TOC- Key Person 第30回 –

2023年7月20日 / 10:00

10年続けられた理由としては Hilcrhymeがあったからだと思う

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』。第30回目はHilcrhymeとTOC(ティーオーシー)の2軸でJ-POP&ヒップホップ界を走り続けているTOCが登場。ヒップホップと出会った元剣道少年が、10年以上走り続けられた理由を語ってもらった。
TOC
ティーオーシー:HilcrhymeのMC、自身が主宰するレーベル『DRESS RECORDS』のレーベルヘッド、そして、アイウェアブランド『One Blood』のプロデューサーとして、多角的な活動を展開。Hilcrhymeとしてメジャー進出し、メジャーフィールドにもしっかりと爪痕を残し、スターダムに登っていったが、その活動に飽きたらずソロとしての活動を展開。2013年10月に1stシングル「BirthDay/Atonement」、14年11月にはソロとしての1stアルバム『IN PHASE』をリリースし、ソロとしての活躍の幅を広げていく。その後、ソロMCとしてのTOC、及び『DRESS RECORDS』がユニバーサルJとディールを結び、メジャーとして活動していくことを発表し、16年8月にメジャーデビューシングル「過呼吸」を、18年1月にメジャー第1弾アルバム『SHOWCASE』をドロップ。メジャーフィールドでポップスター/ポップグループとしての存在感とアプローチを形にしたHilcrhyme、Bボーイスタンス/ヒップホップ者としての自意識を強く押しだしたソロ。これまでに培われたふたつの動きがどう展開されていくか興味は尽きない。
二番手の美学みたいなものが ヒップホップには詰まっている

──幼少期は剣道をされていたそうですが、スポーツ少年だったのですか?
「まさにそうでした。部活ひと筋な少年で、18歳まで剣道以外の思い出はないです(笑)。」
──長期休みも剣道場にみんなで集まって練習する毎日だったと。
「小学生の頃は剣道場に通っていて、中学では剣道場と部活を両立していました。中学の大会である程度の成績を出せていたのでスポーツ推薦で高校に入学したんです。地元の上越市から新潟市に越境して学生寮に入り、大会を目指して頑張っていましたね。」
──スポーツ推薦をもらうだけでもすごいことですよね。
「新潟県で二番手の高校でしたが、俺は二番手が好きなんです。二番手から這い上がっていくのが楽しくて。それは今もそうなんですけど。」
──そんなTOCさんが剣道を離れてしまったきっかけは?
「限界を知ったからです(笑)。」
──えっ!? 18歳とかですよね?(笑)
「そうなんですけどね(笑)。中学の頃は自分の限界が見えなかったので、上を目指して頑張っていましたけど、高校に入学してすぐの遠征合宿で限界を知りました。うちの高校の監督が東海大学という強豪校のOBで、顔が広かったから遠征はインターハイ優勝校と一緒にやったんですよ。県でも二番手の学校と強豪校と一緒に合宿をするとまったく相手にならないんですよね(笑)。向こうの下位チームとこっちの選抜メンバーでやっと相手になるみたいな。そこで差を見せつけられたし、さらに2年生になると強い後輩が入ってきて。最近まで中学生だった奴に負けるんですよ。そこで選ばれし者とそれ以外の者という感覚を知ってしまい、自分に“10年間、よく頑張った”と言い聞かせて大学では剣道を辞めました。」
──なるほど。高校で一気にレベルの差を感じたことが要因なんですね。
「まさにそうですね。そして、これまでの青春時代を全て剣道に費やしてきたから、大学は思いっきり遊んで(笑)。その結果、音楽に辿り着いて、そこから自分にとっての剣道が音楽に変わったんです」
──そこまでスポーツひと筋だったとは知らなかったのですが、スポーツ少年がなぜ音楽の道に進んだのかも気になります。大学の学園祭で先輩のライヴを観たことがきっかけでラップを始めたということですが。
「4月に入学して学園祭がある10月まで、めちゃくちゃ遊んだんですよ。絵に描いたような大学生の遊びをやり尽くして(笑)。で、半年経って気づいたのが“そこには何もない”ということでした。何かに打ち込んでいた時が一番充実していたと思った時に、ヒップホップであり、ラップに出会って、それから没頭し続けています。いいタイミングで出会えて良かったです。」
──音楽自体は昔から好きだったのですか?
