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2022年も残すところあとわずか。今年もいろいろあった日本の音楽シーンだが、その中でも吉田拓郎の引退は大きく取り上げられて然るべきものだろう。6月にラストアルバム『ah-面白かった』を発表後、7月には、KinKi Kidsと共に司会を務めていた音楽バラエティー番組『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』が放送された。12月には、『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』も最終回となり、50年を超えるラジオパーソナリティとしての歴史も幕を閉じたことも記憶に新しい。今回は、その吉田拓郎(※当時は、よしだたくろう)のアルバム『今はまだ人生を語らず』と、ライヴアルバム集『COMPLETE TAKURO TOUR 1979 完全復刻盤』が復刻リリース。当コラムも改めて吉田拓郎の偉大さを探ってみようと思う。
日本音楽シーンの変革者
吉田拓郎の絶頂期をいつとするかはおそらく議論があるところだとは思うが、氏のシングルで唯一チャート1位となり、自身最大のセールスとなった「旅の宿」のリリースが1972年7月1日である。「旅の宿」は[この週から5週間1位を続けるが、二週目の8月14日付けで『元気です。』がオリコンアルバムチャートで1位を獲得し、以降連続14週(通算15週)トップを独走したため、1972年の8月14日~9月4日まで、拓郎作品がシングル・アルバムの両チャート1位を独占する偉業であった]というから、その1972年をひとつのピークと考えても大きく差し障りはなかろう([]はWikipediaからの引用)。
もう少し広く見て、吉田拓郎の名を世に知らしめた「結婚しようよ」が収録された『人間なんて』の発売が1971年で、森進一に提供した「襟裳岬」が第16回日本レコード大賞を受賞したのが1974年である。さらに言えば、1975年には小室等、井上陽水、泉谷しげると共にレコード会社“フォーライフ・レコード”を設立していて、その年の夏には静岡県掛川市・つま恋で、野外オールナイトコンサート『吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋』を開催しているので、1970年代前半を吉田拓郎の絶頂期と捉えてもいいだろうか。いや、自作のヒットだけでなく、提供曲の大ヒット、新たなレコード会社の設立、さらには今となっては“元祖夏フェス”とも言われる大規模コンサートの開催となると、絶頂期だの何だの言う以上に、吉田拓郎はこの時期、日本の音楽シーンの中心に居て、けん引していたという言い方がぴったり来るのではないかと思う。当コラムは連載初期、メジャーデビュー作『元気です。』を取り上げている。
その中で著者の河崎直人さんは吉田拓郎を指して<“アンダーグラウンド”だと考えられていたフォークが、“オーバーグラウンド”にある歌謡曲と同じ土壌である音楽産業の中に浸透していく瞬間であり、Jポップ誕生のひとつのきっかけであったと僕は思うのだ>と書かれている。シンガーソングライター、アーティストと言う以前に、変革者、革命家と呼ぶに相応しい人物なのかもしれない。
さも“私、拓郎のこと、よく知ってます”みたいな書き出しで始めたけれど、その1970年代前半というと、筆者はまだ物心が付くか付かないかの頃。「襟裳岬」は薄っすら覚えているものの、それを吉田拓郎が作曲したとは思ってもいなかったし、「旅の宿」や「結婚しようよ」を知るのはそこから先のことであった。“フォーライフ・レコード”設立の経緯に至ってはこの仕事を始めてから知った。氏の活躍がどのくらいのものであったのかをリアルタイムで見聴きしていないので、自分の中での吉田拓郎はほとんど“歴史上の人物”枠に入っている。ちなみに総理大臣・田中角栄やサードを守っていた長嶋茂雄もその枠である。なので、斉藤和義「僕の見たビートルズはTVの中」じゃないけれど、自分が知る吉田拓郎は大概文章の中において…ということになる。後年、熱心に音源を聴いていたわけでもないので、音楽性に対する知識も先達の評論から仕入れたものがほとんどである。
ここでまた河崎直人さんのコラムを引用させていただく。<拓郎登場以前のフォークは、社会性を持つものや、思想的な主張を歌に乗せることが大切だと考えられていたが、拓郎が登場してからは、個人的な心情や、男女間についてなど、よりパーソナルな内容を歌うことのほうが大切だというように変わっていく><フォークに“意味”や“思想”を求めていた、これまでの旧世代のファンではなく、歌のバックボーンにこだわりを持たない、フォークを新しい歌謡曲の一種として受け止める、新世代のリスナーを拓郎が獲得した(中略)。絵空事のような歌謡曲が時代にそぐわなくなったのと同様に、反体制を売り物にしたフォークも古くなってしまっていただけに、一般大衆は吉田拓郎を選択したのである>。自分が抱く吉田拓郎のイメージもまさにこれである。吉田拓郎以前のフォークソングはプロテスト寄りで、以後は、さすがに軽佻浮薄とまでは言わないけれど、社会への主義主張のない楽曲が中心となったと教わった気がする。「結婚しようよ」や「旅の宿」もそのカテゴリーに当てはまると思っていたのである。しかし、イメージの大掴みの何と危険なことか。
