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現在公開中の『ウエスト・サイド・ストーリー』の評判が上々である。同作は、巨匠スティーブン・スピルバーグが、傑作ブロードウェーミュージカルを映画化したもので、公開前は、最初に映画化された『ウエスト・サイド物語』(61)が、アカデミー賞の10部門で受賞に輝いた名作として知られているだけに、懐疑的な意見も少なくなかった。
ところが、いざふたを開けて見ると、現代性を兼ね備えたアレンジやダイナミックな映像表現などが高く評価され、今年のアカデミー賞でも7部門でノミネートを果たした。
同作は、ニューヨークを舞台に、敵対する移民グループの抗争に翻弄(ほんろう)される男女を描いた悲恋物語で、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』を下敷きにしていることは有名だが、実は、同じようにシェークスピア劇の直接の映画化ではないものの、モチーフにしたり強い影響を受けている名作は意外と多い。
シェークスピア劇は、古典中の古典であるばかりか、名ぜりふのオンパレードでもあるため、後進の才能ある者を刺激し続ける宝の山なのだ。
一例を挙げると、『スター・ウォーズ』シリーズのR2-D2とC-3POは、黒澤明の『隠し砦の三悪人』(58)に登場する太平(千秋実)と又七(藤原釜足)のコンビがモデルになっている。われわれ観客の目線に立った、いわゆる狂言回しであり、同時に物語に笑いやドタバタを盛り込む役回りなのだが、シェークスピアに造詣の深い黒澤の念頭にあったのは、『夏の夜の夢』の妖精パックではないだろうか。
典型的なトリックスターのパックは、いたずら好きで物語を引っかき回す存在でありながら、最終的には物語をあるべきところに収めるのだから。太平と又七、R2-D2とC-3POは、パックを2人に分割したキャラクターといえる。
その意味で、R2-D2とC-3POのコンビがまだ誕生していない『エピソード1』にジャー・ジャー・ビンクスを登場させたジョージ・ルーカスの方が、トリックスターが道化キャラで終わることの多い黒澤よりも、トリックスターの役回りに自覚的なのかもしれない。
もう一例。ハリウッド映画黄金期の名匠エルンスト・ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』(42)では、四大悲劇『ハムレット』の名高いせりふが、身の毛もよだつような大爆笑を生む。名ぜりふを逆手に取ってナチスを痛烈に皮肉った風刺コメディーなのだ。
ウィリアム・シェークスピアがいなかったら、映画史も今よりずっと色あせたものになっていただろう。その影響は大小数あれど、あくまでも今回は『ウエスト・サイド・ストーリー』と同じように、物語の基本構造がシェークスピア劇にならっている映画を集めて紹介したい。
黒澤明とシェークスピア
シェークスピア劇がほかのジャンルに翻案される場合、往年のハリウッド映画では、やはり西部劇がポピュラーだったようだ。『オセロ』に着想を得た『去り行く男』(56)、『じゃじゃ馬ならし』に基づくジョン・ウェイン主演の『マクリントック(大西部の男)』(63)などは、今でもDVDや配信で見ることができる。
SF映画の古典といえる『禁断の惑星』(56)も『テンペスト』を下敷きにしているとされている。
日本の時代劇では、もちろん黒澤の『蜘蛛巣城』(57)と『乱』(85)がある。特に『蜘蛛巣城』は、四大悲劇『マクベス』を原作として明記しており、原作の舞台となる11世紀のイギリスと、日本の戦国時代の下剋上が類似していることもあって、かなり忠実に置き換えられている。
しかも、能の様式美を取り入れた演出が、その置き換えを違和感のないスムーズなものにしていて、霧を活用した時間経過などけれん味もたっぷり。シェークスピアの映画化作品の中でも特に高い評価を得ている。
一方、『乱』は、3本の矢の教えで知られる毛利元就と3人の息子のエピソードが基になっている。ちょうど四大悲劇『リア王』が、老王と3人の娘の物語だったことから、その要素が盛り込まれた。それでも、道化(ピーター)の存在を含め、逆に毛利家を借りて『リア王』を映画化したかのような濃密なシェークスピア感が漂う。
また、『リア王』といえば、鬼才ジャン=リュック・ゴダールの超異色作『ゴダールのリア王』(87)や、『リア王』を下敷きにした小説『大農場』の映画化『シークレット/嵐の夜に』(97)もある。