーニとの直談判に臨んだ。ここで一度は話がまとまったものの、IOC総会で思わぬ反撃を受け…。このとき、イタリア大使としてムッソリーニとの交渉の成立に尽力したのが、嘉納の弟子でもある外交官の杉村陽太郎だ。演じる加藤雅也が、撮影の舞台裏について語ってくれた。
-1940年の東京オリンピック招致のため、イタリアの首相ムッソリーニと交渉するなど尽力した杉村ですが、苦戦しましたね。
外交官である杉村は、日本の国益のため、オリンピック招致に尽力しました。政治の世界では、国家元首である首相や大統領が一言「OK」と言えば、全てがクリアされたことになる。それが、ムッソリーニと交渉した際に感じた手応えだったと思います。ただ、その通りにはいかなかった。田畑(政治/阿部サダヲ)のような「平和の祭典」という視点が欠けていたんでしょう。自分が得意としてきた政治的外交とは違う、という事実を突き付けられたのではないでしょうか。
-さらに、開催地決定の掛かったIOC総会では、療養中の嘉納治五郎の欠席が痛手となりました。杉村にとって、師である嘉納とはどんな存在だったのでしょうか。
嘉納先生は柔道家として超一流なだけでなく、人間的にも周囲から慕われています。杉村はそういう嘉納先生の姿から、外交にも力だけでなく人柄が必要だと気付く。それと同時に、そこが嘉納先生と自分の差だということも理解したに違いありません。
-それは、具体的にどんなことでしょうか。
実は今回、講道館まで行って柔道の稽古をつけていただきました。その際、改めて「押して駄目なら引く」ということを、身をもって学びました。組んだとき、力でねじ伏せるのが無理なら引くのも手である、というのは柔道家ならではの発想だな…と。柔道の「柔」は「やわら」とも読みますが、嘉納先生の発想も常に柔らかくて柔道的。そこは、杉村も柔道家として一番ふに落ちた部分ではないでしょうか。つまり、嘉納先生は柔軟な分、セオリーと違うことができる。でも、杉村はセオリー通りにしかできない。やっぱり、嘉納先生の方が一枚上手ですよね。
-改めて、杉村陽太郎という人をどんなふうに捉えていますか。
今回、出演が決まって初めてその名を知ったのですが、杉村さんは大正から戦前の昭和にかけて外交官として活躍した人。当時、海外の要人と対等に渡り合える交渉能力を持ち、立ち振る舞いにおいてもインターナショナルなものを完璧に身につけていたわけですから、相当の人物だろうなと。杉村さんに関する資料はあまり残っていませんが、残っているものについては、参考として読ませていただきました。IOC委員に選ばれるだけあって、やはり文武両道に秀でた方だったようです。
-演じる上で心掛けたことは?
この作品で描かれている杉村は、一流の社交家です。その上、ムッソリーニとも対等に渡り合うほどですから、ある意味、自信家とも言える。演じる際は、英語について「外交官的に話すように」と言われましたが、難しかったです。もちろん、指導は受けましたが、それがどのぐらいできているのかは分かりません(笑)。ただ、外交官として英語だけでなくフランス語やイタリア語など、数カ国語を使いこなす役柄なので、細かいアクセントよりも、説得力のある話し方や振る舞い方をするように心掛けました。
-田畑政治との関係は、初対面でいきなり投げ飛ばす(第32回)など、良好とはいえない雰囲気ですね。
講道館で柔道を学んだ杉村にとって、嘉納先生に“タメ口”をきく田畑の姿は「日本男児として、礼を失したあるまじき行為」と映ったに違いありません。正直なところ、体育会系の感覚としては「なんだこいつ!?」といったあたりが本音だったのではないでしょうか。
-杉村と田畑の関係はどうなるのでしょうか。
オリンピックはスポーツの祭典であり平和の祭典であるということを、杉村は田畑から学んでいきます。政治的外交の点では自分が一流でも、オリンピックについては田畑の発言に一理ある。それを徐々に理解していくに違いありません。
-加藤さんから見た宮藤官九郎さんの脚本の魅力とは?
宮藤さんの脚本は、マニアックな部分があってとても面白いのですが、演じるのはなかなか難しい。ただ「やる」だけでは、その面白さが伝わらないんです。阿部さんも役所広司さんも、そのあたりを分かっているので、ちょっとした表現で膨らませていく。素晴らしいと思いました。
-加藤さんが感じる「いだてん」の魅力とは?
僕たちのオリンピックパートももちろん魅力的ですが、個人的には(古今亭)志ん生(ビートたけし)と五りん(神木隆之介)が登場する落語パートが大好きです。“べらんめえ口調”で野次を飛ばしたりするところなんて、大河ドラマでここまでやっていいのかという痛快さ(笑)。ぶっ飛んでいて、非常に楽しいです。
(取材・文/井上健一)