【映画コラム】“普通の者たち”への共感にあふれた『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』

2014年5月31日 / 17:47

Photo by Alison Rosa (C)2012 Long Strange Trip LLC

 実在のシンガー、デイヴ・ヴァン・ロンクの回想録を基に、ジョエル&イーサンのコーエン兄弟が脚色、監督し、2013年のカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』が30日から公開された。

 本作の舞台は1961年の米ニューヨーク、グリニッジビレッジ。主人公のフォークシンガー、ルーウィン・デイヴィス(オスカー・アイザック)は、音楽の才能はあるのにつきに見放され、わがままで扱いにくいことも手伝って全く売れていない。

 そんなデイヴィスの、知り合いの家を転々とする生活、トラブル続きの日常、寂れたライブハウスでの演奏風景、心ならずも預かる羽目になったトラ猫との奇妙な関係、そして売り込みのために向かったシカゴヘの旅…といった1週間が、コーエン兄弟らしいオフビートなタッチで描かれる。アイザックが吹き替えなしで見事な歌声とギターの腕前を披露するのも見どころだ。

 ところで、本作の中心はタイトル通り“デイヴィスの内面”を描くことにあるのだが、その背景として、フォークソングを歌う若者たちが現れ、やがてボブ・ディランの出現によってフォークが世界的なブームを迎えるという、当時の音楽事情を巧みに盛り込んでいる点が面白い。

 例えば本作には、現代のポップスター、ジャスティン・ティンバーレイクが、当時のあか抜けない音楽の象徴として宇宙計画を皮肉った「プリーズ・ミスター・ケネディ」を歌う楽しい場面もあるが、それはディランの登場で音楽シーンの様相が一変したということにも通じる。

 本作の音楽プロデューサー、T・ボーン・バーネットが主人公のデイヴィスについて「彼は私自身であり、私の友達でもある。つまり彼はボブ・ディランになれなかった全ての人々の代表なんだ」と語っているように、本作は時代が変わる瞬間に立ち会いながら、時流に乗れなかった多くの“普通の者たち”への共感にあふれている。だからこそ、デイヴィスと入れ替わるように若き日のディランが登場するラストシーンがその象徴として強く印象に残るのだ。(田中雄二)

 


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