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YouTubeもNetflixもない時代、人々を夢中にさせた“物語り”の芸があった——。“たまたま”講談界に入った四代目・玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)が、知られざる一門の歴史物語をたどります。
今思えば「あれは誰だったんだろう」というおっちゃんの家に、よく出入りしていました。
何がきっかけで出入りを始めたのかは忘れましたが、いつも開け放たれていたその家に、一人で足を運んでいました。家の中には独特の匂いが漂い、ペンキのペール缶やハケが並んでいました。
そこに行くと、おっちゃんがいつも座っていて、家では食べないような少し変わったお菓子を出してくれました。それを食べ終わると、すぐに帰る。それだけの関係でした。
多分「こんにちは」ぐらいの挨拶はしたと思うのですが、お菓子を食べている間に交わした言葉の記憶が全くありません。おっちゃんに家族の気配はなく、いつも一人でした。そのおっちゃんとは道で会うことはなく、その家でしか出会うことがありませんでした。
親にもそのおっちゃんのことを言いましたが、親は「その人は誰や。そんな人おったかなぁ」と言っただけで、それ以上、何も聞かれませんでした。
近くの公園でもよく遊びました。そこには小さな滑り台があり、父がお土産で買って来てくれた和紙のパラシュートで、何度も何度も飛び降りる。そのたびに頭のなかでは、上空数千メートルからパラシュート降下をしていました。不思議なことに、その公園は人影がまばら。一人で妄想を膨らませ、遊んだ記憶がほとんどです。
たまに近所のお兄ちゃんたちがソフトボールをしていたので、混ぜてもらっていました。一生懸命、球拾いをしました。すると、バッターボックスに立たせてくれて、緩いボールを投げてくれました。バットに当てると必ずセーフになりました。鬼ごっこに加わってもゴマメ(みそっかす)で、鬼になることはありませんでした。
遠くの方で雷が鳴り響くと、お兄ちゃんの誰かが公園のど真ん中に自転車を横倒しにして置き、雷を落ちるのを待っていたこともありました。自転車から離れた場所で雨宿りをしながら、いつ落ちるか、いつ落ちるか、ドキドキしながら待っていました。でも、そんなことで雷は落ちるはずもなく、雨に打たれる自転車をただ眺めているだけでした。頭の中では、「雷が落ちたらどうなるんだろう」「ここにいると危ないかな」「もっと離れようか」「もしも落ちたらジャンプしよう」。そんな妄想ばかりしていました。その頃から妄想癖があったようです。
そんなある日、「お前は来るな。まだ早い」と、お兄ちゃんたちの輪から追い払われたことがありました。仕方なく遠くからじっと見ていると、みんなが何かを一生懸命に見ている。そして、妙なテンションで、公園の隅の掃除道具入れの奥へと、それをしまいました。
「あれはお兄ちゃんたちの宝物や。一体なんや?」
僕の好奇心は一気に高まりました。お兄ちゃんたちが公園を去り、再び一人きりの公園になるのを待つのでした。
この続きはまた次回。
■四代目・玉田玉秀斎
ロータリー交換留学生としてスウェーデンに留学中、異文化に触れたことをきっかけに日本文化に興味を持ち、帰国後に講談師としての道を歩み始める。英語による講談や音楽とのコラボレーション、観光地を題材にした講談など、伝統と現代の融合を図る一方、文楽や吉本新喜劇との共演、オーダーメイド講談も精力的に行っている。