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またも衝撃的なニュースが飛び込んできた。当サイト既報の通り、DER ZIBETのISSAY(Vo)が8月5日に不慮の事故により死去していたことが発表された。いわゆるビジュアル系というカテゴリもなかった1980年代半ば、その原型にもなったと言えるデカダンスな世界観を標榜したバンドのヴォーカリスト。BUCK-TICKの櫻井敦司を始め、ファンを公言している後半アーティストも多く、彼らより下の世代のリスナーにもその存在は広く知られているだろう。この度の訃報に際し、即日当サイト・編集長より“手元にあるDER ZIBETのアルバムはベストと『思春期I&II-UPPER SIDE-DOWNER SIDE-』だけなのですが、とりあえずお送りしておきます”と音源が届いた。ISSAY追悼の意味を込めて、『思春期I&II-UPPER SIDE-DOWNER SIDE-』…つまり、『思春期』2部作を速攻解説する。
思春期をポジティブに捉える
DER ZIBETは日本初のデカダンスバンドとして語られている。デカダンス(=décadence)とは退廃、衰退と訳されて、[特に文化史上で、19世紀末に既成のキリスト教的価値観に懐疑的で、芸術至上主義的な立場の一派に対して使われ]、そこから道徳的に堕落していることをも指す([]はWikipediaからの引用)。その観点からすると、DER ZIBETをご存じない方の中には、さぞかし教育上悪いバンドと思われる方もいらっしゃるかもしれない。ちなみに、今回紹介する2作品以前のDER ZIBETのアルバムは『HOMO DEMENS』で、これはラテン語で“狂った人間”“錯乱したヒト”という意味なので、その作品名からも少しばかり危ない匂いがする。まぁ、元来ロックバンドは大なり小なり教育上よろしくないわけだし、デカダンスで危ない感じだからと言って、極端に忌み嫌う人が21世紀の今、大量にいるとも思わないのだが、もしそんな人がいるのなら、避けて通るのは『思春期I -Upper Side-』&『思春期II -Downer Side-』を聴いてからにしてほしい。そこは強調しておきたい。
今回、この2作を一気に聴いた(とはいえ、ミニアルバム×2なのでそれほど長時間ではないのだが…)。これはかなり前向きでかなり赤裸々な作品である。DER ZIBETはそのデカダンスな方向性からV系の元祖とも言われているようでもある。その耽美な世界観はどこか浮世離れしたものと見られることもあろう。しかし、この2作品には人間味がある。いや、人間味しかない。“人間臭い”と言い切ってもよかろう。ロックバンドはかくあらねばならないと思うし、音楽に限らず、こういう作品を作るのがアーティストなのだとすら思う。まさに渾身のアルバムと言える。
本作を前向きと評したのは簡単な話で、それは歌詞を見れば明らかだ。歌詞の解釈は聴く人それぞれだろうし、場合によってはその作者ですらどう受け取っていいか分からないものもあると聞くけれど、この作品に関しては、ポジティブにしか受け取れないものばかりと言っていいと思う。“Upper”とサブタイトルが付けられている『I』のみならず、“Downer”な『II』もそうであるから、これはかなり意図的にポジティブを指向したのだろう。本作は『思春期』というタイトルがまずあって、そこからの発想で作られたともいうから、ISSAYにとって“思春期”は前向きな想いを呼び起こすものだったとも考えられる。とりわけ気になったのは以下の楽曲の歌詞。
《この地獄の季節を僕と駆け抜けてくれないか/何も持たずに今を抱きしめてくれ》《傷つく事も捨てる事もなく欲しがるのは悪いクセさ/何も持たずに僕とかけ抜けてくれ》(I :M1「VICTORIA」)。
《Hey Now Boy 聞こえているかい?/おまえの中の 軋んでる声が/Hey Now Boy 希望と絶望を/ポケットにつめ込み 家を出ていこう/寝静まってる 街中は/きっと冷たく優しいさ》(I :M3「SWING IN HEAVEN」)。
《1 2 3 Forever now/Bad Lemon が弾けて/うぶ声をあげる時が来た/七番目の天使といっしょに昇りつめたいのさ/快楽の虫が脱皮してエクスタシーばらまく/何もかも思いのまま Yeah Yeah Yeah/太陽がいっぱいさ Yeah Yeah Yeah》(I:M5「七番目の天使」)。
