【映画コラム】“いい話”も工夫がなければ“いい映画”にはならない『ライオン 25年目のただいま』

2017年4月17日 / 15:13
(C)2016 Long Way Home Holdings Pty Ltd and Screen Australia

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 『ライオン 25年目のただいま』が公開された。5歳の時にインドで迷子になり、後に養子としてオーストラリアで育った青年が、GoogleEarth(グーグルアース)を使って25年ぶりに生家を発見したという実話を基にしている。

 前半はインドのスラム街で展開する。5歳のサルーは、仕事に行く兄を待つ間に、停車中の列車内で眠ってしまい、家から遠く離れた見知らぬ地に運ばれてしまう。

 インドの広大さや庶民の生活の貧しさを知らされるこの前半部では、何とか家の役に立とうと背伸びをするサルーと兄の姿がけなげに映り、涙を誘われるところもあるのだが、それとは対照的に、舞台をオーストラリアに移した、成人後のサルー(デヴ・パテル)は、自らのルーツ探しに熱中するあまり、心優しき養父母(デビッド・ウェンハム、ニコール・キッドマン)や恋人(ルーニー・マーラ)をかえりみない。その姿があまりにも自分勝手に見えて違和感を抱かされる。

 その違和感はどこから生じるのだろうかと考えてみると、例えば、恵まれない環境に育った者が、成長後にアイデンティティーを探すという点で、サルーは、今年度のアカデミー賞で作品賞ほかを受賞した『ムーンライト』の主人公シャロンにも通じるキャラクターだと言えるだろう。

 ところが、麻薬中毒の母親を抱え、自らの性的指向を隠し、麻薬ディーラーに成らざるを得なかったシャロンに比べて、心温かい隣人に恵まれ、何不自由のない生活を送る中でのサルーの葛藤は、ぜいたくな悩みに見えてしまうところがある。さらに、肝心のグーグルアースでの生家探しの描写が雑なので、その先に訪れた“奇跡”のすごさが実感できない。

 という訳で、本作は、まさに事実は小説よりも奇なりの題材を描きながら、残念ながら後半に失速する。それは実話の映画化なのだから仕方がないということではない。いくら“いい話”を見付けてきても、そこに登場人物の描き方や配置、物語のバランス配分といった、劇映画にするための工夫を凝らさなければ“いい映画”にはならないということなのだ。(田中雄二)


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