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NHKで好評放送中の大河ドラマ「青天を衝け」。12月12日に放送された第三十九回「栄一と戦争」では、日本が戦争に突き進む中、年を重ねながらも、より良い世の中を目指してさらに奮闘する主人公・渋沢栄一(吉沢亮)の姿が描かれた。そんな栄一の活躍の一方で、筆者が注目したのは、徳川慶喜(草なぎ剛)と2人の人物との対話だった。
まず1人目が、栄一のいとこ・尾高惇忠(田辺誠一)。若い頃から「秀才」として知られ、「兄ぃ」と慕ってくる栄一に多大な影響を与えた人物だ。
だが、自身は幕末の動乱で弟の長七郎(満島真之介)と平九郎(岡田健史)を亡くし、栄一の妻となった妹の千代(橋本愛)もコレラで早世。最年長だった自分が最後まで生き延びることになった。
この回冒頭で惇忠と初めて対面した慶喜は、幕臣だった平九郎のことや富岡製糸場での活躍に触れ、こう言葉を掛ける。
「長く生きて国に尽くされ、言葉もない。残され、生き続けることが、どれほど苦であったことか…。私はねぎらう立場にないが、尊いことと感服している」
惇忠のこれまでの苦労が報われる一言に、胸が熱くなった。
そして2人目が、栄一の嫡男・篤二(泉澤祐希)だ。病に倒れた栄一の見舞いに渋沢邸を訪れた慶喜は、「父が死ねば、自分が後を継がねばならない」という重圧から逃れるように、雨が降りしきる庭に飛び出した篤二と遭遇。ずぶぬれになった篤二は、すでに何度も顔を合わせ、親近感すら覚えていた慶喜に、思わず次の言葉をぶつけてしまう。
「僕も逃げたい!それでも、あなたに比べたらましなはずです。あなたが背負っていたのは日本だ。日本すべてを捨てて逃げた。それなのに、今も平然と…」
これは、旧幕府軍と新政府軍が激突する戊辰戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦いで敗北後、旧幕府軍を率いた慶喜が兵を残したまま単身、大坂城から江戸に逃げ帰ったことを踏まえたものだろう。
篤二のこの言葉を黙って受け止めた慶喜は、栄一を見舞った際、「生きてくれたら、何でも話そう」と固辞し続けていた伝記編さんを承諾する。そこに、歴史の真実を知らない篤二の言葉が少なからず影響したと考えるのは、あながち間違いではないだろう。
慶喜自身、幕府の権力者だった父・斉昭(竹中直人)の下に生まれ、「英まい」の呼び声も高く、自らの意思とは関係なく、将軍になることを期待されていた。
その結果、将軍の座に就いたものの、信頼していた側近・平岡円四郎(堤真一)のほか多くの幕臣を失い、260年続いた徳川幕府に幕を引くこととなった。
弟や妹を失いながらも生き続けた惇忠の苦しみ、偉大な父・栄一の下に生まれ、分不相応の期待を背負わされた篤二の葛藤。それを受け止めるのは、自由闊達(かったつ)に育ち、自らの理想に向かって走り続ける栄一よりも、徳川の血筋に生まれながらも、幕府を終焉(しゅうえん)に導いた責任を背負って静かに生きる慶喜の方がふさわしい。