7月2日から全国公開となる『アジアの天使』は、韓国の首都ソウルから地方に向かう列車の中で出会った日本と韓国の、言葉の通じない二組のきょうだいが、旅を通じて心を通わせていくさまを描いたロードムービー。これまで何度もコンビを組んできた出演者の池松壮亮と石井裕也監督(脚本も兼任)は、今回初めてオール韓国ロケでの撮影に挑戦した。異国の地で新境地に挑んだ手応え、作品に込めた思いを聞いた。
-この映画は、韓国と日本の二組のきょうだいが、コミュニケーションの難しさを乗り越えていく物語ですが、実際に、韓国ロケで体験したことと重なる部分もあったのでしょうか。
池松 そうですね。あったと思います。同じ国の人同士でも分断は起こるわけですし、それが国も言葉も文化も違うとなると、人と人とが向き合うことは簡単ではありません。さらに、今世界中で利己主義、ナショナリズムの風潮が強まっていて、日本と韓国においても、この映画の企画から準備の最中、撮影に至るまでの数年間は、戦後最悪の関係とも言われていました。そして、この脚本は、集団芸のような要素が強くありました。おのおのが頑張ってもいい作品を目指せるものではなく、それぞれが補い合うことの方が重要だと感じました。石井さんが脚本にまいたその種をどうみんなでカバーし合って実らせていくかを、日々考えていました。普段とは違う価値観やルールのもと、コロナの影響もあり、たくさんのトラブルに見舞われましたが、何かトラブルが起きれば、誰かがそれを補おうとする。そんなふうに、困難を乗り越えていった結果、家族のようなものの実感がそれぞれに生まれたような現場でした。国を超えた二つの家族の話だからこそだと思います。
-池松さんがおっしゃった「家族の話だから、みんなが互いを補った」ということを、石井監督は最初から計算に入れていたのでしょうか。
石井 計算に入れていた部分はあります。この映画で描いているのは、日本人と韓国人が分かり合うのと同じぐらい、同じ国籍で同じ言葉を話している家族同士でも分かり合うことは難しい、ということです。そういう人間たちがどう溶け合っていくのか、という物語です。撮影現場全体もそうやって溶け合っていくことを意図して脚本を書いていました。でも、実際の映画の中では、自分が計算した以上の作用が生まれていた。初号試写で初めて完成した映画を見たとき、そのことに驚愕(きょうがく)しました。映画とか家族とか、対象は何でもいいんですけど、それを信じることの尊さや温かさが、ここまで映画に出るものかと。それは「人生で初めて」と言っていいぐらいの衝撃的な体験でした。
-そういう意味では、お二人は、撮影中、シェアハウスで一緒に暮らしたと伺っています。その手応えは?
池松 そうなんです。日本じゃあり得ない特殊な経験でした。でも、経験してみたら、実はものすごくいいんじゃないかと思いました。常時そこにいたのは5~6人ぐらいでしたけど、日々撮影を終えて帰ってくると、みんな自然とリビングに集まってくる。そこでビールを開け、今日はどうだった、ああだったと、全然関係ないことも含めて井戸端会議のようなことがずーっと続く。その無駄も含めたたわいない時間や対話の積み重ねの渦から、いつしか真理のようなものが浮かび上がってくることが度々ありました。黒澤明の脚本作りスタイルではないですが、日々の顔色や気分を確認し合うだけでも意味があるように思いました。そもちろん映画を撮影してきたんですけど、どこか一緒に長く困難な旅をしてきたという感覚が残っています。韓国チームも、本当にお酒が大好きで、撮影に入ってからも毎晩キャストチームで一緒にご飯を食べていました。
-そういう熱量みたいなものが、映画からも伝わってきました。
石井 だから、「映画を作った」という言い方もできるけど、「みんなで一つの強烈な体験をして、それがたまたま撮られちゃった」みたいな感じでもありますよね(笑)。
-ある意味、ドキュメンタリー的な要素があると?
石井 物語と撮影現場全体が重なり合ったということだと思います。
-俳優の方は、相手の芝居を受けて自分の芝居が生まれるわけですが、今回は共演する韓国の俳優の言葉が分かりませんよね。その点はいかがでしたか。
池松 脚本を読んでいるので、だいたいどんなことを言っているのかは分かるんですけど…。今、相手が何を言っているのかがよく分からないからこそ、よりシンプルになれるというか。言葉ではなく、相手の態度とか、何とか伝えようとする意思とか、そういうものに敏感になってきますし、そこから情報を得ようとするようになっていきます。そこがこの映画の異質で圧倒的に面白いところの一つだと思っていますし、映画表現として、とても面白いものだと思います。
石井 池松くんが言ったように、脚本を読んでいるのでもちろん理解できているところもあれば、実は理解できていないところもある。その上、「互いに理解できていない」という設定の日本人と韓国人を、池松くんや韓国の俳優が演じて、それを本当に理解できているのか分からないカメラマンが撮るわけです。だから、みんな探り探りで、何かをよりどころにして何とか迫ろうとしていたんです。その“真摯(しんし)さ”、“愛情”みたいなものが最終的に映画に忍び込んだのかな。それがすごく新しかったな…と。それかな…?
池松 それかぁ…。
石井 つまり、「理解できないかもしれない」という可能性をお互いにきちんと感じながら、愛を持ってその対象に迫ろうとする。「理解できるんだ」という前提で迫るよりも、そっちの方が誠実ですよね。そういう“優しさ”とか“誠実さ”みたいなものが、映画に出ていたんじゃないかな…と。
池松 素晴らしい。見つけてしまった感じですね…。
石井 自分で言っていて、恥ずかしくなったけど(笑)。
-石井監督は、これまで『ぼくたちの家族』(14)、『生きちゃった』(20)などで繰り返し家族の問題を描いてきましたが、今回は2組のきょうだいが疑似家族的なつながりで結ばれていく話で、一歩先に進んだ印象があります。そこにはどんな思いが?
石井 自主映画時代には、疑似家族をたくさん扱っていたんです。ただ、当時それでいろんなことを言われて…。「おまえは自分の家族に対する欠落感を埋めるために疑似家族を作っているんだ」とか…(笑)。それで恥ずかしくなって、一時やめていたんです。
-なるほど。
石井 でも、最近になってそういう足かせから解放されたんです。特に今回は韓国に行ったことで逆に素直になれたというか。日本では見せられないことが、海外だから見せられた、というところがあると思います。そういう意味では、僕の中にある強烈な本質が出ているんじゃないかな…と。そういうことの一環で、「既存のルールを無視して、みんながそれぞれの痛みによって結び付いていく」というドラマをやりたくなったんだと思います。
-池松さんは、そうした石井監督の家族の描き方を見て、どんなことを感じましたか。
池松 “家族”の価値が薄れていく中、その在り方はますます従来通りにはならなくなると思いますし、それでいいと思っています。それでも人間は、形を変えたコミュニティーや社会を形成しながら誰かと手を組んで生き延びていくものだと思います。ウイルスや争いやAIの躍進により、これからも人はどんどん孤立していってしますような気がしていますが、その再生の兆しがあるとすれば、この映画における家族のようなもの、ゆるやかな団結によって希望を得ていくことなのではないかと感じていますし、それを二つの国の家族にフォーカスして描いたこの作品は、非常に先進的かつ優れていて、挑戦のしがいがあったと思います。この作品を送り出す者の1人として、目の前の人とコネクトし続けることを諦めず、いかに最後まで向き合えるかが、大きなテーマでした。出来上がった作品を見たときは、自分が携わった作品であるにもかかわらず、おかしいぐらい感動させられました。
(取材・文・写真/井上健一)