【物語りの遺伝子 “忍者”を広めた講談・玉田家ストーリー】(10)石浦神社で語る「八田與一と嘉義農林学校」

2026年1月16日 / 10:00

 YouTubeもNetflixもない時代、人々を夢中にさせた“物語り”の芸があった——。“たまたま”講談界に入った四代目・玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)が、知られざる一門の歴史物語をたどります。

 語りは、土地と人を結び直します。古事や由緒を手がかりに、語り継がれてきた物語を「その場の言葉」へと移し替えてお届けする。神道講釈とは、そのための一席でございます。

▼金沢の石浦神社

 昨年10月2日、永職会を通じてご縁をいただき、加賀百万石・石川県金沢市の町に鎮座します石浦(いしうら)神社。その創建二三〇〇年の直会(なおらい)の席で、神道講釈を務めさせていただきました。

 石浦神社と申しますれば、金沢城、兼六園、金沢二一世紀美術館のすぐお近く。金沢の町に深く根を張り、人々の暮らしとともに息づくお社でございます。

 さて、公演日が決まりますと、まずは取材から始めます。

 折しも、石浦神社の関係者が大阪にお越しになる機会がございまして、天満の喫茶店にて、ゆっくりとお話を伺いました。

 そこで耳に残りましたのが、台湾やサンマリノなど、海の向こうへも足を運び、さまざまな交流を続けておられるというお話でした。

 とりわけ台湾では、石浦神社のゆるキャラ「きまちゃん」が人気を集めているそうで。神社のご縁というものが、海を越えて結ばれていくことを、あらためて知る機会となりました。

 こうしたお話から、石浦神社と台湾とのつながりの深さを知りました。

 創建二三〇〇年祭には、台湾・嘉義県からも代表の方がいらっしゃると聞きまして、今回の神道講釈のテーマは、自然と定まりました。

 「平和をテーマに、台湾と金沢をつなぐ物語」でございます。

▼海を越えてつながる物語

 調べを進めていくうちに出会いましたのが、八田與一(はった・よいち)と嘉義農林学校の物語でございます。

 八田與一は金沢市のご出身。東京帝国大学工学部土木科をご卒業ののち、日本政府の技師として、日本統治下の台湾南部、嘉南平野に赴任いたしました。

 肥沃でありながら洪水に悩まされていた土地。そこで水利事業を進め、烏山頭(うさんとう)ダムを完成させ、大地を安定して潤した人物でございます。

 その結果、嘉南平野は台湾有数の穀倉地帯となり、嘉義地域には嘉義農林学校が生まれました。生徒は日本人、漢人、原住民――背景はさまざま。されど、学舎に集えば志は一つ。勉学のみならず部活動にも励んだと申します。

 中でも人気だったのが野球部。

 弱小だったチームが、新しく赴任してきた顧問教師のもと、少しずつまとまり、やがては台湾代表として甲子園に出場し、決勝まで進むという快挙を成し遂げました。

 違いを抱えたまま、同じ目標へと向かい力を合わせる。その姿が、台湾の人々に大きな希望を与えたのでございましょう。

 けれども、戦争は容赦がございません。

 多くの野球部員が命を落とし、八田與一もまた、乗っていた船が撃沈され、この世を去ります。

 私はこの物語を神道講釈として語らせていただきました。

 一つのご縁から土地の記憶が立ち上がり、言葉となってこの席に満ちていく――その瞬間に立ち会えることを、ありがたく存じます。

 語りによって、ご縁が結び直され、静かに次へと受け継がれていく。

 そのことを胸の内で、あらためて確かめたひとときでございました。


◆四代目・玉田玉秀斎 

玉田家は幕末、京都を拠点に活躍した神道講釈師・玉田永教の流れをくみ、三代目玉秀斎は『猿飛佐助』『真田十勇士』『菅原天神記』『安倍晴明伝』などを世に広め、明治大正期の若者に大きな影響を与えた。四代目玉秀斎はロータリー交換留学生としてスウェーデンに留学中、逆に日本に興味を持ち講談師に。英語講談や音楽コラボ講談、地域に残る物語に光を当てる“観光講談”に力を入れ、ホームレス経験者への取材を元にしたビッグイシュー講談、SDGs講談など創作多数。さらに文楽や吉本新喜劇、地域の伝統芸能とのコラボ公演も多い。2024年3月三重大学大学院修士課程「忍者・忍術学コース」修了。2024年4月より和歌山大学大学院・観光学研究科後期博士課程にて研究中。 


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