今回、『今はまだ人生を語らず』を聴いて、それを痛感して反省したし、吉田拓郎に対する個人的な印象は大分改まった。少なくとも“吉田拓郎以前=硬派、吉田以後=軟派”と単純化されるものではない。先輩方から“今さら言うな!”と叱られる話ではあると思うが、それは覚悟の上。以下、筆者が本作『今はまだ人生を語らず』から感じた、言わば“社会派・吉田拓郎”を抽出してみたいと思う。(本稿の<>はすべて当コーナーで2014年4月に掲載された河崎直人さんのコラムから引用。是非こちらもお読みください)
歌詞から滲む政治性と社会性
オープニング、M1「ペニーレインでバーボン」は2本のエレキギターが絡むイントロからして、ビートも前のめりだし、ポップなフォークロックといった印象。メロディに対して歌詞の文字数を制限しない歌い方も当然ながら健在で(このスタイルを“字余り字足らずソング”と呼ぶそうな…)、否応なしに吉田拓郎を聴いていることを実感する。アルバムの掴みとしてはばっちりと言える。タイトルの“ペニーレイン”は原宿のジャズ喫茶のことで、歌詞はそこで《飲んだくれて》いろんなことを語っているという内容。注目したのは下記のフレーズである。
《テレビはいったい誰のためのもの/見ている者はいつもつんぼさじき/気持ちの悪い政治家どもが/勝手なことばかり言い合って/時には無関心なこの僕でさえが/腹を立てたり怒ったり》《みんなみんないいやつばかりだと/おせじを使うのがおっくうになり/中にはいやな奴だっているんだよと/大声で叫ぶほどの勇気もなし/とにかく誰にも逢わないで/勝手に酔っ払っちまった方が勝ちさ》(M1「ペニーレインでバーボン」)。
政治性も社会性も排除していない。《政治》に対して《無関心》とは言いつつも《腹を立てたり怒ったり》と憤っている。メディアの扇動にも気付いているようだ。《おせじを使うのがおっくう》と言いながらも《大声で叫ぶほどの勇気もなし》というのは生き辛い世の中を示唆していると思われるし、《誰にも逢わない》《方が勝ち》というのは、その後に表面化した社会問題を暗示していたかのようでもある。“ベトナム戦争反対!”とも言ってないし、田中金脈問題などの当時の具体的な政治問題に対して物を申しているわけではないけれども、世の中への警鐘であるとは理解できる。《おせじを使うのが~》辺りはSNSと重ねることもでき、さすがに氏がそこまで予見していたとは言わないまでも、コミュニケーションの本質を抉る視線は極めて鋭かったとは言える。尻上がりに熱を帯びていくバンドサウンドと相俟って、ただの酔っ払いの戯言ではないことがよく分かる。硬派かどうかの判断は人によって分かれるところかもしれない。だが、少なくとも軟弱な物言いだと言い切れないのは筆者だけではないはずだ。
M1のバンドサウンドについて軽く触れたので、以降の注目のフレーズをピックアップする前に、本作参加のミュージシャンについて記しておきたい。これもまた前述の河崎直人さんの『元気です。』のコラムから少し引用させていただく。<アルバムのバックを務めるのは、名ギタリストの石川鷹彦、松任谷正隆・林立夫(キャラメルママ)、後藤次利・小原礼(共にサディスティック・ミカ・バンド)など、日本を代表するミュージシャンばかりで、中でも松任谷正隆は、キーボードだけでなく、バンジョーやマンドリンなど八面六臂の活躍で、カントリーテイストを醸し出すのに大いに貢献している>。前作『伽草子』(1973年)のクレジットにおいては上記メンバーの中では後藤次利しか見つけられなかったけれど、『今はまだ人生を語らず』では松任谷正隆が再び参加。ピアノ、オルガンを担当している。これまた『元気です。』以来の参加となった六文銭のギタリスト、石川鷹彦とのアンサンブルが本作の聴きどころのひとつではあろう。
どれもいいが、とりわけM2「人生を語らず」、M3「世捨人唄」、M7「襟裳岬」、M12「贈り物」は素晴らしい。ベースは引き続き後藤次利が名を連ねている他、ドラムスには村上秀一の名前がある。また、この前年にライヴ盤『たくろうLIVE’73』を共同プロデュースした瀬尾一三がストリングスアレンジを行なっているのも見逃せない。吉田拓郎は日本のシンガーソングライターの草分け的存在と言われる。もちろんそれはそれで間違いのない、氏の大きな代名詞ではある。しかしながら、これだけのメンバーを集めて音楽作品を作り上げたという側面も、決して無視できないであろう。しかも、参加したミュージシャンの多くは日本の音楽シーンにおいて欠くことができない人物ばかりである。吉田拓郎に音楽プロデューサーとして卓越した手腕があったことは、『今はまだ人生を語らず』でも決定的によく分かる。どなたかも指摘されていたが、吉田拓郎のこうした側面は今以上にもっと語られるべきだと筆者も大いに同意するところだ。
