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昨年7月にリリースされた菊池桃子のアルバム『Shadow』がアナログ盤化。『Shadow -LP edition-』となって3月29日に発売された。アルバム『Shadow』は作曲家・林 哲司プロデュースによる過去曲に、35年振りのタッグとなった林 哲司による新曲2曲を加えた作品で、『Shadow -LP edition-』はLP化にあたって林氏自らが再度選曲したものを収録したという。今週の当コラムではこれらの作品にも収録されている楽曲の初出である『OCEAN SIDE』を紹介する。当時からアイドル作品らしからぬ作風が好事家たちの間でも話題となっていたアルバムだが、昨今のシティポップブームの中、国内で再び再評価されているだけでなく、日本以外からも注目を浴びている作品である。
林 哲司が全ての楽曲を作曲
この邦楽名盤で紹介してきた女性アイドル作品を思い起こすと、トップアイドルの条件として“そこに名伯楽あり”ということは確実にひとつ言えると思う。改めて述べると、松田聖子にとっては松本隆、財津和夫、呉田軽穂(松任谷由実)がそうだし、中森明菜は細野晴臣、玉置浩二、井上陽水といった面々とコンビを組んでいる。薬師丸ひろ子には来生えつこ、来生たかおはもちろんのこと、竹内まりやの存在も見逃せないし、中山美穂に関しては角松敏生の存在が大きいことは間違いなかろう。さらに歴史を遡れば、山口百恵には“作詞:千家和也/作曲:都倉俊一”の時期と“作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童”の時期があったし、桜田淳子には“作詞:阿久悠/作曲:森田公一”の時期あって、“作詞/作曲:中島みゆき”の時期があったことも以前述べさせてもらった。見聞きする人を魅了する才能は女性アイドルには欠かせない要素だが、歌手であるからには作家陣のバックアップもなくてはならないのだ。これもまた過去に述べた通りである。
その観点で菊池桃子を語るのなら、言うまでもなく、彼女の楽曲の最重要人物は林 哲司である。デビューシングル「青春のいじわる」(1984年)から、現時点での最後のシングル作品である12th「ガラスの草原」(1987年)まで、カップリング曲も含めてその楽曲はすべて氏が作曲したものだ(10th「アイドルを探せ」(1987年)までは編曲もすべて氏によるもの)。アルバムも今回紹介する1st『OCEAN SIDE』から4th『ESCAPE FROM DIMENSION』(1987年)まで、その全作曲を林 哲司が手掛けているのだから、こと歌手・菊池桃子の成功ということだけで言えば、それは林 哲司の手腕によるところであったことは疑いようがない事実であろう。
氏は菊池桃子を手掛ける直前に、上田正樹「悲しい色やね」(1982年)、杏里「悲しみがとまらない」(1983年)、中森明菜「北ウイング」(1984年)といったヒット曲を手掛けているし、それ以前にも竹内まりや「SEPTEMBER」(1979年)をはじめ、昨今の世界的シティポップブームの火付け役とも言われている松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me」(1979年)を世に送り出しているのだから、林 哲司の才能もさることながら、氏を菊池桃子の音楽的パートナーに据えた人物(プロデューサーの藤田浩一氏だろうか)の慧眼にも確かなものがあったと言えそうだ。
これは完全に個人的な見解だが、もし菊池桃子のコンポーザーが林 哲司でなかったとしたら、歌手・菊池桃子の評価は間違いなく今とは違ったものとなっていただろう。やや語弊がある言い方をすると、歌手としては成功していなかった可能性すらあるのではないかと感じている。仮に○○○○の作曲だったら…とか、△△△△のプロデュースだったら…とか、なかなか簡単には想像がつかないけれども、少なくともデビュー時に、いわゆるアイドル然とした楽曲を持ってこなかったことは菊池桃子の成功のカギだったようにも思う。彼女の芸能活動の端緒は『パンツの穴』だったことを考えると、歌手としての楽曲も軽めのお色気路線でスタート…なんてことも可能性としてはゼロではなかっただろうし、むしろそっちのほうが自然の方向だったかもしれない。制作サイドはまったくそんなことは考えていなかったのだろうが、万が一にも間違ってそうならなくて本当に良かったと、他人事ながら思うところではある。
