【大河ドラマコラム】「青天を衝け」第四十回「栄一、海を越えて」栄一と慶喜、最後の対面が意味するもの

2021年12月22日 / 06:27

 「私はあの頃からずっと、いつ死ぬべきだったのだろうと、自分に問うてきた。天璋院様に切腹を勧められたときか。江戸を離れるときか。戊辰の戦が全て終わったときか。いつ死んでおれば、徳川最後の将軍の名を汚さずに済んだのかと、ずっと考えてきた。しかし、ようやく今、思うよ。(後ろに控える栄一の方を振り向き)生きていて、よかった。話をすることができて、よかった。楽しかったな」

徳川慶喜役の草なぎ剛

 12月19日に放送されたNHKの大河ドラマ「青天を衝け」第四十回「栄一、海を越えて」で、主人公・渋沢栄一(吉沢亮)が持参した伝記の原稿に目を通した後、元主君の徳川慶喜(草なぎ剛)が語った言葉だ。

 この場面、2人がここまで繰り広げてきた幾多のドラマ、そして吉沢と草なぎの名演の数々を思い出し、心を打たれた視聴者は、筆者を含めて多数いたはずだ。この後、慶喜は77年の生涯を終え、これが劇中での2人の最後の対面となった。

 なぜこの場面がこれほど見る者の胸を打つことになったのか。それを探る手掛かりとして、この回で描かれたある出来事を振り返ってみたい。

 この回、アメリカでの日本人移民排斥運動に心を痛めた栄一は、民間外交として渡米実業団を率いて全米各地を訪問。特に反日感情の強いサンフランシスコで、現地の経済人たちを前にスピーチを行った。

 この時、直前に盟友・伊藤博文(山崎育三郎)暗殺の報せを受けた栄一は、予定していた原稿を脇に置き、「私は、先日長年の友を亡くしました。殺されたんです」と自らの思いを語り始める。

 「今日だけではない。私は人生において、実に多くの大事な友を亡くしました。互いに、心から憎しみ合っていたからではない。相手を知らなかったからだ。知っていても、考え方の違いを理解しようとしなかったからだ。相手をきちんと知ろうとする心があれば、無益な憎しみ合いや悲劇はまぬがれるんだ。(中略)日本には、『己の欲せざるところ、人に施すなかれ』という『忠恕』の教えが広く知れ渡っています。互いが嫌がることをするのではなく、目を見て、心開いて、手を結び、みんなが幸せになる世を作る。私はこれを、世界の信条にしたいのです。(以下略)」

 振り返ってみれば、栄一はもともと、倒幕を目指す尊王攘夷の志士だった。血洗島の片隅で武家社会の理不尽に憤っていた栄一は、世の中を変えようと奮闘する中、敵だと思っていた幕臣・平岡円四郎(堤真一)との出会いを経て慶喜と巡り会う。そして、慶喜の下で商売の才能を見出されたことが、実業家としての活躍につながっていく。

 仮に、若き日の栄一が外国人の居留地を襲撃する“横濱焼き討ち計画”を決行し、実際に倒幕に加担していたら、その後の人生、引いては明治以降の日本の発展はあっただろうか。

 一方の慶喜も、冒頭の言葉にあるように、維新期のどこかで命を絶っていたら、栄一による伝記編さんはなく、真実を後世に伝えることはできなかったはずだ。(余談ながら、この伝記は1998年の大河ドラマ「徳川慶喜」でも資料として用いられている)。

 つまり、栄一がスピーチで語ったことは、栄一と慶喜の間で起きた出来事そのものであり、2人の関係には本作が掲げてきた「生き抜く」というメッセージの全てが凝縮されていたように思える。そう考えると、「青天を衝け」は、「栄一と慶喜の関係の物語」だったともいえる。

 
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