ニューヨーク・ドールズのフロントマン、デヴィッド・ヨハンセンが75歳で死去

2025年3月3日 / 15:45

 パンクの先駆者的グループ、ニューヨーク・ドールズのフロントマンで、ソロとしても別人格のバスター・ポインデクスターとして「Hot Hot Hot」の大ヒットを飛ばしたデヴィッド・ヨハンセンが死去した。享年75歳だった。

 彼の代理人は、米ビルボードに寄せた声明で、「デヴィッド・ヨハンセンは金曜の午後、妻のマーラ・ヘネシーと娘のリアと手をつなぎ、音楽と花と愛に囲まれながら、ニューヨークの自宅で亡くなりました。約10年間の闘病生活の末の自然死でした」と述べた。

 パンクのパイオニアであるヨハンセンは、2月初旬にステージ4のガンと脳腫瘍と闘っていることを公表していた。彼は2020年に癌と診断され、2024年11月に背骨を2か所で折る転倒事故に遭った後に自身の体験を公表することを決意した。

 俳優としても活躍し、『3人のゴースト』(原題:Scrooged)などの映画や『OZ/オズ』などのテレビ番組に出演していたヨハンセンは、「長い間病気と付き合いながら、それでも楽しみ、友人や家族と会い、生活を続けてきましたが、感謝祭の翌日に転倒したことで私たちは本当に衰弱の新たなレベルにまで追い込まれました。これは私がこれまでの人生で経験した中で最悪の痛みです。私はこれまで人に助けを求めるような人間ではなかったが、これは緊急事態です。ありがとうございます」と明かしていた。

 彼の家族は当時、継続中の彼の治療費を調達するために、彼の名前で“スウィート・リリーフ基金”を立ち上げた。「母のマーラと同様に、彼は通常非常にプライベートな人であるため、これまで診断結果を公表したことはありませんでしたが、家族が直面している深刻な経済的負担を考慮し、今こそこの事実を共有すべきだと感じました」と、娘のリアは募金活動のページに記していた。

 ニューヨーク・ドールズの存在がなければ、70年代のニューヨークがパンクやニュー・ウェイヴ音楽の震源地とはなっていなかっただろう。70年代初頭に複雑化し、概念的になっていたロック・ミュージックよりも、シンプルでラフなロックンロールを好んだニューヨーク・ドールズは、技術的な熟練やプロ意識の欠如を、その偉そうな態度、ジェンダーの境界を越えたファッション(女性用衣服とハイヒール)、そして大量の口紅で補った。

 米スタテン島生まれのヨハンセンは1971年に同バンドに加入し、その年のクリスマスイブにホームレス保護施設でグループのメンバーとして初めてのライブを行った。1972年にはマンハッタン周辺でライブ活動を行い、何か新しいものを求めていた若くて不満を抱えた観客やニューヨークのアート関係者の間で人気を着実に高めていった。ヨハンセンはレッグス・マクニールとジリアン・マッケインによるパンクの必読書『プリーズ・キル・ミー』で、「オーティス・レディングの曲や、ソニー・ボーイ・ウィリアムソンの曲、アーチー・ベル&ザ・ドレルズの曲をよく演奏した。(マーサー・アーツ・センターの)観客はかなり堕落していたので、僕らも彼らに合わせなければならなかった。スリーピースのスーツを着てあんな連中を楽しませることはできなかった。彼らは支払った分だけの価値のあるものを求めていた。そして僕らは対立を辞さなかった。とてもヒリヒリしていた」と語っていた。

 1973年にリリースされたセルフタイトル・アルバムは、50年代のストレートでブルースを基調としたロックンロールを、荒々しく、あざとく彼らなりに解釈し見事に凝縮した作品だ。「Personality Crisis」は、注目を集めるために修羅場をでっちあげる自己中心的な人々の荒々しく滑稽な風刺で、半世紀前の今も変わらず真実を突いている。「Looking for a Kiss」は シャングリラスへの気の利いた言及で始まり、彼らはリリシズムで有名ではなかったものの、「Frankenstein」は70年代のぎくしゃくして混乱していた寄せ集めのニューヨークを巧みに表現した比喩となっている。

 無数のパンク、グラムロック、ヘヴィメタルのバンドやモリッシー(テレビでニューヨーク・ドールズを見たことが人生の転機だったと語っている)にインスピレーションを与えたにもかかわらず、ニューヨーク・ドールズのデビュー・アルバムは米ビルボード・アルバム・チャート“Billboard 200”で116位に留まり、その次のアルバム『悪徳のジャングル』(原題:In Too Much Too Soon、またしても傑作)は167位が最高だった。バンドは70年代半ばに解散したが、熱狂的なファンのモリッシーの尽力もあり、2000年代に再結成を果たし、再結成ライブを何度か行った後、スタジオ入りして3枚のアルバム、『反逆という名の伝説』(原題:One Day It Will Please Us to Remember Even This、2006年)、『コーズ・アイ・セッズ・ソー』(2009年)、『ダンシング・バックワード・イン・ハイ・ヒールズ』(2011年)を制作し、高い評価を得た。

 ヨハンセンは2021年の米ビルボードのインタビューで、2011年のバワリー・ボールルームでのバンド再結成ライブについて、「なんだかめちゃくちゃだったけれど、楽しかったよ。自分たちも楽しんだし、地元の観客も素晴らしかった」と語っていた。(2011年3月のバワリー・ボールルームでのライブで「Personality Crisis」の熱演を披露した後、ヨハンセンは観客に「ファシストに気をつけろ」と警告した。)「シル(シルヴェイン・シルヴェイン。2021年に死去したドールズのギタリスト兼ピアニスト)と僕は27年間ほど休んでいたんだけど、モリッシーがキュレーションしたロンドンの【メルトダウン】フェスティバルで1回だけライブをやるために再結成した。1回だけやるために集まったんだけど、それが何年も続くツアーに発展したんだ」と彼は述べていた。

 ヨハンセンは1978年から1984年の間に4枚のソロ・アルバムをリリースしたが、そのうち最初の3枚にはニューヨーク・ドールズのメンバーが何らかの形で参加していた。 自身の名を冠したソロ・デビュー・アルバムでは、ドールズのロックを少し洗練させたバージョンを提供していたが(「Funky But Chic」は素晴らしい)、その次のアルバム『イン・スタイル』ではディスコの試みを始め(「Swaheto Woman」)、1981年の『ヒア・カムズ・ザ・ナイト』では自身のロックのパレットを現代風にアレンジし、1987年の『バスター・ポインデクスター』で商業的に大成功を収める下地を作った。『バスター・ポインデクスター』は、マティーニをがぶ飲みするバーの常連客のような別人格、バスター・ポインデクスターのデビューLPだ。

 ヨハンセンは、初期のロックよりもさらに遡り、誇張された、ボードビリアン的なスパイスを効かせたジャンプ・ブルース、カリブのリズム、ラウンジ・ジャズ・ポップを融合させた。 彼のカバーしたカリプソの楽曲「Hot Hot Hot」は予想外のヒットとなり、MTVでヘビーローテーションされ、米ビルボード・ソング・チャート“Hot 100″で45位を記録した。妥協を許さない性格のヨハンセンは、この最大のヒット曲を嫌うようになった。このことは、彼の熱狂的なファンであるマーティン・スコセッシとデヴィッド・テデスキが共同監督を務めた2023年のドキュメンタリー映画『Personality Crisis: One Night Only』でも触れられている。


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