当時のアイドルらしからぬAOR
さて、ここからは『OCEAN SIDE』の内容を見ていこう。オープニングM1「OCEAN SIDE」から、今や“シティポップを代表するメロディメーカー”と異名をとる林 哲司らしさ全開で迫る。キラキラとしたシンセサウンドに乗ったギターリフから只者ではない感じだが、そこからEarth, Wind & Fireばりの軽快なホーンセクションが入る。無条件でアガるサウンドである。ブラスアレンジは伝説的ブラスロックバンドのトランぺッター、兼崎順一が担当。これぞ本物の躍動感というべきだろう。チョッパーべースも印象的で、リズムはファンキー。アウトロでは流れるようなサックスが聴こえてくる。誰の楽曲か知らない人に聴かせたら、少なくともアイドルソングとは思わないのではないか(当時からそういう感想を抱いたリスナーもいたそうな…)。AORと言って良かろう。しかも、とても上質なAORである。そのM1のご機嫌なサックスが鳴らされるアウトロがフェードアウトして始まるM2「SHADOW SURFER」は8ビートのアップチューン。歌のメロディーラインは、M1に比べたらアイドル然とした印象ではあるものの、ウエストコースト風のさわやかさを孕んでる。やはり、当時のアイドルソングとは一線を画していたことが感じられる。
M3「BLIND CURVE」がまた絶品。エレクトロファンクというカテゴリーでいいだろうか。硬質で無機質なビートに乗せられつつ、ブラックミュージック的なノリを見せる。M1、M2とは雰囲気が異なり、マイナー調でスリリングさがあるところも実にいい。M4「SUMMER EYES」へのつながりを考えてもベターだ。で、そのM4。2ndシングルでもある、これも屈指の名曲と言ってよかろう。やや暗めのメロディー、コード感が素晴らしいのは間違いないけれど、Bメロからサビへの展開、ラスサビの転調など、聴かせどころをしっかりとわきまえている(という言い方でいいのか?)。林 哲司の職人っぷりを感じさせるに十分な傑作だろう。3rd以降もシングルはしばらくこの落ち着いた雰囲気の路線を踏襲していくけれど、それは「SUMMER EYES」で確かな感触を得たからではないかと想像するほどである。
この『OCEAN SIDE』はアナログ盤ではM1~5が“OCEAN SIDE”、M6~9が“YOUR SIDE”となっていたそうであるが、“OCEAN SIDE”の最後を飾るのがM5「FUTARI NO NIGHT DIVE」。これもちょっと切ない感じのいいメロディーを持った楽曲である。楽器が奏でるアーバンな香りもさることながら、歌の主旋律を支えるコーラスワークがとにかく気持ち良い。特にBメロ。正直言えば、この時点での菊池桃子の歌唱力はまだ危なっかしいところがあったけれども、コーラスがバックアップすることで歌ものとしてしっかりと聴けるようになっていたのではなかろうか。そんなことを思ったところではある。ちなみに、M5以外も見事なコーラスばかりだが、オメガトライブのメンバーが参加している楽曲が多いことは、ファンの間では有名な話だろう。
“YOUR SIDE”はデビューシングルでもあったM6「青春のいじわる」からスタート。サビメロやイントロ前半はわりとアイドル然としているものの、AメロからBメロにかけてはAORを意識していたと思しきアレンジではなかろうか。そのサビやイントロもノスタルジックな雰囲気であって、これはこれでまったく悪くはないとは思う。ただ、デビュー曲だっただけに、“AOR路線でいくのか、それとも、やはりアイドルらしさがあったほうがいいのか”と少しばかり逡巡があったのではなかろうか、そして、その痕跡がサビとイントロに残っているのではなかろうかと、邪推してしまうのは自分だけだろうか。多分、自分だけだろう。