「音楽自体は大好きでした。ただ、洋楽は全然聴いていなかったです。剣道をやっていた時に保護者なども参加する壮行会があったんですけど、そこで学生は人前で度胸をつけるために必ず一曲歌うという習わしがあって(笑)。その会で俺が歌った時に歌がうまかったらしく、一番拍手がでかかったことを思い出したんです。剣道では褒められることがなかったけど、監督が歌に対してはかなり褒めてくれたことを思い出したので、歌とラップを始めたんです。そうしたらDJが流す曲を覚えるために洋楽を聴かなければならなくなって。」
──ヒップホップだと洋楽は大きなツールになりますからね。
「これまでJ-POPしか聴いていない自分の音楽の幅が、その環境のおかげで一気に広がりました。いろいろな国の音楽も聴いて、それを組み合わせてアウトプットするんですけど、それがとても楽しかったです。」
──J-POPを聴いていて歌を褒められた人が、ヒップホップに出会ったとは言えど、J-POPで歌手になることもできたと思いますが、なぜヒップホップを選ばれたのですか?
「学園祭の先輩のステージに衝撃を受けたのもそうですが、俺が好きな“二番手の美学”みたいなものがヒップホップには一番詰まっているんですよ。つまり、劣等感を持った弱者が強者に立ち向かう姿勢とか、レベルミュージックの魅力に惹かれていって。自分の今までの人生に通ずるものがあったし、当時に流行っていたというのもありますね。Zeebraさんが「MR.DYNAMITE」をリリースして、地上波のテレビに出て勢いもありましたから。」
──そして数年間、ソロ活動を少ししてUSU a.k.a. SQUEZさんに誘われたことでNITE FULL MAKERSに参加されましたが、グループ活動にも興味があったのですか?
「当時のUSUくんは新潟県内のヒップホップ界隈では顔役みたいな存在で、自分にとって手の届かない人だったんです。その人が誘ってくれたことを剣道に当てはめると、まさに強豪校から誘いを受けるみたいなことですよね(笑)。だから、剣道の時と同じように、自分がどこまでやれるかを試してみたい気持ちもあって。ただ、剣道と違ったのは、まったく限界が見えないということ。“俺って、この中でも一番うまくないか?”とか、全国に行っても“俺のほうが全然うまいな”という気持ちになって、“ヒップホップの世界だと俺は負け知らずだ”という感覚があったんです。当時から東京で他のアーティストを見ても負ける気がしなかったし、自信しかなかったんですよね。とにかく歌っている時の自分の無敵感が剣道よりも陶酔できたから、これはいけそうだと思いました。」
──とはいえ、どこかのタイミングで難しさや焦りなどは感じなかったのですか?
「なかったですね。NITE FULL MAKERSの時も自信しかなかったですし、負ける気がしなかったな。」
──メンバー同士、アーティスト同士の喧嘩みたいなことは、TOCさんの周りでありましたか?
「ありましたよ! 喧嘩はありましたが、だいたいは俺は説教をする側に立っていました。“リハーサルをもっとちゃんとやろうよ”みたいなことで怒ったりして。俺はその時には音楽で食っていく意識があったので、その意識が弱かったり薄かったりする奴ともめることがありました。」
──その強い意志は剣道で培ってこられたものなのかもしれませんね。
「ただ、NITE FULL MAKERSは表現に関してはカッコ良い奴らの集まりだったので、そこに対するぶつかりはなかったです。お客さんからお金をもらってやる音楽だし、ビジネスで考えると“もっとちゃんとやろうぜ”という気持ちのぶつかりだけでした。」
──音楽に対してビジネス的な考えが生まれるのが早かったんですね。
「その時の俺は大学生ですからね。」
──自分の活動や自分自身を俯瞰的に見ながら先を考えられる方だからこそ、ファッションブランドやレーベルの立ち上げというビジネスマンとしての一面でも成功されているんだと思います。
「今は十代や学生でも活動して稼げているヒップホップアーティストがいますけど、俺も今みたいにマネタイズする方法がたくさんある環境が当時にあれば、絶対に同じような年齢でもっと成功したはずで。音楽で食える人間と食えない人間の差はそこにあると思いますね。いかにお客さんをお客さんとして見れるかどうかが大切ですから。」
──TOCさんはライヴではもちろん、楽曲やプロモーションでもお客さんを楽しませることを大切にされているので、その思考が大学生の頃からすでに生まれていたんだと思います。
「剣道では大きな成績は残せなかったんですけど、実は俺が一番モテたんですよ。新潟県の剣道界で一番いい女をゲットしていて(笑)。つまり、強くはなかったけど、人を引き込む魅力を持っていたんだと思います(笑)。それは大きなことだし、音楽にも通ずるんです。」
──確かに大切ですよね。意識せずに人を引き込むことは才能のひとつですから。
「もちろん意識はしていましたよ。見せ場と思うところで魅力的な技を出したりして。剣道をやる人としてはダメなんですけど、エンターテイナーとしては正解ですよね(笑)。」
──大正解です(笑)。まさか、この話に剣道時代のTOCさんがつながるとは思いもしませんでした!
