1969年のハリウッドを舞台にした『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(8月30日公開)のクエンティン・タランティーノ監督と主演のレオナルド・ディカプリオが来日し、記者会見を行った。
-実際にあったシャロン・テート事件に、架空の人物を絡めるアイデアはどこから生まれたのでしょうか。
とても面白いと思ったのは、今回描いた時代のハリウッドには、カウンターカルチャーに変化が見られたことです。それは、街全体も映画業界の人々にとってもそうでした。なので、シャロン・テートの事件に至るまでを時間軸にすることで、歴史的な部分も掘り下げられると思いました。また、10代の頃、実在の有名人と架空のキャラクターを組み合わせたE.L.ドクトロウの『ラグタイム』を読みました。それを思い出して、今回この方法を用いたら面白いのではないかと思いました。
-ディカプリオとブラッド・ピットを相棒役に起用した理由は?
まず、この2人がキャラクターにぴったりだと思ったからです。「なぜ2人を選んだのか?」とよく聞かれますが、そうではなくて彼らが僕を選んでくれたのです。たくさんの企画をオファーされる2人が、その中からこの映画を選んでくれたのはとてもラッキーなことだと思います。個人的には、この2人をキャスティングできたことは“世紀のクーデター”だと思っています。今回はスターと、そのスタントマンのバディ物ですから、必要だったのは、2人の内面は違っても、外見の部分で何か近しいものを感じさせなければならないということでした。それをレオとブラッドは見事に表現してくれました。
-今回、リックのキャラクターを創造する上で、インスピレーションを受けた映画やドラマのキャラクターはありますか。
当時はリックと同じような立場に置かれた俳優がたくさんいました。1950年代にテレビが登場して、それまでの映画や舞台、ラジオのスターとは違う、新たなスターがたくさん生まれました。けれどもやがて過渡期を迎えました。その中には、スティーブ・マックィーン、クリント・イーストウッド、ジェームズ・ガーナーのようにテレビから映画に転身して成功した人もいますが、例えば「ルート66」のジョージ・マハリス、「サンセット77」のエド・バーンズ、「ブロンコ」のタイ・ハーデン、「ベン・ケーシー」のビンセント・エドワーズのように、うまく映画に移行できなかった人たちもたくさんいます。今回はその中の誰か一人を参考にしたというわけではなく、いろいろな要素を組み合わせてリックのキャラクターを作っていきました。
-この映画には“ある奇跡”が描かれていますが、自分の身の回りで起きた奇跡はありますか。
映画業界の中でキャリアを持てていること自体が奇跡です。96年にはビデオショップで働いていた自分が、9本も映画を作ることができ、こうして日本に来ても皆さんが僕のことを知っているなんて、本当に奇跡だと思います。たくさんの素晴らしい機会を与えられ、仕事だから映画を作っているのではなく、アーティストとして映画を作ることができる。この幸運を決して忘れないようにしたいと思っています。
-69年のハリウッドを再現する中で、最も楽しかったことは?
素晴らしい俳優たちにも恵まれて楽しいことが満載の撮影でした。この時代、このキャラクターたちに息吹を吹き込むことは本当に楽しかったです。最も満足したのは、今のロサンゼルスで、美術や衣装、さまざまなトリックを駆使して、CGを一切使わず、スタジオでも撮影せず、大掛かりなセットも組まずに、40年という時をさかのぼって再現できたことです。今回、69年について調べているときに、日本で蔵原惟繕監督の『栄光への5000キロ』という映画が作られていたことを知りました。どなたかDVDを持っていませんか。
-あなたにとってハリウッドという場所はどんな意味を持っているのでしょうか。
二つの意味を持っています。一つは映画業界、もう一つはハリウッドという街です。そしてこの映画はその両方を描いています。市民が住む街であり、同時に映画業界として、大きな成功、中ぐらいの成功、中ぐらいの失敗、大きな失敗、その全てが隣り合わせにあります。いろいろなポジションがどんどん変わっていくところが興味深いです。そこで長い間仕事をしていると、ずっと同じ高校に通っているような感覚になります。
(取材・文・写真/田中雄二)