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次週ついに最終回を迎える「真田丸」。主人公・真田信繁(幸村)がさまざまな人々との出会いを経て成長していく物語は、回を追うごとに熱を帯び、堺雅人の熱演は勇猛果敢な武将・真田幸村のイメージを一新した。
幸村と真田十勇士の物語が大正時代に小説から人気を得たように、実直な人物としての信繁の姿も、このドラマをきっかけに広まっていくに違いない。
ところで、堺=幸村がこれほどの当たり役となったのはなぜなのか。その手掛かりとなりそうな言葉が今から8年前、『キネマ旬報』2008年11月下旬号に掲載された堺のインタビューにある。
「時代劇をやりたいのもそうなんですけれど、僕はフィクションよりもノンフィクションの方に引かれるところがあって。実在の人物を演じるのが面白いんです。」
これは、徳川家定を演じた「篤姫」(08)の撮影が終わったころのものだが、この言葉の直前に「大河ドラマはまたやってみたいんです」とも語っている。堺は、資料や文献を徹底的に当たる入念な役作りに定評がある。そうした姿勢も、実在の人物を好む志向と無関係ではないだろう。となれば、その真価を発揮する場は、必然的に時代劇が多くなる。
さらにもう一つ、堺の次の発言を読んでみてほしい。
「“負け組”とは言っても、あの見通しの悪い時代に、本当に先が見えていた人がどれぐらいいたか。だとすれば、彼のように日々を誠実に送る以外、大人としての対処法はなかったんじゃないか、とも思います」
まるで、「真田丸」のことを語ったような言葉だが、これは幕末に実在した加賀藩士を演じた『武士の家計簿』出演時、『キネマ旬報』2010年12月上旬号のインタビューに掲載されたもの。この時点で彼が演じていた実在の人物は前出の「篤姫」、『武士の家計簿』のほか、『壬生義士伝』(02)の沖田総司、「新選組!」(04)の山南敬助といった面々。いずれも、激動の幕末を生き、歴史の狭間に姿を消していった敗者たちであることを踏まえたものだった。
堺のこの発言を読むと、幸村を演じることが必然だったという思いはますます強まる。さらにそれは、「敗者に魅力を感じる」と語って幸村を主人公に選んだ脚本家・三谷幸喜の思いにも通じる。
これに加えて、共演者たちがしばしば口にする堺本人の人柄。当サイトのインタビューでも、後藤又兵衛役の哀川翔や毛利勝永役の岡本健一が、「あれだけの数のせりふをこなしながら、(本番以外の時の)俺たちの冗談についてくる」、「皆のムードを引いた目で見ていてくれて安心感があります」などと語っているように、堺の周囲に対する気配りは評判となっている。それはまるで、「真田丸」で周囲の人たちのために駆け回っていた信繁を思わせる。
実在の人物役を好む堺の志向と、そこから導き出される入念な役作り。それが敗者に引かれる三谷の思いと結びつき、さらに気配りのできる堺本人の人柄も重なって生まれたのが、実直な真田信繁(幸村)という当たり役だったのではないか。
だが、そんな名演を目にすることができるのも、残り1回。別れを惜しむわれわれの心を推し量るかのように、最終回は55分の拡大版となる。視聴者それぞれに付けてほしいとの思いから、無題となったサブタイトルに思いを巡らせつつ、戦国の終わりを駆け抜けた堺=幸村の最後の雄姿をしっかりと目に焼き付けたい。
(ライター:井上健一):映画を中心に、雑誌やムック、WEBなどでインタビュー、解説記事などを執筆。共著『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)