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YouTubeもNetflixもない時代、人々を夢中にさせた“物語り”の芸があった——。“たまたま”講談界に入った四代目・玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)が、知られざる一門の歴史物語をたどります。

玉秀斎が小学校に入ったばかりのころのお話です。近くに住むお兄ちゃんたちが公園の掃除道具入れの中に隠した何か。それを確認するために、誰もいないのを見計らって掃除道具入れの前へとやってきた。
「ようし、開けるでぇ」
ギィーという音とともに開いた扉。
そこにかかっているほうき、ちりとり、ゴミ拾いトング…。
「ない、ないやん。なんもない。なんでや…」
玉秀斎は焦った。
「早くしないと、誰かくるでぇ。やばいなぁ…」
そのとき、思い出した。
「そうや、お兄ちゃんたちはみんな座ってたやん」
お兄ちゃんが座っていた高さまでしゃがむと、そこに現れたのが10センチほどの隙間。
「ここや。待っとれよ。お兄ちゃんたちの隠したもんは一体なんや」
小さな手をその隙間に突っ込んだ。
「なんや、これ? えっ、本?」
つかんだのは漫画本だった。ペラペラとめくると、見たことがない姿勢の人々が描かれ、見たことがないオノマトペが書かれていた。
「なんや、これ。面白ないなぁ。ドキドキしながら探して損したわ」
玉秀斎は、漫画本を元通りに戻すと、家路についた。
「あんな本も、大きくなったら楽しくなるんやろか。大人になるっちゅうのは難しいもんやなぁ」
その日もいつものように晩ご飯を食べ、商店街の銭湯に一直線。
「父ちゃん、どっち行く? 朝日屋? 天満屋?」
「お前、天満屋は例のものが浮いてるって言うてなかったか」
「あぁ~、あれな。結局どっちに浮いてるかはその日次第やねん」
「そら、そうやろな。ほたら、近くの天満屋行こか」
こうして、手前にある天満屋に入った。
脱衣所で服を脱ぐと、浴場へバタバタと駆けて行く。
「走ったら、危ないで。ツルっといくで」
「大丈夫やで~。チョコチョコ走りやったら、こけないねんて」
そう言いながら、勢いよく浴場に入った玉秀斎。案の定、床は濡れ、そこで滑って頭を打った。
「いたっ…」
何度も頭をなで、血が出ていないか確認する。
そこに悠然と現れる父。
「だから言うたやろ。走るなって」
「だって、チョコチョコ走りやったらこけないって学校で言うてたもん」
「学校って、先生ちゃうやろ」
「うん。友達」
「友達の言うこと信じてどうするねん。そんなもん、こんなけヌルヌルの床、走ったらこけるやろ」
「えぇ~、ヌルヌル?」
玉秀斎が指先で床をこすると、
「ホンマや、めっちゃヌルヌルやん」
「せやろ。こんなけヌルヌルやとチョコチョコ走りでも無理や。ツルっていってまう」
「せやな。気をつけるわ」
「ほら、体洗ったら湯にしっかりと浸かるんやで」
「わかった」
「ドボンといったらあかんで」
「えっ、なんでわかったん?」
「お前の考えることぐらいわかるわい。あぁ~、そこの排水溝、グチョグチョで汚いから気ぃつけて」
「わかった」
やっとのことで風呂を出ると、
「何してんねん。はよ拭け。ビチョビチョやないかい」
「だってな、暑いねん」
「そら風呂上がりは暑いわ。熱い湯に入っとるんやから。ほかの人の迷惑になるやろ。床、見てみぃな。床もビチョビチョや。はよ体拭いて、雑巾取ってきぃ」
「わかった」
こうして帰宅し、布団に入った玉秀斎。その夜のことを思い返しながら、講談師になって初めて気づくのでした。講談師にとって何より大切なオノマトペは、あのとき兄ちゃんたちが隠した漫画で学ばなくても、日常の会話の中にすでにあふれていたことを。
玉秀斎少年はこの先、どう“物語りの遺伝子”を目覚めさせていくのか。それは次回のお楽しみ。
■四代目・玉田玉秀斎
ロータリー交換留学生としてスウェーデンに留学中、異文化に触れたことをきっかけに日本文化に興味を持ち、帰国後に講談師としての道を歩み始める。英語による講談や音楽とのコラボレーション、観光地を題材にした講談など、伝統と現代の融合を図る一方、文楽や吉本新喜劇との共演、オーダーメイド講談も精力的に行っている。