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『哀れなるものたち』(1月26日公開)
世をはかなんだベラ(エマ・ストーン)は、橋上から川に飛び込んで自ら命を絶つが、風変わりな天才外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)によって、おなかの中にいた胎児の脳を移植され、奇跡的に蘇生する。
やがて「世界を自分の目で見たい」という強い欲求にかられたベラは、放蕩(ほうとう)者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘われて大陸横断の旅に出る。
大人の体を持ちながら赤子の目線で世界を見つめるベラは、自由や平等に関する知識や哲学を貪欲に吸収し、驚くべき速さで成長を遂げ、やがてパリで娼婦になる。
トニー・マクナマラがスコットランドの作家アラスター・グレイの同名ゴシック小説を脚色し、『女王陛下のお気に入り』(18)のヨルゴス・ランティモス監督とストーンが再びタッグを組んで映画化。ストーンはプロデューサーも兼任した。2023年、第80回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞している。
ホラーとコメディー同様、エログロとコメディーも紙一重だとは常々思っていたが、この映画は18禁相当の過激な性描写がある割には笑えるところが多いので、エロチックな感じはほとんどしない。とはいえ、正直なところストーンがよくこんな役をやったなあとは思ったが、今の俳優は、こういう役こそ俳優冥利(みょうり)に尽きると感じるのかもしれない。
ところで、昔『サロン・キティ』(79)という“芸術映画”を見た時、実は先に『ナチ女秘密警察 SEX親衛隊』の題名で短縮版がポルノ映画として公開されていたことを知った。
同じ頃、『エゴン・シーレ/愛欲と陶酔の日々』(80)やら『作家マゾッホ 愛の日々』(80)といった、芸術かポルノかをどこで区別するのか分からないような映画を続けざまに見たので、柄にもなく「芸術とポルノの違い」について考えさせられた。この映画を見ながら、そんな昔のことをふと思い出した。
さて、ゴッドとベラとの関係は、何度も映像化された『フランケンシュタイン』の博士と怪物との関係をほうふつとさせるし、レオス・カラックス監督の『アネット』(21)も思い浮かぶ。
また、主人公には男女の違いこそあれ、ジョン・アービング原作、ジョージ・ロイ・ヒル監督の『ガープの世界』(82)と重なって見えるところもある。そのためこの映画は、うわべは斬新かつとっぴなものに見えるが、実はオーソドックスな一人の女性の冒険譚(だん)、成長物語という見方もできる。
とはいえ、もしこの映画がアカデミー賞の作品賞を得たら、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』(19)、異色作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(22)が受賞した時以上の衝撃があると思う。結果が楽しみだ。