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主君・武田家の滅亡以来、真田家を率いてしたたかに戦国の世を生き抜いてきた真田昌幸が、ついに第38回「昌幸」でその生涯に幕を下ろした。
豪快さと子どものようなやんちゃぶりを併せ持つそのキャラクターは多くの視聴者を魅了。放送終了後には退場を惜しむ声があふれると共に番組公式サイトには特集ページが設けられ、その人気の高さが改めて伝わってきた。
演じた草刈正雄も、9月18日に長野県上田市で行われたトークショーの模様を収録し、25日にNHK総合(関東甲信越、沖縄を除く九州地域)で放送された「真田丸スペシャル in 信州」で、「僕にとってはナンバーワンの作品です」とうれしそうに語っていた。
ファンから支持され、演じた本人にも大きな満足感を与えた真田昌幸。40年を越える草刈の俳優人生を振り返ってみると、この役との出会いは必然だったようにも思えてくる。
1970年、モデルとしてデビューした草刈は、間もなく俳優に転向すると、日本人離れした顔立ちと185センチの高身長が醸し出すクールな雰囲気が受けて人気が爆発。「華麗なる刑事」(77)、『復活の日』(80)、『汚れた英雄』(82)といった作品に次々と主演する。余談ながら、74年の『エスパイ』では、「真田丸」で本多忠勝を演じた藤岡弘、とも共演している。
そして、「真田丸」出演で改めて注目を集めた「真田太平記」(85)で真田幸村(信繁)を演じた。昌幸役は丹波哲郎。草刈はインタビューなどで、自身の昌幸の演技に「丹波さんの影響が出ている」と語っている。だが、抑えた話し方と二枚目らしいクールな雰囲気が持ち味だった当時の草刈を知る人なら、まさか30年後に昌幸を演じるなど、想像もしなかったに違いない。それほど当時の演技は、現在とはかけ離れたものだった。
昨年放送された「民王」(テレビ朝日系)など、最近はコミカルな演技がすっかり板についた草刈だが、その転機となったのは78年ごろ。出演した映画『火の鳥』の市川崑監督から「コメディーが向いているかもしれない」と言われたことなどがきっかけだった。その直後に『病院坂の首縊りの家』(79)で、名探偵・金田一耕助(石坂浩二)の助手役で二枚目半のコミカルな演技を披露しているが、この役は原作には登場せず、市川監督が草刈のために作ったものだった。
さらに、90年代に入ると草刈は舞台にも進出。ベテラン俳優たちのインタビュー本『役者は一日にしてならず』(春日太一著/小学館)で、この時、演出家からの指示で発声の勉強をしたことで、声が出るようになったと語っている。その舞台出演も、映像の仕事が減った時期だったこともあり、「挑戦してみようと思って」行動した結果だったという。
デビュー直後には持ち合わせていなかった豪快さとコミカルな味わいを生かした真田昌幸という役。その出会いは、草刈がさまざまな葛藤を乗り越えながら俳優という仕事を続けてきた結果が導き出した答えだった。
戦国の世をしぶとく生き抜きながらも、最後は高野山に幽閉されたまま生涯を終えた昌幸。だが、草刈の俳優人生は、この真田昌幸という役をきっかけに、さらに輝きを増すに違いない。
(ライター:井上健一):映画を中心に、雑誌やムック、WEBなどでインタビュー、解説記事などを執筆。共著『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)