体制に対する反論、形骸へのカウンター
さて、“社会派・吉田拓郎”の抽出を続ける。M2「人生を語らず」の《空を飛ぶ事よりは 地をはうために/口を閉ざすんだ 臆病者として》辺りも哲学的で何かの暗喩と思しき内容だと思うけれども、以降に登場する岡本おさみが手掛けた歌詞もなかなか鮮烈だ。ご存じない方のために説明すると、岡本おさみとは、「旅の宿」を始め、数多くの吉田拓郎楽曲に参加している作詞家。河崎直人さんは<作詞:岡本/作曲:拓郎のコンビは、日本の名ソングライターチームとして知られる>としている。
《おはよう!/死んだふりは やめなさい/おはよう!/生きていくのが 下手な男たち》《おはよう!/てれ人間が あふれてる/おはよう!/働きすぎる やさしい男たち》(M4「おはよう」)。
《理由のわからないことで/悩んでいるうち 老いぼれてしまうから》《いじけることだけが/生きることだと 飼い馴らしすぎたので/身構えながら 話すなんて/ああ おくびょうなんだよね》(M7「襟裳岬」)。
M4は高度経済成長期の影を指しているようでもあるし、アイロニカルな視点が感じられる。M7はこの歌詞単体ではその意味はぼんやりとした印象だが、M2を経てから聴くと、実は結構な攻撃性を帯びているのでは…と考えてしまう奥深さがあるように思う。いずれにしても、大衆に迎合しているような印象は受けないし、軟弱だとも思えない。
個人的に最も強烈なインパクトを感じたのはM8「知識」である。
《どこへ行こうと勝手だし/何をしようと勝手なんだ/髪の毛を切るのもいいだろう/気づかれするのは自分なんだ》《人を語れば世を語る/語りつくしてみるがいいさ/理屈ばかりをブラ下げて/首が飛んでも血も出まい》《言葉をみんな食い荒らし/知識のみがまかり通る/一人になるのに理由がいるか/理由があるから生きるのか》《自由を語るな不自由な顔で/君は若いと言うつもりかい/年功序列は古いなどと/かんばんだけの知識人よ》(M8「知識」)。
具体性には乏しいけれども、心情を吐露する…なんてレベルではない。明らかに何かを主張している。何かを攻撃していると言ってもいいかもしれない。ここでもまた政治的メッセージはないけれども(たぶん)、《髪の毛を切るのもいいだろう》には時代性があるし、《年功序列は古いなどと》辺りは完全に社会派なフレーズと捉えてもよかろう。当時、フォークソングは反体制であり、反体制でないものはフォークではないと、生粋のファンから糾弾されることもあったという。あくまでも個人的には…と前置きするが、このM8の歌詞からは、そうした“フォーク=反体制”といった構図を含む、ひとつの体制に対する反論が感じられる。形骸へのカウンターという言い方でもいい。そんな風に思ってアルバムを聴き進めていくと、ラストM12「贈り物」に辿り着く。ブラックミュージックテイストのある、ザラっとしたバンドサウンドに乗って聴こえてくる歌詞はこんな内容だ。
《終わってたんだよ 何もかもが/その時から みんなまちがいだらけさ/もう行くよ もう何も言えなくなった》《それから君の好きだった“雪”は/誰かに唄ってもらえばいいさ/今はわかり合おうよって時じゃないんだ/これで少しは気が楽になるだろうネ》《笑ってたんだよ 心の中で/僕にはそれがきこえてくるんだ/捨てちまうよ 君のくれたものなんて》《それは小さな物語なのさ/暗い路地に吐き捨ててしまおう/だから とどまるよって言わさなかった/そんな君にも罪などありゃしない》(M12「贈り物」)。
吉田拓郎作品は本作くらいしかちゃんと聴いてないし、前述した通り、それもリアルタイムで体験したわけじゃなく、先週初めて聴いた。よって、筆者は吉田拓郎や当時のミュージックシーンについて本質的な理解はできていないと思う。だけれども、このアルバムは風情ある大衆歌を綴っただけのものではないことははっきりと分かったし、むしろメッセージは多めのように思われるところは、ここまで述べてきた通りである。明確な意思表示があることは明白である。そのアルバムに『今はまだ人生を語らず』というタイトルを付けていることに、比類なきセンスを感じる。1970年代前半以降、フォークソングが吉田拓郎の代名詞になったというのも無理からぬところだったであろう。ひとりのアーティストとして群を抜いていたのだ。
TEXT:帆苅智之
アルバム『今はまだ人生を語らず』
1974年発表作品
<収録曲>
1.ペニーレインでバーボン
2.人生を語らず
3.世捨人唄
4.おはよう
5.シンシア
6.三軒目の店ごと
7.襟裳岬
8.知識
9.暮らし
10.戻ってきた恋人
11.僕の唄はサヨナラだけ
12.贈り物
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