【大河ドラマコラム】「麒麟がくる」 第三十七回「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」歴史の厚みを伝える敗者の姿と、彼らに向き合う光秀と信長の違い

2020年12月22日 / 14:26

 NHKで好評放送中の大河ドラマ「麒麟がくる」。明智光秀(長谷川博己)と将軍・足利義昭(滝藤賢一)の涙の別れで幕を閉じた第三十六回から一転、12月20日放送の第三十七回「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」は、義昭、朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)、浅井長政(金井浩人)らを次々と打ち破り、権力の頂点に達した織田信長(染谷将太)が、東大寺の宝物「蘭奢待(らんじゃたい)」を手にするまでの、1年余りの出来事を一気に描く怒濤(どとう)の展開となった。

朝倉義景役のユースケ・サンタマリア

 その密度の高い物語は、いかに当時の信長が勢いに乗っていたかを如実に伝えるのと同時に、次々と姿を消していく敗者の思いをも際立たせることになった。

 将軍でありながら、自らが望んだ平和な世を作ることができず、戦を続けるしかなかった悔しさを、駒(門脇麦)に打ち明ける義昭。義昭を裏切って信長に味方した弟・細川藤孝(眞島秀和)をののしりながらも、敗者として頭を下げざるを得ない三淵藤英(谷原章介)の目に浮かぶ涙。名門大名でありながら、栄華を極めた本拠地・一乗谷を失った上、身内の裏切りに遭い、自刃することになった義景…。

 いずれも、自分の信念を貫こうとしながらも、志半ばで諦めざるを得ない無念さが伝わり、俳優陣の熱演も相まって、胸を打つ名場面となった。さらに、それが幾つも積み重なることで、一人の勝者だけでなく、数多くの敗者の上に築き上げられる歴史の厚みを感じさせた。

 その一方で、彼らに対する光秀と信長の向き合い方の違いも、今後の展開を占う上で、興味深いものだった。

 捕らわれた義昭の前では膝をつき、三淵には「私と三淵さまの間に、勝ちも負けもございません。あるのは、紙一重の立場の違い。私は今、そう思うております」と語る光秀。その姿からは、「勝敗は単なる結果に過ぎず、敗者にも敬意を払うべき」という思いが伝わってくる。それぞれの信念に従い、時代の流れを読み、未来を切り開くために決断を下す。その点では、光秀が語るように、敗者も勝った信長も何ら違いはない。

 だが、信長には敗者を顧みる姿勢は見られない。せいぜい、捕らえた義昭について光秀から「公方様を、どうなされるおつもりでございますか?」と尋ねられ、「家来を何人かつけて、どこへでも追い払えばよい。藤吉郎(佐々木蔵之介)に任せておる」とそっけなく答える程度だ。

 この差が、2人の認識のずれにつながっているように思える。京を支配下に収めて有頂天になる信長と、それを見て「私に言わせれば、頂はまだこれから。公方様を退け、さて、これからどのような世をお作りになるのか。今は、それを熟慮すべき大事の時。まだ、山の中腹なのです。頂は遠い」と語る光秀。

 
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