《朝もやの中を/オレンジ色のバスに乗り/橋を渡るのさ/どこまでも》《これで終りさ 短かく熱い季節も/きのうと違う風が吹き抜けた》(I:M7「SEASON」)。
《街を越えて/雲を越えて/歌が鳴ってた/空の上/響いてた/チョコレート ドリーム/チョコレート ドリーム/チョコレート ドリーム/マーマレードの空の下で君に会いたい》《こんなに何もないからっぽな自由が好きだ》(II:M1「Chocolate Dream」)。
《にぎやかな通りをさけながら/狂いはじめた時間を歩いて行こう/忘れかけた痛み握りしめて/君のドアをノックするのさ》《雨あがりの日曜/そっと君をむかえに行こう/涙の枯れた日曜/風に乗って魂になった君を》《終らない季節へと/二人きりで旅をしに行こう》(II:M5「雨あがりの日曜」)。
《新しい風が吹いてきたから/果てしない道を歩きはじめる/きのうより少し大きくなった体で/まっすぐ ゆっくり 振りむかずに》(II:M7「Good-bye Friend」)。
《地獄の季節》や《軋んでる声》、《忘れかけた痛み》など歌詞の背後には艱難辛苦があるわけで、むやみやたらにポジティブ全開というわけでもない様子ではある。だが、それらを認めつつも、駆け抜けたり、家を出たり、脱皮したり、橋を渡ったりと、ここではない場所であり、ネクストレベルであるを目指す姿勢が徹底的に描かれている。M7では《振りむかずに》と言い切っているのも象徴的ではある。こうしたポジティブな歌詞は、作詞者であるISSAYが自身の思春期を回想したものなのか、あるいは当時まさに思春期の真っ只中にいたリスナーに向けたメッセージだったのかは分からない。しかしながら、発表から30年以上経った今も多くの人が共感するに違いない汎用性があることも注目に値すると思う。
ISSAY自身の思春期を独白
ポジティブな内容の一方で、その逆に、本作には自身を回顧したと思しき歌詞も見受けられる。先に“かなり赤裸々な作品”と言ったのはそこである。とりわけ以下の2曲は少し衝撃的ですらある。
《コーヒーカップの中はにぎやかな舞踏会場/カラのカセットテープが巻きついて僕をはなさない/銀色のノイズがマーク・ボランからのプレゼント/消えて行こうよこのままセロファンの花の中に》《17才の時のビッグバン/途方にくれてる僕がいた》《12才の時のビッグクランチ/僕は生まれた事を憎んでた》(II:M3「4-D Visionのらせん階段」)。
《忘れたりしないさ壊れていきそうだった自分を/ノートからこぼれたコトバはため息をついてた/ママとパパはいつもケンカしていた/部屋の中で夢ばかり見ている僕の事を》《忘れたりしないさ不良にすらなれなかった自分を/あてのない夜道をふらふらしていたあの頃を/何をすればいいのか分らなくて/いつだって未来は手垢にまみれて僕はとり残されてた》(II:M7「Good-bye Friend」)。
これらもまた、すなわちISSAY自身の体験だけを完全ノンフィクションでしたためたわけでもないとは思う。装飾もそれなりにあるだろう。だが、本作『思春期』の制作時、彼はたまたま実家に戻る機会があり、その際、自分の部屋に閉じこもって歌詞を書き上げたというから、ドキュメンタリーに近いものではあるようだ。タイトルになぞらえれば、この内容は己の思春期(前後)に起こったことだろう。そうだとすると、《僕は生まれた事を憎んでた》や《壊れていきそうだった自分》といった描写は赤裸々どころではなく、カミングアウトと言ってもいいほどだ。ともに“Downer Side”に収録されているのは納得…というのも変な言い方だが、閉塞感が漂うばかりである。
単に鬱々とした告白だけでなく、ほんのわずかだが希望を見出せるところがこれらの歌詞の大きなポイントであろうし、ひいては本作の重要点と言えるだろう。すばりII:M3の《銀色のノイズがマーク・ボランからのプレゼント》がその希望だろうし、具体的な物言いではないものの、《部屋の中で夢ばかり見ている僕》も希望を感じさせるものだろう。Marc Bolan、T Rex──グラムロックが、それまで《生まれた事を憎》み、《途方にくれてる僕》をその場から逃がしてくれたのは間違いない。事実、ISSAYの音楽ルーツにはグラムロックがあったことを彼は公言しているし、本作で言えば、I:M3「SWING IN HEAVEN」でグラム色を感じ取れるところではある。
