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一方の秀吉を演じるムロツヨシ。ライバルとして家康とは対照的に、相変わらず喜怒哀楽激しい猿っぷりを見せていたが、この回注目したのは、周囲が秀吉を評した言葉だ。
例えば、家康に秀吉との面会の報告をした際の石川数正の「何もかも芝居のようであり…。いや、何もかも、赤子のように、心のままにも思える…。得体が知れん」という言葉。
さらに、秀吉との決戦を決断する徳川方の軍議の場で、本多正信(松山ケンイチ)が語った「今や誰もが秀吉にひれ伏しながら、されど腹の底では“この卑しき猿が天下人とは笑わせるな”と多かれ少なかれ思うておる」という言葉。
いずれも秀吉の「得体の知れない」人柄を絶妙に伝えている。だが、この言葉が説得力を持つには、せりふを言う本人よりも、言われた秀吉を演じるムロツヨシが、その言葉にふさわしい演技を見せられるかどうかにかかってくる。
芝居のようでもあり、赤子のように素直にも見える。なおかつ、「卑しき猿」と周囲に思わせる…。これを体現するのは、並大抵のことではない。
だが結果はご存じの通り、ムロは見事にその言葉を具体的な演技に昇華してみせた。改めて見てみると、これらの言葉とムロの演技の間に、ギャップを感じないことに驚かされる。
数正の「猿をおりに入れましょう」という言葉通り、家康は秀吉の増長を阻止できるのか。物語の行方と共に、演者たちの芝居からも目が離せない。