M7「EVENING BREAK」は本作の中では最もアイドル然としたナンバーと言っていいかもしれない。明るいアップチューン。“OCEAN SIDE”とは大分印象が異なる。ただ、さすがにそこまでキャピキャピとした感じはなく、どなたかもおっしゃっていたけれど、ある時期の松田聖子を彷彿させるところではある。また、のちの9thシングル「Say Yes!」(1986年)に通じる気もする。そこから一転、M8「SO MANY DREAMS」は、やはり…というべきか、AORを感じさせるミドルナンバー。キラキラとしたシンセもいいけれど、ギターのアプローチがカッコ良い。間奏のソロはアーバンで、こう言っては何だが、聴く人が聴いたら“アイドルソングでそこまで力を入れんでも…”と思うようなサウンドだろう。そこだけでも、『OCEAN SIDE』、菊池桃子への力の入れようが分かろうというものだと思う。それはアルバムのフィナーレ、M9「I WILL」も同様。ピアノとストリングスがあしらわれたドラマチックなバラードで、アウトロの長さからは、この楽曲が単なる歌ものとして作られていなかったことも分かるし、そこではバンドの演奏のテンションの高さ、熱の入りようも確認できて、本作の只者ではなさを再確認するのであった。
秀逸なジャケットにも注目
『OCEAN SIDE』の歌詞の3分の2は秋元 康によるものだ。秋元氏はこの時期、小泉今日子の「なんてったってアイドル」やとんねるずの楽曲、さらにはおニャン子クラブの一連のナンバーを手掛けていた頃で(正確に言うと、それらが1985年なので、『OCEAN SIDE』はその1年前)、多作で多彩な秋元氏ならではの仕事っぷりが垣間見える。とりわけ、AORに寄せた感じというか、1980年代っぽさがかなり際立っていて面白い。AKBグループや坂道シリーズの作品でも流行の言葉をさらりと入れ込んでくるのが秋元流と言っていいと思うが、その原型と言っても過言ではないかもしれない。
《Friday night 白いBMW止めて/Free way 見つめ合った二人》《右の窓を開ければ/海が近く聞こえて/あなたのシガレット/灰が落ちる》(M3「BLIND CURVE))。
《コテージの窓から広がる/コバルトのリーフが光れば》(M4「SUMMER EYES」)。
《一人だけ ウエットスーツのあなた/少し無口になって 海の中消える》(M5「FUTARI NO NIGHT DIVE」)。
《カブリオのワーゲンが通りすぎて》《L.A.みたいリズムが聞こえるわ》《FEN流してるカフェテラスで/ペリエを飲みながら》(M7「EVENING BREAK」)。
こうして並べるとバブル期の映像をダイジェストを見ているようで何とも味わい深い。今となっては突っ込みどころもなくはないが、時代を象徴する史料と言うべきだろう。
最後に、これは菊池桃子ファンにとっては説明するまでもないだろうが、ジャケットが優れている点を推しておきたい。この時期はまだ、アイドル歌手のジャケット写真と言えば、男女問わず、その歌手のアップの写真がほとんどだった頃。菊池桃子とてシングルではほとんどが顔のアップで、「BOYのテーマ」(1985年)と「Broken Sunset」(1986年)は顔小さめだが、それでもそれが菊池桃子と分かる代物だ。だが、アルバム『OCEAN SIDE』では水着で海面に横たわる彼女の姿。ファンならばそれが菊池桃子だと分かるだろうが、そうでもない人はよく見ても誰か分からないかもしれない。そのくらい構図でありサイズだ。ある意味で大胆と言っていい。このジャケットは当時、相当のインパクトを与えたものだ。この傾向は、2nd『TROPIC of CAPRICORN』(1985年)、3rd『ADVENTURE』(1986年)と続いていく(4th『ESCAPE FROM DIMENSION』ははっきりと顔が見えるので、微妙に違うと思う)。制作スタッフには“大学生が持っていてもおかしくないアルバムを作ろう”という命題があったという。当時はまだアナログ盤の時代。このジャケットならばパッと見にはアイドル作品とは思われないことを意図したのだろう。その目論みは成功したと言えるし、昨今のシティポップのブームにおいて、菊池桃子作品が再評価されていることとも、まったく無縁ではなかろう。
TEXT:帆苅智之
アルバム『OCEAN SIDE』
1984年発表作品
<収録曲>
1.OCEAN SIDE
2.SHADOW SURFER
3.BLIND CURVE
4.SUMMER EYES
5.FUTARI NO NIGHT DIVE
6.青春のいじわる
7.EVENING BREAK
8.SO MANY DREAMS
9.I WILL
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