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ザ・バーズやクロスビー・スティルス&ナッシュの創設者、デヴィッド・クロスビーが死去した。享年81歳だった。彼の死について、家族に近い関係者が米ビルボードに認めた。死因は明らかにされていない。
【ロックの殿堂】入りを2度果たしたクロスビーは、ザ・バーズ、クロスビー・スティルス&ナッシュ(CSN)、そしてクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSNY)のメンバーとして、60年以上にわたりフォーク・ロック・シーンの中心的人物だった。ソロ活動も盛んで、特に近年は猛烈とも言えるペースで新曲を発表していた。
同時代のミュージシャンやかつてのバンド仲間が、SNSを通じて彼の才能を称えている。グラハム・ナッシュはインスタグラムに、「友人のデヴィッド・クロスビーが亡くなったことを知り、心から深い悲しみに包まれています。私たちの関係は、時に不安定だったことが注目されがちですが、デヴィッドと私にとって何よりも重要だったのは、共に創り上げた音楽の純粋な喜び、共に発見したサウンド、そして長い年月を共にした深い友情でした。デヴィッドは人生においても音楽においても大胆不敵でした。彼はこの世に、純粋な人格と才能という点で、とてつもない喪失感を残しています。彼は美しい音楽を通して自分の考え、心、そして情熱を語り、素晴らしいレガシーを残してくれました。これらが最も重要なことです。私の心は彼の奥さんのジャン、息子のジャンゴ、そして彼がこの世で触れた全ての人たちと共にあります」と追悼した。
ブライアン・ウィルソンは、「デヴィッド・クロスビーのことを聞いて心から悲しいという以外に、何と言えばいいのか分かりません。デヴィッドは信じられないほどの才能の持ち主で、とても素晴らしいシンガーでありソングライターでした。そして素晴らしい人でした。ただただ言葉を失うばかりです。デヴィッドの家族と友人に愛と慈悲を」とツイートした。
米ロサンゼルス出身で、【アカデミー賞】受賞撮影監督フロイド・クロスビーの息子であるデヴィッド・クロスビーは、1964年にザ・バーズに加入した。じゃんじゃん鳴るギターと重なり合うハーモニーで知られるこのバンドは、1965年に、ボブ・ディラン作曲の「ミスター・タンブリン・マン」とピート・シーガーの「ターン!ターン!ターン!」のカヴァーで米ビルボード・ソング・チャート“Hot 100”で1位を獲得した。
メンバーのロジャー・マッギンとクリス・ヒルマンとの確執から、クロスビーは1967年にザ・バーズを脱退。1968年にスティーヴン・スティルスとグラハム・ナッシュと出会い、この3人でCSNを結成、1969年8月の【ウッドストック】に出演した。このバンドとしてはたった2度目のライブだった。
セルフタイトルのデビュー・アルバムは、“Hot 100”のTOP40に入る2つのヒット曲「組曲: 青い眼のジュディ」(21位)と「マラケッシュ行急行」(28位)を生み、このトリオは1969年に【グラミー賞】の<最優秀新人賞>を受賞した。ちなみに、【グラミー賞】の歴史上、<最優秀新人賞>に2度ノミネートされたことがあるのは、クロスビーを含めて2人だけだ(もう一人はエマーソン・レイク&パーマーのカール・パーマー)。彼はCSNで受賞する以前に、ザ・バーズの一員としてこの賞にノミネートされていた(1965年)。
1969年にはニール・ヤングがトリオに加わり、1970年のアルバム『デジャ・ヴ』は米ビルボード・アルバム・チャート“Billboard 200”で1位を獲得し、バンドはさらなる高みへ到達した。クロスビーは「グウィニヴィア」、「カット・マイ・ヘア」、「ロング・タイム・ゴーン」、「木の船」などの曲をグループに提供したが、最もよく知られていたのは彼のタイトなハーモニーとリズム・ギター演奏だった。