「あははは! そうですよね、」
Hilcrhymeを辞めるとしたら TOCも辞める

──そんなTOCさんがヒップホップを始められた2000年代は国内でも一般的に広がりを見せ、数多くのアーティストがテレビ番組などでも活躍し始めていました。これまでのように攻撃的なリリックで突き通すアーティストとJ-POPの要素を取り入れるアーティスト、このふたつに分かれていた気がしましたが、その時代を振り返ってみていかがですか?
「『さんピンCAMP』(1996年7月開催のヒップホップフェス)が夜明けの時期だとしたら、ヒップホップが一気に日の目を浴びたのが2000年初期だと思います。コアなものからポップなものまで多種多様なものが出てきて、地方勢にも日の目が当たる時期でもありましたし、全てが盛り上がっていく時代でしたよね。」
──これまでJ-POPやバンドものを中心に聴いていたリスナーがヒップホップに注目して、インディーズバンドを探すように地方のアーティストに興味を持つようになった気がしますね。
「確かにその時期から地方勢をピックアップするコンピレーションアルバムも増えましたよね。川崎のCLUB CITTA’とかもコンピを出していた気がしますし、レコード屋さんが盛んな時代だったのでピックアップしてくれたりもして。地方にいる自分たちが全国の人の目に触れるようなところに一回でも出ることで、アーティストの意識も高まっていたんです。」
──“あいつが出たから俺も負けない!”という想いが生まれたと。
「そうです。それが勢いづけた大きな要因だと思います。僕らの世代で頭角を現したのは、KEN THE 390、TARO SOUL、COMA-CHIとか。それぞれが続々とデビューしていきましたから。」
──メディアの力は大きいですね。そして、2006年からHilcrhymeの活動もスタートしました。HilcrhymeはラップにJ-POPの要素を取り入れたまさにJ-ラップユニットですが、コアではなくポップなサウンドを選ばれたのには理由がありましたか?
「ありますよ。売れたいというか、より大衆に自分たちを放つためにはメジャーデビューが必須だった。それまでは深夜帯のクラブでずっと歌っていたんですけど、地元の学園祭とか地方テレビ局の祭りとかに出ていくようになったのはマスメディアに向けて放っていきたかったからです。」
──その時から戦略的に活動をされていたんですね。
「深夜帯に限界を感じていたんです。深夜のライヴだと若い人しか来ないので。老若男女に響かせたかったんです。」
──Hilcrhymeはデビュー当時から見ていましたが、そんなに戦略的だと思いませんでした(苦笑)。
「実際に活動していると分かるんです。よく考えたら深夜に歌っているとコンディションが悪い可能性もあるし、まず普通の人は寝ていますから(笑)。ヒップホップは深夜だからこそ生まれた音楽ではありますけど、やはり広がっていくには限界があると。」
──TOCさんはHilcrhymeがスタートして間もなくソロ活動も並行して始められました。ソロでメジャーデビューするまでインディーズで活動し、苦労されたということですが、Hilcrhymeがもっと安定してから始めても良かったと思います。なぜ、苦労する可能性が高いにもかかわらずソロ活動を始めたのですか?
「確かに早い段階でソロをスタートさせたとは思いますね。ただ、僕はすごく欲張りなので、どっちもやりたかったという想いが強かったんです。深夜帯に限界を感じたと言いましたけど、そっちでしかできないこともあったからどっちもやりたかった。それを周りに許してもらえたので、大変でもなく怖くもなかったんですけど…やらなくても良かったかなと思います(笑)。」
──えっ!?(笑)
「ソロ活動を始めて10年経っていますけど、今ではどっちでも良かったと思いますね。」
──でも、当時は大学生の頃にソロで活動して、がむしゃらにもがいていた感覚をもう一度味わいたかったという気持ちもあったんじゃないですか?
