【映画コラム】映画製作の裏側にあるものを描いた『キューブリックに愛された男』と『キューブリックに魅せられた男』

2019年11月4日 / 07:00

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 一方、『キューブリックに魅せられた男』(17)の主人公であるレオン・ヴィターリは、『バリー・リンドン』に出演後、俳優の道を捨て、自ら志願してキューブリックの助手となった。

 以後、キャスティング、演技指導、プリント・ラボ作業、サウンドミキシング、効果音の製作、字幕と吹き替えの監修、宣伝レイアウトの作成、海外向けの予告編の製作、在庫管理、配送、公開スケジュールや配給の調整…と、キューブリックの映画製作における、あらゆる雑務をこなしていく。レオン自身も「僕はフィルムメーカーではなく、フィルムワーカー(仕事人、奉公人=本作の原題)だ」と語る。

 本作は、そんなレオンの、まるでしもべのようなキューブリックへの奉仕ぶりを追っていくのだが、寝る間も惜しむその行動は明らかに異常に映る。ある者は「レオンの行動を理解するためには、まず、天才で、悪夢で、温かくてよそよそしく、冷たくておおらかで、知の巨人にして、映画に取りつかれた男(キューブリック)が、どう映画を作るかを理解しなければならない。これは大変だ」と語るほどだ。

 そして、そんなレオンの姿を通して、映画作りの中毒性や、人たらしと暴君というキューブリックの二面性が表れてくるあたりが、この映画のユニークなところだ。

 実際、「スタンリーは僕を食べ尽くした」と語り、やせ細り、評価もされず、経済的にも恵まれない、現在のレオンの姿は哀れを誘うが、「でも自分で選んでやったことだから。全力を尽くしたし、後悔はしていない」と語る姿には、先のエミリオ同様、キューブリックと共に過ごした日々や、自らの仕事への矜持が感じられて、救われる思いがする。

 この2本のドキュメンタリーを見ると、映画作りは、レオンやエミリオのような数多くの無名の人々が陰から支えていることを改めて思い知らされる。この2本を見た後に、キューブリックの映画が見たくなるのは、もちろん映画自体の出来が素晴らしいこともあるが、映画の奥にひそむ彼らの仕事ぶりをたたえたい気持ちが湧くからだろう。(田中雄二)

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