戦国武将・武田信玄の父・信虎は、息子の信玄によって甲斐から追放される。30年後、信玄が危篤に陥ったことを知った信虎は、武田家での復権をもくろみ、甲斐に帰国しようと試みるが…。信虎の晩年と武田家の滅亡を描いた『信虎』が11月12日から全国公開される。信虎を演じるのは、36年ぶりの映画主演となった寺田農。大ベテランの寺田に、映画や時代劇についての思いや、演技について聞いた。
-信虎のことはご存じでしたか。
僕は本を読むのが好きで、特に、池波正太郎さんや司馬遼太郎さんなどの、戦国の歴史物は好んで読んでいたので、戦国時代の輪郭みたいなものは分かっていましたが、信虎という人がどういう人なのかとなると、息子の信玄に追放されたことぐらいしか知りませんでした。それで、今回台本を読んでみて、「なるほどこういう人だったのか」と。それから(武田家考証の)平山(優)先生の本を読んだりして勉強しました。すると、とても面白い人物で、よく言われているように、「悪逆非道で、信玄に追放されたら領民が喜んだ」という人ではなかったのではないかと思いました。かなりの戦略家で、武将としても政治家としても優れていると感じました。ただ、残念ながら80歳という年齢もあって、誰にも望まれていないのに、望まれていると早とちりをする。そういう老人特有の悲哀があると思いました。
-では、信虎の心情は理解しやすかったですか。
とてもよく分かりました。自分ともよく似ていると思ったし、うまいキャスティングだと思いました。最初に(監督の)金子(修介)さんと(共同監督の)宮下(玄覇)さんと話したときに、「何で俺なの? 他の役者に断られたから?」と聞きました(笑)。すると、「寺田さんには、その年になっても、何をするか分からないような危険性がある。スリリングなところがある。色気もあるから」と言われました。これは誉め言葉で、僕は若い頃から「生涯、不良でいこう」がモットーだったので、それならこの信虎は自分に合っていると思いました。
-劇中に、信虎の肖像画も出てきましたが、今回、ビジュアル面や動きなどは、どのように意識して演じたのでしょうか。
実在の人物を演じるといっても、物まねをするわけではないので、本人に似ているとかはあまり意識しません。甲府駅の南口には昔から信玄像があるけど、最近北口に信虎像ができた。それをこの間拝見したら、肖像画の通りだったけど、平山先生は「寺田さんとそっくりだ」と言っていました。自分では「そうかなあ」という感じでしたが…。
ただ、大事なのはシチュエーションなんです。僕は長いこと役者をやってきて、時代劇にもたくさん出たけど、撮影で借りられる寺などはごくわずかです。今回は宮下さんのつてで、今までカメラが入ったことがないような寺や、ちゃんとその時代に合った場所で撮影をすることができました。よろい、刀や絵、茶器なども、本物に近いものを使うところに宮下さんのこだわりがあったわけです。そういうシチュエーションを与えられると、実際のその人物に似ているとかではなく、役者はただそこにすっと溶け込んでいけばいいんです。その雰囲気を味わっているうちに、自然になじんでいきます。特に主役は、何もすることはありません。そこにすっと入っていくだけで、あとは周りが全部やってくれますから。そういう意味では、今回はとても楽しくやらせてもらいました。
-78歳での主演作。欧米ではベテランの俳優が主演する映画も珍しくはないですが、日本ではまれですね。
映画に限らず、テレビもそうですが、観客の対象がとても若くなりました。だからアニメーションが主流になる。でも、大人がきちっとした映画を見ようと思えば、大人の役者が出て、共有できるものがないといけない。僕ぐらいの年になって主役を頂けるのは大変ありがたいことだけど、そういう意味でも、大人の観客にきちっとしたものを届けたいと思いました。やっぱり大人の役者が演じて、観客も大人で、そういう映画がもっとあってもいいと思います。
また、今の若い人は時代劇になじみがない。忠臣蔵を知らない人も多いと聞きます。そういう時代になっている。けれども、そうした若い人たちにも、難しい背景や相関関係などは抜きにして、「何か時代劇って面白そうだな」というのが伝わればいいと。この映画が、若い人が時代劇に興味を持つきっかけになればいいと思います。
-寺田さんの長いキャリアの中で、この映画はどういう位置づけになりますか。
僕も若いときからいろいろやっていますが、位置づけを意識したことはありません。役者は、芸者さんと一緒で、お座敷がかからなければ、お茶を引いているだけです。いくら「これがやりたい、あれがやりたい」と言っても、声が掛からなければしょうがないわけです。だから今回も、たまたまオファーがきて、こういうことをやらせていただいたという感じです。まあ、簡単に言うと、耳も遠くなったし、目も歯も…なんてなるけれど、長生きはしてみるもんだな、たまにはいいこともあるんだな、という感じです(笑)。信虎も亡くなったのは81。それまであと2、3年はあるから、まだ大丈夫かなと。
-金子修介監督が時代劇を撮るのは珍しいと思いますが、演出はいかがでしたか。
金子さんには、黒澤明監督の『影武者』(80)のスピンオフみたいなところで撮りたいという思いがあったようです。そういう意味では楽しみながら撮っていたような気がします。やっぱり、役者もそうだけど、監督も新しいことをやって、そこからまた次のことをやるというように広がっていくと、より楽しいんじゃないですかね。
-この映画は、大人の観客はもちろん、特に若い人に見てもらいたいということでしょうか。
若い人は、時代劇に慣れていないから、せりふにスーパーを入れたりしないと言葉が通じないと思います。親友だった落語家の古今亭志ん朝が「もう廓の話はできない。私の代で終わり」と言っていました。それは観客も廓を知らないし、いちいち言葉に注釈を入れなければならないからです。でも、落語もそうだけど、時代劇は大変な文化遺産でもあるわけだから、若い人が知らないのはもったいないと思います。映画もドラマも、やっぱり若い人が見なければいけません。そこからまた新たな世代が出てきて新しい映画を作ったりするわけですから。
「映画は、フィルムがあって、スクリーンがあって、真ん中に観客がいなければ映画とは言えない」という言葉があります。観客がスクリーンと対話をし、共感し、共有する時間が映画を見るということ。その意味でも、この映画が若い人たちにとって、時代劇に触れるきっかけになって、「何だかよく分からなかったけど面白かったね」となって、次につながればいいと思います。
(取材・文・写真/田中雄二)