「そうです! それがしたかったんですよ。泥臭い活動がしたかったけど、思い返せばやらなくていいんです。なぜなら大学時代にすでに経験していたんですから。わざわざ戻る必要がなかった。だから、どっちでも良かったという結論になりました(笑)。」
──なるほど。ただ、Hilcrhymeがあるのだから同じレコード会社からメジャーでソロ活動をすればいいのに、あえてインディーズで活動を始めたTOCさんを見て、当時の私は“この人は何を考えているんだろう?”と思いましたよ(笑)。
「あははは! 自分でも“何を考えているんだろう?”と思いますね(笑)。DJ KATSUからも“おまえがソロでやりたいことを俺が一緒になってHilcrhymeでやったのに!”と、あとから言われたし。まぁ、それすらも当時は彼に言える関係性ではなかったんですよね。」
──当時はビジネスパートナー目線でのつき合いに近かったと。
「そうなんです。」
──弊誌でもソロ活動10周年作品となるベストアルバム『TOC THE BEST』のインタビューを掲載したばかりなのに、ここで“やらなくても良かった”という言葉が出て、ファンの方は驚くでしょうね。
「そうですよね(笑)。でも、これが言えるようになったのは本当に大きなことです。」
──そうなんですね。ソロ活動を始めた頃は弱音を吐けなかったのですか?
「弱音は吐けなかったです。自分の中で何か大きなものを持たないといけないと思って頑張りましたが、結果的にはその大きなものがなかった。Hilcrhymeも含めて大きなものはあったんですよ。というのも、ソロをやらなかったらHilcrhymeでやっていたとも思って。でも、それはソロをやったからこそ気づいたことなので、決してネガティブな意味での“やらなくても良かった”ではないんです。」
──なるほど。その気持ちもありつつ、Hilcrhymeと並行して10年間続けてこられた要因は何だと思いますか?
「意地だと思います。ただ、ソロでもインディーズとメジャーを経験して出会いがたくさんあったことで、その経験をHilcrhymeに落とし込めましたし、今はひとりで両方の活動をしていますが、ふたつの道に分かれていたものが限りなく近づいていて。そこから生まれるものがある。なので、10年続けられた理由としてはHilcrhymeがあったからだと思います。」
──その経験を体現したのが、昨年のHilcrhymeとTOCのアルバムを同時リリースし、同時にツアーを回ったことですね。
「そうです。だから、単純にHilcrhymeを辞めるとしたらTOCも辞めますね。どっちかを残すということはないんじゃないかな?」
──そう考えると昨年に同時で活動されたのは本当にすごかったです。
「もう、あれが意地の結晶です(笑)。どっちもピンで活動することになっちゃったから、“やる意味があるのか?”という声もあって。だからこそ、どっちも意味があることを提示しなくちゃいけないと思ったのでやりきりました。」
──強い意志を持ってやりきることがすごいです。TOCさんはやりたいことを決めると最後まで諦めない方なんですね。それが“意地”という言葉に表れている気がします。
「まずは行動を起こすこと、衝動的に動くことじゃないですか。頭で考えるよりも動くことが最優先なんです。理由づけはあとからでいいと思っているので。だから、衝動は絶対に逃さないようにしています。それが良いのか悪いのかは分からないですけど…」
──まずはやってみないと分からないということですね。
「Hilcrhymeを始めた時も、ソロ活動を始めた時も衝動で動いていて、そうやって始めたものは今までの人生で絶対に結果が残っている。だから、衝動で動くことは悪くないんです。あとは、それをどうやって続けるのかですよね。やり方や満足する期間は人によって違うと思いますが、俺はソロ活動で10年経って“やったな”と思えました。剣道も10年やって“やったな”と思いましたから。そして、そこで辞めるどうかはその時の満足度や納得度によりますが、TOCはまだまだ満足していないし、納得もしていないのでこれからもやっていきたいですね。」
──では、最後になりますがTOCさんにとってのキーパーソンを挙げるとすると?
「親父ですね。自分の人生の模範的な人だと思うので。」
──ということは、お父さまの性格と似ているんですか?
「いや~、似てほしくはない(笑)。マジで傍若無人だし、厳しい人だったんですよ。溶接業をしていた職人なんですけど、俺の男としてのカッコ良い軸を作ってくれたのは親父なんです。反面教師としても全部が父親の影響を受けていて。俺は3人兄弟の末っ子なんですけど、上のふたりは公務員をしているので、俺だけが個人事業主をしているんですね。親父も個人事業主で自分の腕一本で家族を食わせてきたわけだから、俺は親父と同じことをやっているのかなと思います。」
──似たくはないけど、自然と似ているんですね。
「似たくはないですけどね(笑)。でも、結果的に父親が言っていたことの意味が分かることが、今はすごく多くて。だから、人生を振り返ると僕のキーパーソンは親父しかいないですね。」
取材:岩田知大


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