落語界の風雲児ともいわれた立川談志(たてかわ・だんし、本名松岡克由=まつおか・かつよし)さんが21日午後2時24分、喉頭がん(声門がん)のため死去していたことが23日分かった。75歳だった。
この日、東京都内の斎場で午後3時から行われた家族葬を終えた、談志さんの長男で所属事務所・談志役場の松岡慎太郎社長と長女の松岡弓子さんが、東京都内で会見を行った。
談志さんは、3年前に発症し治療した喉頭がんが、昨年11月に再発したが、声帯摘出手術は「話すことができなくなるのは、落語家としてのプライドが許さない」と拒否。しかし、3月6日の一門会で高座「蜘蛛駕籠(くもかご)」を最後に、活動を休止していた。
その後、自宅療養、入院を繰り返していたが、呼吸の確保と栄養分を直接胃に送り込むための切開を行った。弓子さんによると「私の名前は立川談志。私の声を返してください。しゃべりたい、しゃべりたい」と、声が出なくなった無念さを主治医に訴えていたという。つらい療養であったが「父の優しさ、ジェントルマンと思える時間を持てたのは良かった。最高に優しいお父さんでした」と、時折声を震わせながら語った。
戒名は、生前から本人が考えていた「立川雲黒斎家元勝手居士」なのだが、これを読みにすると「たてかわうんこくさいいえもとかってこじ」となり、最後まで落語家としてのしゃれを忘れず、訃報記事を読んだ人をニヤリとさせる談志さんらしい戒名だ。
棺には、紋付きはかまの高座着に扇子、トレードマークのヘアバンドとお気に入りのぬいぐるみが納められた。
後日、東京都内で「お別れの会」を行う予定だ。