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『immersive』というタイトルの通り、シンガー・ソングライターの水咲加奈が9年ぶりに届ける通算2枚目のオリジナル・アルバムは、音楽に没入することによって“情報過多”の社会から抜け出し、“自分だけの世界”に身を置く時間を聴くもの全てに届けようと試みる、静かで力強い意志に貫かれている。コロナ禍の4年間を挟む、2017年から2025年のあいだに制作された全10曲、その全貌が明らかになったのが、3月30日に開催された【『immersive』先行試聴会 in VICTOR Studio 401】だった。
開催場所は、音楽ファンなら誰もが一度は耳にしたことのある老舗、ビクタースタジオ。その中でも、デビュー当時よりサザンオールスターズの数々の名曲が生み出され、いっときはほぼ“専用スタジオ”として使用され、今なお神聖視されている『Studio 401』での開催という点からも、アルバム『immersive』に込めた水咲の覚悟とこだわりの強さがうかがえる。
スタジオのコントロール・ルームに設置されたFostexのラージモニターを通し、『immersive』の立体的な音像をひと足さきに試聴 。その後のトークイベントに登壇したのは、音楽プロデューサーの保本真吾、そしてエンジニアの中山佳敬。水咲加奈とともに『immersive』制作の舞台裏を語ってくれた。
「東京では人も情報も多く、常に気を張って生きているような日々が続いていて。考えすぎてしんどくなる夜、それでもイヤホンをつけ、好きな音楽を流す瞬間だけは、不思議なくらい“無”になれる。音と身体が一体になり、まるで深海へと沈んでいくような、自分が世界の主人公になったような感覚があるんです。そういう体験が、今の情報過多な時代には必要ではないかと。『immersive』には、そんな“音楽と一体になる”感覚を込めようと思いました」
トークの冒頭で、水咲はそう語った。音楽に浸る“没入感”を、深海へと深く潜っていく行為に重ねたこの言葉は、まさに『immersive』という作品の本質を表しているといえよう。
プロデューサーの保本真吾が水咲加奈と出会ったのは、コロナ禍で仕事が激減し、「エンタメって一体誰の、何の役に立つんだろう?」と虚しさを感じていた時期のことだったという。SNSで「こんな時期に、僕と音楽作りたい人なんているのかな?」と投稿したところ、多くの若いアーティストから連絡があり、その中の一人が水咲だった。
「こんなに素晴らしい原石が埋もれているなら、手助けしたい」と感じた保本は、そこから共にアルバム制作をスタート。以来5年間、二人は試行錯誤を繰り返した。「保本さんとは大喧嘩もしつつ、根性だけでここまでやってきました」と笑う水咲。ときに激しくぶつかりながらも、音楽への誠実な姿勢が共鳴し合う。そんな稀有なパートナーシップだったことが、二人のやりとりからも伝わってきた。
トーク中盤では、アルバム制作の具体的な手法についても言及された。オープニング・トラック「シャッター」は、フィルムカメラのシャッター音など日常のノイズ(=SE)をサンプリングし、それを散りばめることによって視覚と聴覚の境界を越え、リスナーを“感覚の海”へと誘う。日常のノイズから一歩退き、自分だけの感性に耳を澄ます、そんな体験の入り口だ。
保本によれば、この曲ではSEにEQを通し、特定の周波数をブーストすることで音程を与える、非常に実験的なアプローチが採用された。“SEを楽器化する”という発想は、“環境音を音楽に変える”というアルバム全体のテーマともリンクしている。
また本作には、80年代に 数多くのヒット曲を手掛けた後藤次利(Ba)、弾き語りや“合奏形態”など様々な表現スタイルでシーンの最前線を牽引する君島大空(Gt)らが参加。オーガニックなバンド・アンサンブルの一部となって、水咲の“歌”を支えている。
例えば石若駿(Dr)や石若の朋友、マーティ・ホロベック(Ba)が参加した「クリスタル」では、クリック(メトロノーム)なしの録音が試みられ、スタジオ録音と自宅録音が混在するという大胆な音像を生み出している。水咲によれば 、デモ段階のテイクをそのまま使用し、その瞬間の空気を封じ込めることを優先したという。「ミスやノイズすら作品の一部として肯定したい」と保本も語っており、彼らが人工的な美しさより“生身の人間らしさ”を目指していることがうかがえた。
