【アニメコラム】 「人生で大事なことは80年代テレビアニメから教わった」前編

2015年6月29日 / 14:16
(c)高森朝雄・ちばてつや/講談社・TMS

(c)高森朝雄・ちばてつや/講談社・TMS

 「燃えたよ、燃え尽きた。まっ白にな…」

 1981年8月31日に放送されたテレビアニメ「あしたのジョー2」(80~81)の最終回で主人公・矢吹丈が最後に発した名せりふである。当時、小学生だった筆者の胸に、この言葉は突き刺さった。当時を知る者で、このせりふを覚えていない人はまずいないだろう。今回、筆者もこの原稿を書くために数十年ぶりに見直して、自分の人生観の根底にこの言葉があったことに気付いた。それほど影響を受けていたのだ。

 この7月からも新作が続々と放送されるテレビアニメ。その歴史は、63年1月1日に始まった「鉄腕アトム」を起点に連綿と続いてきた。特に80年代は、まさに“テレビアニメ黄金期”と呼ぶにふさわしい時代で、当時10代だった筆者は、その影響を強く受けて育った。テレビアニメから世の中の事を学んだと言っても過言ではない。同世代で似たような経験を持つ人は少なくないだろう。ではなぜ、この時期のテレビアニメがそれほどの影響力を持ち得たのだろうか。前後編に分けて考察してみたい。

 「鉄腕アトム」以降、テレビアニメの制作本数は年々増加。70年代も半ばに入ると「宇宙戦艦ヤマト」(74~75)、続く「機動戦士ガンダム」(79~80)が、劇場版と連動する形でブームを作り出し、「アトム」から約20年を経た80年には年間40本を超えるシリーズが放送されるまでになった。テレビゲームの普及前という時代性もあり、子どもにとってテレビは娯楽の王様だった。テレビをつければ、毎日必ずどこかのチャンネルでアニメを放送しているような状況で、子どもたちはそれを浴びるように見ていたのだ。

 一方、当時のテレビアニメで監督など中心的な役割を担っていたのは、主に40年代に生まれ、アニメの草創期からキャリアを積んできた40代前後のスタッフたち。彼らはテレビアニメを見て育った世代ではなく、必ずしもアニメ制作を志して業界に足を踏み入れたわけではなかった。

 「タッチ」(85~87)の杉井ギサブロー(40年生)のようにもともとアニメ志望の者もいたが、日大芸術学部映画学科を卒業した「機動戦士ガンダム」の富野由悠季(41年生)、漫画家志望だった「あしたのジョー2」の出崎統(43年生)、唐十郎や寺山修司などの近くで演劇に携わっていた「装甲騎兵ボトムズ」(83~84)の高橋良輔(43年生)など、その経歴もさまざまだった。

 そして、視聴者が子どもから青年層まで拡大するのに合わせて、彼らのリアルな体験が作品に反映されるようになった。そこには、彼らが目にしてきた学生運動やベトナム戦争といった時代の記憶に加え、実写映画からの影響が見て取れる。例えば、「機動戦士ガンダム」などの脚本家、星山博之(44年生)は、著書『星山博之のアニメシナリオ教室』の中で、「ガンダム」に登場する女性軍人マチルダ・アジャンは、映画『太陽はひとりぼっち』(62)のモニカ・ビッティから影響を受けたと述べている。

 またこの時期、ブームの到来と共にアニメ雑誌が多数創刊された。これにより、クリエーターとして注目を集めた彼らの言葉が、よりダイレクトに視聴者に伝わるようになったことも挙げておきたい。

 そんな状況下にいた子どもたちが、その影響を受けて育つのはごく自然な事だった。必然的に、身近な大人たちとは異なる価値観や世の中の仕組みを、テレビアニメを通して学ぶことになった。後編では、幾つかの作品を挙げながら、テレビアニメが教えてくれたものを振り返ってみたい。

(ライター:井上健一):映画を中心に、雑誌やムック、WEBなどでインタビュー、解説記事などを執筆。『オールタイム・ベスト 映画遺産 アニメーション篇』(キネマ旬報社)などに参加。

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