【映画コラム】映画化を勇気と見るか、無謀と見るかが分かれ道『関ヶ原』

2017年8月26日 / 15:52

(C)2017 「関ヶ原」製作委員会

 石田三成と徳川家康を主人公に、豊臣秀吉の死から天下分け目の関ヶ原の戦いに至るまでを描く『関ヶ原』が公開された。

 まず、上中下巻にわたる司馬遼太郎の原作を、いかにして2時間半にまとめたのだろうと思った。この原作は、かつて3夜連続の超大作テレビドラマとして制作され、好評を博したように、興味深い人物像やエピソードの宝庫であり、長く細かく描こうと思えば幾らでも可能。最近はやりの2部作としても十分に成立する素材なのだ。

 だが、原作通りに映画化することなどはもとより不可能な話。そこで、作り手たちの、映画にするための省略や取捨選択をすることの勇気や我慢が試され、センスの良し悪しも問われることになる。これはなかなか難しい。だからこそ、これまで何度か映画化が企画されながら、実現しなかったのだろう。

 今回、原田眞人監督は、三成(岡田准一)と家康(役所広司)の対立よりも、三成と家老の島左近(平岳大)、あるいは忍びの初芽(有村架純)との関係に重点を置いて物語を再構築したが、司馬原作の特色の一つである“余談”の魅力がそがれ、ダイジェスト版のように見えてしまったのは否めない。

 また、合戦シーンはなかなか見応えがあるが、テンポ良く処理するために、早口でせりふが聞き取りにくい、人物の配置が分かりづらいなどの不満が残った。この点、もう少し字幕やナレーションを使って補足すべきではなかったかと感じた。

 このように、本作への評価は、図らずも三成の行動同様、映画化を勇気と見るか、無謀と見るかで大きく分かれるのではないだろうか。(田中雄二)


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