機材面でのこだわりも、中山と保本によりディープに語られた。「音楽家」という楽曲では、スティーヴィー・ワンダーやダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスといったモータウン風のサウンドを目指しつつ、現代的な解釈でグルーヴをアップデートさせることに成功。中山エンジニアによるこだわりのドラム録音、例えばスタジオのフロアに直接バウンダリー・マイクを置いて重低音を吸収する手法などが明かされ、会場からは驚きの声が漏れていた。
また、水咲の声を収録するにあたり、ビンテージ・マイクやEQ、アウトボード機材の選定に至るまで、実験と検証が繰り返されたという。特に「音楽家」のレコーディングでは、生ドラムをヒップホップ的に聴かせるため、録音前のマイキング(マイクの設置位置を調整する作業)だけでも数時間を費やしたエピソードが印象的だった。
さらに中山は、「ピアノの録音は特に難しい」としながらも、倍音の拾い方やマイキングの工夫によって、水咲の演奏に寄り添った繊細な音作りを実現したことを明かす。ビンテージ機材のノイズや音の揺れを“欠点”ではなく“味”として活かす哲学を貫き、デジタルによる完璧主義とは一線を画すアナログ志向のものづくりが、『immersive』には随所に散りばめられているのだ。
アルバム全体としては、各楽曲に異なるエンジニアが関わっていることもあり、マスタリング段階では統一感をどう出すかも重要なテーマとなった。音圧を上げると失われてしまうような繊細なローエンドの情報も、スタジオのスピーカーであればしっかりと再生される。まさに『immersive』というタイトル通り、体全体で音を感じられる設計になっている。
本作は、決して水咲自身の“内省”だけにとどまらない。たとえば「舞踏会」では、君島大空とのコラボレーションによって恋愛という妄想の世界を軽やかに肯定し、「鏡よ鏡」ではSNS時代の自己肯定感の揺らぎを鋭く描き出す。どちらも水咲ならではの文学的な詞世界と、緻密に計算されたアレンジが光る。同時に、極めてパーソナルな楽曲も少なくない。「あおい」は自殺未遂を繰り返した親友への鎮魂歌であり、石若駿の繊細なドラムが深い祈りを支える。「終点」は創作に絶望した日々を描いた曲で、誰にも媚びず、自分を信じ抜く覚悟がむき出しで刻まれている。
アルバムに収録された全10曲は、ジャンルもサウンドもバラエティに富んでいる。が、通底しているのは“自分らしく生きてほしい”という一貫したメッセージだ。それは決して押しつけがましくなく、むしろ揺れながら迷いながら、それでも誰かの背中にそっと手を添えるような優しさがある。ラストナンバー「クリスタル」はその象徴ともいえる存在で、不安と決断のはざまで揺れる人の気持ちを、柔らかな光で包み込む。
試聴会の最後には、水咲自身が「この音楽を聴いて、『明日もう一日だけがんばろう』と思えるような作品になれたら嬉しい」と話していた。情報が溢れ、誰もが急かされる時代にあって、自分と世界を見つめ直すための静かな時間。『immersive』は、そんな時間を丁寧に差し出してくれる一枚だ。
なお、5月25日には渋谷WWWにてワンマンライブが開催され、同会場限定でフィジカルCDも販売される予定。こちらは配信とは異なるミックスが施され、未配信のボーナストラックも収録されている。ときに鋭く、ときに脆く、そして美しい。水咲加奈がこの9年間 のすべてを注ぎ込んだ『immersive』は、聴く者の生活にそっと寄り添い、目を閉じた瞬間に別の世界へと誘う。聴くたびに新しい感情が立ち上がる“感覚の結晶”ともいえる一枚だ。
Text:黒田隆憲
Photo:林孝輔
◎リリース情報
アルバム『immersive』
2025/4/16 RELEASE
◎公演情報
【羽化の日】
2025年5月25日(日)
東京・渋谷WWW
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