リスペクトとオリジナリティー
グラムロックの話が出たので、最後に本作のサウンドについても触れておこう。ダークなダンスナンバーであるI:M2「月の炎」の繊細なギターや、I:M4「からっぽの叫び声」でのエッジーなギターと激しいベースラインのアンサンブルなどは、ポジパンやインダストリアルなどに通じる要素が感じられる。V系の元祖と言われるのも納得のバンドサウンドである。また、『II』では、II:M1「Chocolate Dream」でのシタール(シンセかもしれない)と民族音楽的パーカッション、II:M3「4-D Visionのらせん階段」でも幻想的なギター、II:M4「水の中の子守唄」でのリバースと、いわゆるサイケデリックロックの要素をあしらっているのも興味深い(『II』のサブタイトル“Downer”はおそらくこのサイケから来たものだろう)。
そうは言っても1960年代のロックをそのまま展開するのではなく、リスペクトはしっかりと残しつつも、DER ZIBETならでは…と言える独自の解釈を随所で聴くことができるところがポイントだろう。どこかで聴いたような気がしないでもないけれど、よくよく聴くと、他に聴いたことはない。そんな文字通り比類なき楽曲が並ぶ。個人的に最も注目したのはII:M5「雨あがりの日曜」。不思議な音色のギターが鳴らされるイントロからして雰囲気がある。少しいなたい感じの、1960年代前半の洋楽ポップス的というか、コーラスを含めてどこかGS的にも思えるサビメロも面白いのだが、そこからネオアコ的なサウンドに展開するところは意表を突かれる。さらに間奏では管楽器が聴こえてくる(サックスに似た感じのシンセかもしれない)。AORに似た感じだが、そこまでアーバンではなく、もうホント独特としか言えないアプローチなのである。どうしてこういうことを考えたのだろうか。凡人の思考を超えてる。II:M7の歌詞を借りるなら、そうした手法の背後には《手垢にまみれ》ことはやらないという意思表示が隠れていると受け取ることも出来る。
こうしたサウンドメイキングはHIKARU(Gu)、HAL(Ba)、MAYUMI(Dr)の力量によるところも大きいのは間違いない。HIKARUのギターはDER ZIBETのもうひとつの主役。前述の通り、のちのバンドに少なからず影響を及ぼしたと思われる個性的かつ多彩なプレイだ。II:M2「WINTER WALTZ」では綺麗なアコギを弾き、M7「Good-bye Friend」の間奏ではいわゆる泣きのギターソロを聴かせているし、器用なテクニシャンなのだろう。そうしやギターも、それを支えるリズム隊の確かなプレイはあってこそで、それが巧みに合わさっているからこそのDER ZIBETサウンドのような気がしてならない。個人的には強くそう思う。とりわけベースラインがどの楽曲も素晴らしい。堅実なプレイであり、これもまたこのバンドの聴きどころとして推したいところである。I:M1「VICTORIA」やI:M5「七番目の天使」、II:M7辺りではオールドスクールなR&Rを感じさせるところもある。この辺はアルバムタイトルに由来したものかもしれない。いずれにしても、DER ZIBETが多様性を持ったバンドであることは、『思春期』2部作でもはっきりと示していると思う。
TEXT:帆苅智之
アルバム『思春期I -Upper Side-』
1991年発表作品
<収録曲>
1.VICTORIA
2.月の炎
3.SWING IN HEAVEN
4.からっぽの叫び声
5.七番目の天使
6.WINTER WALTZ II
7.SEASON
アルバム『思春期II -Downer Side-』
1991年発表作品
<収録曲>
1.Chocolate Dream
2.WINTER WALTZ
3.4-D Visionのらせん階段
4.水の中の子守唄
5.雨あがりの日曜
6.マスカレード
7. Good-bye Friend
8.水の中の子守唄 -Reprise-
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