【連続テレビ小説コラム】「カムカムエヴリバディ」第20週 3世代100年の物語が裏打ちする「それでも人生は続いていく」という言葉の厚み

2022年3月20日 / 12:35

 「で、何が言いたいかっていうとやな、それでも人生は続いていく。そういうことや」

 NHKで好評放送中の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」。3月14日放送の第93回の冒頭、錠一郎(オダギリジョー)が、トランぺッターの夢を諦めた自身の過去を、娘のひなた(川栄李奈)や息子の桃太郎(青木柚)に打ち明け、その締めくくりとして語った言葉だ。

 さながら「ひなたのファミリーヒストリー」とでも呼ぶべき様相を呈した3月14日~18日の第20週は、この言葉の意味を深く考えさせられる1週間となった。

大月ひなた役の川栄李奈(左)と大月るい役の深津絵里 (C)NHK

 それを象徴したのが、現ヒロイン、ひなたの祖母に当たる初代ヒロイン、安子(上白石萌音)の兄・橘算太(濱田岳)の生きざまだ。

 錠一郎の告白から間もなく、長年行方知れずだった算太が、年老いた姿で安子の娘・るい(深津絵里)の前に現れる。その間どんな生活を送り、どんな道をたどって振付師“サンタ黒須”として映画村と関わるようになったのか、詳しいことは明かされなかった。

 それでも、「わしはもう、50年近う、住所不定じゃ」という算太自身の言葉や、入院していた病院を抜け出してきたという事実から、家族もなく、容易ならざる道を歩んできたことが想像できた。

 その上、「わしが悪いんじゃ。全てわしが。安子は、なんも悪うねえ」と病床でるいに語った言葉や、姿を消したときに安子から預かっていた預金通帳がそのまま遺品の中から出てきた事実からは、安子とるいに迷惑をかけたという後悔も垣間見えた。

 取り返しのつかない過ちを悔いつつ、半世紀近い日々をたった一人で生きてきた算太。その一方で「算太の弔いは、モモケンこと桃山剣之介(尾上菊之助)が、静かに執り行ってくれました」という語りや、以前の映画村での振る舞いからは、ダンサー、振付師としてはある程度、納得のいく結果を得られたようにも見える。

 これらを手掛かりに、劇中で描かれなかったその歩みを想像してみると、波瀾(はらん)万丈の人生が思い浮かんでくる。

 だが、それを「幸せだった」「不幸だった」と、どちらかに結論づけることはできない気がする。時には安子やるいを思って後悔することもあれば、ダンサーや振付師としての人生に満足し、喜びを感じたことがあったかもしれない。それは、算太本人にしか分からない。

 人生とはその繰り返しで、過ちや失敗を経験しても、そこで終わるわけではない。後悔を抱える中で、いかに喜びを見いだし、充実した日々を送れるか。それこそが、錠一郎の語った「それでも人生は続いていく」という言葉の意味するところではないだろうか。

 やがて、算太の最期をみとったるいは、錠一郎の後押しもあり、30年以上連絡を絶っていた亡き父・稔(松村北斗)の実家、自分が生まれ育った岡山の雉真家に一家そろって帰省する。

 そこで年老いた叔父・勇(目黒祐樹)とその妻・雪衣(多岐川裕美)に再会。さらに、街のジャズ喫茶では錠一郎の恩人でもある、亡くなった柳沢定一(世良公則)の息子の健一(世良公則:二役)とその孫・慎一(前野朋哉)にも出会う。

 
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