X


大ベテラン監督が健在ぶりを示した『クライ・マッチョ』『ハウス・オブ・グッチ』【映画コラム】

『クライ・マッチョ』(1月14日公開)

(C)2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

 今は落ちぶれたかつてのロデオスターが、親の愛を知らない少年と共にメキシコからテキサスを旅する中で「本当の強さ」の新たな価値観に目覚めていく姿を描くロードムービー。90歳を迎えたクリント・イーストウッドが製作・監督・主演。

 1975年に発刊されたN・リチャード・ナッシュの小説を映画化。『恐怖のメロディ』(71)から数えて、イーストウッドの監督デビュー50周年、40作目に当たる。40年前、イーストウッド監督、ロバート・ミッチャム主演で映画化が考えられていたという。脚本は『グラン・トリノ』(08)『運び屋』(19)に続いてニック・シェンクが担当した。

 79年。かつて数々の賞を獲得し、ロデオ界のスターとして一世を風靡(ふうび)したマイク・ミロ(イーストウッド)は、自らの落馬事故と妻子の事故死をきっかけに落ちぶれ、今は競走馬の種付けで細々と暮らしていた。

 そんなある日、マイクは元雇い主のハワード(ドワイト・ヨーカム)から、メキシコにいる彼の息子ラフォ(エドゥアルド・ミネット)を誘拐して連れてくるよう依頼される。

 親の愛を知らない生意気な不良少年を連れてメキシコからアメリカ国境を目指すことになったマイク。その旅路には予想外の困難や出会いが待っていた。

 イーストウッドの緩慢な動き、聞き取りにくいせりふ、逃亡劇なのに緊迫感がなく、全体的に緩々な感じがするのだが、逆にそこが魅力的に映るという、不思議な味わいのある映画。前作の『運び屋』で、イーストウッドが余裕のある語り口を手に入れたと思ったが、この映画はさらにその上を行っている。

 孫のようなラフォとの掛け合いはもちろん、麻薬捜査の警官に向って「俺は“運び屋”じゃないぜ」と毒づくユーモラスなシーン、食堂を営む気のいいメキシコ人女性マルタ(ナタリア・トラベン)との恋、マルタの孫たちとの交流、馬の調教、ラフォの愛鶏マッチョの存在など、硬軟取り混ぜた悲喜こもごもの描写がとてもいい味を出しているが、その中に、往年の片鱗を感じさせる瞬間もあるからたまらない。

 イーストウッドと同い年の山田洋次監督が『運び屋』の主人公を寅さんに例えていたが、今回は描かれた世界全体が『男はつらいよ』的な感じがした。脚本シェンクによる『グラン・トリノ』と『運び屋』とこの映画を、イーストウッドの“幸福な最晩年の三部作”と呼びたい気分になった。

『ハウス・オブ・グッチ』(1月14日公開)

(C)2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

 実話を基に、大手ファッションブランド、グッチ一族の崩壊の様子を描く。監督は84歳のリドリー・スコット。

 労働者階級の家で育ったパトリツィア(レディ・ガガ)は、グッチ家の御曹司でありながら弁護士志望のマウリツィオ(アダム・ドライバー)と知り合い結婚する。

 だがパトリツィアは、次第に一族の権力争いに参入し始め、夫をたきつけてグッチ全体を支配しようとする。やがて2人の結婚生活は破綻し、マウリツィオに裏切られたパトリツィアはある決断をする。

 マウリツィオの父をジェレミー・アイアンズ、伯父をアル・パチーノ、いとこをジャレット・レトというくせ者ぞろいの配役が目を引く。

 また、イタリアの一族が舞台で、パチーノが出ているせいもあるが、身内同士の醜い権力争いの様子などは、まるで小規模な『ゴッドファーザー』シリーズを見ているような気分になる。

 とはいえ、彼らが繰り広げる争いはどこか滑稽で喜劇的なところがある(ガガ=パトリツィアがエリザベス・テイラーに似ているだって…)。そして彼らが不幸になればなるほど、どこかでざまあみろと思って見ている自分がいる。まさに「他人の不幸は蜜の味」状態だ。

 そして、この2時間40分のドロドロ話を飽きずに見させる大ベテラン監督スコットの腕前はやはりたいしたもの。先に公開された『最後の決闘裁判』もそうだが、80歳を過ぎてこれだけの映画が撮れることに驚かされた。

 また、これも『最後の決闘裁判』に続いて、ドライバーの怪演が見られる。ガガやアイアンズ、パチーノ、レトとのデフォルメされた掛け合いの様子は、まるで妖怪同士のようにも見えてくるから楽しい。華麗なファッションに包まれたガガの、イタリアの肝っ玉母さんぶりも見ものだ。

 時代背景が70年代後期から始まるので、「オン・ザ・レディオ」「アイ・フィール・ラブ」(ドナ・サマー)「ハート・オブ・グラス」(ブロンディ)「フェイス」(ジョージ・マイケル)など、懐メロがふんだんに流れるのも聴きどころだ。

(田中雄二)