【大河ドラマコラム】「青天を衝け」第三十二回「栄一、銀行を作る」生き抜くことの意義を伝える渋沢喜作の生きざま

2021年10月27日 / 17:49

 NHKで好評放送中の大河ドラマ「青天を衝け」。10月24日放送の第三十二回「栄一、銀行を作る」では、大蔵省を辞めた主人公・渋沢栄一(吉沢亮)が日本初の銀行・第一国立銀行の総監役に就任。設立に関わった三井組と小野組が内輪もめを繰り広げる中、簿記を導入するなど、経営を軌道に乗せようと奮闘する姿が描かれた。

渋沢喜作役の高良健吾

 そんな中、筆者の心に残ったのは、栄一とイタリアから帰国した、いとこの渋沢喜作(高良健吾)とのやり取りだ。製糸業のビジネスを学ぶため、イタリアに留学していた喜作は帰国後、栄一の元を訪れ、銀行の経営を手伝ってくれるかと誘う栄一の言葉をさえぎり、こう答える。

 「いや、俺は横浜で生糸の商いをする。イタリアでも見てきたが、これからはお蚕様だ」

 この言葉を聞いてハッとした。ご存じの通り、喜作はもともと、栄一と同じく血洗島で養蚕業を営んでいた農家の出身で、少年時代から「武士になりたい」と願っていた。それが、時代の巡り合わせで徳川慶喜(草なぎ剛)の家臣として仕えることになり、念願かなって武士の身分に。

 すると、慶喜の将軍就任とともに幕末の動乱に巻き込まれ、旧幕府軍の指揮官として戊辰戦争に従軍。箱館戦争まで戦い抜いた末に敗れ、2年半もの牢獄生活を経験した。そして釈放後、新しい日本を作ろうと奮闘する栄一や、いとこの尾高惇忠(田辺誠一)らに刺激され、イタリアに渡ったという経緯がある。

 つまり、一度は武士になる夢をかなえながらも、紆余(うよ)曲折を経て、生きるための活路を見いだしたのが、幼い頃から慣れ親しんだ養蚕業だった、ということになる。恐らく、喜作自身も夢をかなえた末、自らの原点に立ち返ることになるとは想像もしていなかったに違いない。人生の巡り合わせの不思議さを思わずにはいられない。だがそれも、生き抜いたからこそたどり着くことができた場所でもある。

 「生き抜く」という意味では第三十一回、栄一が出獄した喜作と再会した場面が印象的だった。互いに道をたがえたことに関して口論になった後、自身の行動を振り返って「いっそ死ねばよかったんだい。しかし、日がたてばたつほど未練が…」と号泣する喜作に、栄一はこう告げ、固く抱き合う。

 「よかった。死なねえでよかった。生きていれば、こうして文句も言い合える」

 考えてみれば、喜作の人生も栄一に劣らぬほど波瀾(はらん)万丈だし、戊辰戦争の最前線で戦ったことを踏まえれば、栄一以上に生死に関わる壮絶な経験をしたともいえる。しかし、土方歳三(町田啓太)など、多くの仲間を戦場で失いながらも、最終的には生き抜き、新たな日本を作るために奮闘した。一歩間違えれば喜作自身が命を落としていてもおかしくはなかったわけで、その生きざまからは、生き抜くことの意義を改めて教えられる。

 
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