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『メガロポリス』(6月20日公開)
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21世紀、アメリカの大都市ニューローマでは、富裕層と貧困層の格差が社会問題化していた。新都市メガロポリスの開発を進めようとする天才建築家カエサル・カティリナ(アダム・ドライバー)は、財政難の中で利権に固執する新市長のフランクリン・キケロ(ジャンカルロ・エスポジート)と対立する。
さらに一族の後継を狙うクローディオ・プルケル(シャイア・ラブーフ)の策謀にも巻き込まれ、カエサルは絶体絶命の危機に陥る。
フランシス・フォード・コッポラ監督が構想に40年を費やし、アメリカをローマ帝国に見立てた大都市ニューローマを舞台に、理想の新都市メガロポリスを通して未来への希望を描いたSF叙事詩。
コッポラがH・G・ウェルズ原作の映画『来るべき世界』(36)に着想を得て1980年代から脚本を構想し、2001年に撮影準備を進めていたが、9・11同時多発テロの影響で中断。そのまま頓挫の危機に陥ったが、21年にコッポラ自身が1億2000万ドルの私財を投じて製作を再始動させ、24年についに完成させた。
まさにコッポラの執念が感じられる一作だが、残念ながらストーリー構成が散漫で何を言いたいのかよく分からず戸惑うばかり。
これは、『野のなななのか』(14)『花筐/HANAGATAMI』(17)『海辺の映画館-キネマの玉手箱』(20)と続いた晩年の大林宣彦作品とも通じるものがある。つまりは妙なパワーにあふれた老匠による究極の独り善がり映画なのだ。だから見る者は面食らうことになる。
ただし、映像やセットの美しさには見るべきものがある。その点ではオールセットで撮られ人工的な美を生み出したかつての『ワン・フロム・ザ・ハート』(81)をほうふつとさせる。また、ダスティン・ホフマンとジョンボイトの『真夜中のカーボーイ』(69)以来の共演も見られる。
そんなカオスの先に、もしかしたら将来この映画がカルト的な人気を得る可能性はあるかもしれないなどとも思うのは、それなりの魅力があるからか、それともコッポラに対するこちらの思い入れの強さ故に見た幻か。