【映画コラム】「エール」古山裕一のモデル、古関裕而が鎮魂の思いを込めた「モスラの歌」

2020年5月28日 / 06:51

 放送中のNHK連続テレビ小説「エール」で窪田正孝が演じている主人公・古山裕一のモデルは、さまざまなジャンルで名曲を残した作曲家の古関裕而だ。

 特に、早稲田大学の「紺碧(こんぺき)の空」、慶応義塾大学の「我ら覇者」、阪神タイガースの「六甲おろし」、読売ジャイアンツの「闘魂こめて」といった応援歌や球団歌のほか、1964年の東京オリンピックの「オリンピック・マーチ」、NHKスポーツ中継のテーマ曲「スポーツショー行進曲」、全国高等学校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」といった、聴き手の気分を高揚させ、一体化させるような行進曲が有名だ。

(C)1961東宝

 そんな古関には映画音楽の作曲家としての一面もある。代表作には、日本初の長編アニメーション映画と言われる『桃太郎 海の神兵』(44)、戦後のラジオドラマから発展し、主題歌「とんがり帽子」で知られる『鐘の鳴る丘』(三部作・48~49)、同じく同名主題歌もヒットした『君の名は』(三部作・53~54)、自身作曲の大ヒット曲をモチーフにして作られた『長崎の鐘』(50)などが有名だが、異色作として特撮映画『モスラ』(61)の存在がある。

 東宝が、家族や女性も楽しめる怪獣映画として企画した同作は、純文学の福永武彦、堀田善衛、中村真一郎による原案を基に、『ゴジラ』(54)や『空の大怪獣ラドン』(56)を手掛けた、監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二という名コンビによって製作された。

 悪徳ブローカーによって南海の孤島インファント島から連れ去られた双子の小美人を取り戻すため、守護神のモスラが東京に来襲。芋虫状の幼虫が東京タワーに繭を張り巨大な翼を持つ成虫へと脱皮する、というファンタジックなストーリーには、母性や平和への願いといったテーマが内包されていた。モスラの名はMOTH(ガ)に由来するが、MOTHER(母)の意味も含まれているという。

 それ故、見る者に恐怖や不気味さを感じさせた『ゴジラ』や『ラドン』を作曲した伊福部昭とは別種の、親しみやすさや優しさを持った音楽が求められ、歌謡曲やミュージカルにも名曲が多い古関が起用された。

 そして、アイヌの音楽に親しみ、土俗的、民族的で重厚な伊福部の音楽とは異質の、南国ムードや大衆性に満ちた古関の『モスラ』が生まれたのだが、そこには、戦時中、東南アジアや中国に慰問団の一員として派遣され、その土地の音楽に接した経験が大いに役立ったようだ。

 中でも、インファント島の石碑に書かれた碑文を、小美人に扮(ふん)した双子の人気歌手ザ・ピーナッツが歌った「モスラの歌」は、古関が作曲し、同作を製作した田中友幸と監督の本多、脚本の関沢新一が共同で作詞したものだが、一度聴いたら忘れられない名曲となった。

 「モスラヤ モスラ ドゥンガン カサクヤン インドゥムゥ ルスト ウィラードア ハンバ ハンバムヤン ランダ バンウンラダン トゥンジュカンラー カサクヤーンム」という謎の歌詞は、実はインドネシア語で、これを日本語に訳せば「モスラよ 永遠の生命 モスラよ 悲しき下僕の祈りに応えて 今こそよみがえれ 力強き生命を得て われらを守れ 平和を守れ 平和こそは永遠に続く繁栄の道」となる。

 古関は、戦時中に自らが作曲した戦時歌謡、いわゆる軍歌で戦地に送られ、戦死した人たちに対して自責の念を抱き続けていたという。だからこそ、この曲には代表曲「長崎の鐘」にも通じる、鎮魂や平和への願いが込められていたと思われる。

 
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