ザ・バーズ同様に、クロスビーがCSNとCSNYに在籍していた時期も激しい内輪もめが絶えず、1970年にはヤングがバンドを脱退した。スタジオでの口論をコントロールできなかったCSNは1977年までアルバムをリリースしなかったが、『CSN』と題されたこのアルバムからはヒット曲「Just A Song Before I Go」が生まれた。1982年の『Daylight Again』には、「Wasted On the Way」と「Southern Cross」が収録されている。
クロスビーは数十年にわたり薬物依存の問題に苦しんでいた。1985年には薬物所持で刑務所に入り、1994年には肝臓移植を受け、2004年にも薬物と武器所持で短期間刑務所に入っていた。
2019年にキャメロン・クロウが『リメンバー・マイ・ネーム』という、この気難しいロック・アイコンについてのドキュメンタリーを製作した。欠点も含めて全てをさらけ出したこのドキュメンタリーに関するインタビューで、クロスビーは米ビルボードに対し、ザ・バーズのバンド仲間だったマッギンが彼のことを“鼻持ちならない”と述べたのは当然であるという理由を説明していた。
当時彼は、「自分は喧嘩腰になることもある。意固地だ。それでもいいんだ」と認め、「バンドとしてそういう関係になると、結婚みたいなものだ……最初はお互いを愛しているし、お互いの音楽を愛している。それをしているのが楽しくて仕方なくて、音楽を演奏するたびに、ほかのメンバーとの間に兄弟愛を感じるんだ。ニール(・ヤング)、グラハム(・ナッシュ)、スティーヴン(・スティルス)のCSNYは、(メンバー同士が)負けず嫌いなバンドだった。協力的な負けず嫌いじゃないよ。あと、お互いに何度も何度も、不親切で不誠実な、最悪なことをしていたよ」と振り返っていた。
ナッシュとヤングはクロスビーとの連絡を絶ち、彼の死の時点でも和解していなかったと考えられていた。スティルスはまだクロスビーと連絡を取り合っていたようで、昨年夏、米ビルボードに、“少し前に”元バンド仲間と話したことがあると語っていた。
パンデミック時にツアーができないことで大きな打撃を受けたクロスビーは、録音した音楽と出版権を2021年にアーヴィング・エイゾフのアイコニック・アーティスト・グループに売却した。この契約には、彼のソロ作品とグループとの作品の両方が含まれていた。当時彼は声明で、「ライブ活動ができない現状を考えると、この契約は私と家族にとってありがたく、一緒にやっていくには最高の人たちだと信じています」と述べていた。
クロスビーは、自身に残された時間があとわずかかもしれないことを自覚していた。2021年に米音楽メディアConsequenceとのインタビューで彼は、「自分にどれだけの時間があるのか分からない。2週間かもしれないし、10年かもしれない。いわば人生の終盤にいる。それは分かっている。いくら時間があっても、それは重要なことではなくて、その時間をどう使うかが重要なんだ、そうだろ?自分ができる唯一の貢献は、自分が役立てる場所は、もっと音楽を作って、それを本当に上手にやることだと思うんだ。そしてそれをより良いものにするために自分にある時間を費やすこと。もっと音楽を作ろうとするために。だから、そうしているんだ」と語っていた。
Twitterのヘビーユーザーで、しばしば意見を投稿していたクロスビーは、今週火曜日にもツイートしていた。そんな彼は生涯で【グラミー賞】に10回ノミネートされ、『リメンバー・マイ・ネーム』では<最優秀長編ミュージック・ビデオ賞>にもノミネートされたが、CSNで受賞した<最優秀新人賞>が彼の唯一の受賞となった。クロスビーは1991年にMusiCaresの初代<パーソン・オブ・ザ・イヤー>を受賞しており、遺族は妻のジャン、そして息子のジャンゴとジェームズ・レイモンドとのことだ。
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