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NHKで放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。10月2日放送の第38回「時を継ぐ者」では、前回勃発した「牧氏の変」の結末が描かれ、事件を起こした北条時政(坂東彌十郎)とそれを鎮圧した息子・北条義時(小栗旬)が今生の別れを迎えた。
苦渋の決断の末、別れを迎えた義時と時政、2人の胸中がひしひしと伝わり、心打たれるエピソードだった。番組公式サイトで事前に公開されたこの回の予告編には「絆は永遠のはずだった」というナレーションまでついていた。
だが、親子の絆は「永遠のはず“だった”」と過去形で語られるものなのだろうか。それを確かめるために、まずは、事件後、命を救われ、伊豆へ送られる処分が決まった時政に、義時が別れを告げた場面を振り返ってみる。
時政「よう骨を折ってくれたな」
義時「私は首をはねられてもやむなしと思っておりました。感謝するなら、鎌倉殿や文官の方々に。父上、小四郎は、無念にございます。父上には、この先もずっとそばにいてほしかった。頼朝さまがお造りになられた鎌倉を、父上と共に守っていきたかった。父上の背中を見て、ここまでやってまいりました。父上は、常に私の前にいた。私は父上に…私は…」
時政「もういい」
義時「今生の別れにございます。父が世を去るとき、私はそばにいられません。父の手を握ってやることができません…。あなたがその機会を奪った。お恨み申し上げます」
以上がその一部だが、小栗と彌十郎の気持ちがこもった芝居からは、ここに書かれた言葉以上に別れを惜しむ2人の思いが伝わってきた。
しかも、事件当時は「このようなことをしでかして、許すわけにはいかぬ」「鎌倉を守るためなら、父も子もない」と言っていた義時が、ここでは「私は首をはねられてもやむなしと思っておりました」と語っている。
「はねるつもりだった」という能動的な表現ではなく、「はねられてもやむなし」という消極的な一言には、「死んでほしくなかった」という本音がにじむ。
また、事件当時、政子(小池栄子)の懇願によって時政の命が救われた場面では、館で一人、自刃しようとしていた時政に、それを寸前で止めた八田知家(市原隼人)が「息子でなくて、悪かったな」と告げる。
このとき、義時が八田に時政の救出を依頼する姿は描かれていない。だが、それがかえって想像の余地を生み、時政と義時の絆を実感させる。