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1月8日に放送が始まったNHK大河ドラマ「どうする家康」。桶狭間の戦いから幕を開ける意表を突いた物語や、従来のようにオープンセットではなくバーチャルプロダクションを活用した合戦シーンなど、新しい大河ドラマを作ろうとする意欲にあふれた第1回だった。
その中で真っ先に目を引いたのが、主人公・徳川家康(松本潤)の今までにない斬新なキャラクターだ。冒頭、寺島しのぶが務める語りでは、家康を次のように紹介していた。
「今日、この平和な世があるのも、全ては大御所、東照大権現さまのおかげ。まさに、天が私たちに授けてくださった神の君でございます。われらが神の君は、いついかなる時も勇敢であらせられました。あの桶狭間合戦の折も、またしかり」
これは、江戸時代の人間が、天下泰平の世を築いた偉人として家康の生涯を振り返る視点になっている。ところがその直後、画面に映ったのは、家臣たちを置き去りにして、「もう嫌じゃ!」と1人で桶狭間の戦場(大高城)から逃げ出そうとする家康の姿。「神の君」と呼ぶ、語りとのギャップに軽い衝撃を受けた。
その後も、人形遊びが好きで、妻の瀬名(有村架純)から「うちの殿は弱虫、泣き虫、鼻水垂れですものね」と言われるなど、放送前から“か弱きプリンス”と呼ばれてきた家康は、“天下人”のイメージからは程遠い。
つまり、後世になって神格化された家康が、実はそうではなかった、という実像(と作り手が考える姿)を明かしていこうという趣向なのだろう。
この家康のキャラクターに関して、脚本家の古沢良太は『大河ドラマ どうする家康 徳川家康とその時代』(宝島社刊)掲載のインタビューで「主人公の家康に関しては、私たちと変わらない普通の人として描くことに力を入れています」と語っている。
天下人・家康を描く物語で、そういうアプローチをする狙いはどこにあるのか。それをひもとく鍵が、「現代性」だ。大河ドラマは毎回、日本の歴史を題材にしながらも、しばしば現代(放送当時)の世相とシンクロしてくる面白さがある。
例えば、2019年の「いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~」は、翌年に控えたオリンピックを賛美するだけでなく、その問題点や限界までも示し、21年の「青天を衝け」は企業と社会、人のあるべき関係を描いてみせた。
凄惨(せいさん)な権力闘争を描いた昨年の「鎌倉殿の13人」も、現代に通じる困難な時代を生き抜く人々の生きざまの物語だったと筆者は捉えている。