HEESEY – Key Person 第24回 –

2022年5月20日 / 10:00

自分の生き写しのようなベースを 作品に封じ込めたい

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』の第24回目はHEESEY。ダーティーヒーローに憧れた少年時代からKISSをきっかけにロックに目覚め、プロのベーシストになるために模索した二十代、“30歳までには”と決心したタイミングでのTHE YELLOW MONKEYの結成など、その当時の心境を語ってもらった。
HEESEY
ヒーセ:1992年にメジャーデビューし、2001年に活動休止、04年に解散したTHE YELLOW MONKEYのベーシスト、廣瀬”HEESEY”洋一のソロ。03年にHEESEY WITH DUDSE(05年に解散)、08年にTYOを始動(現在は活動休止)。13年12月、自身のライヴ活動の原点でもある渋谷La.mamaで“HEESEY”名義でのライヴ活動をスタートさせ、14年5月に1stソロアルバム『YOU SAY HEESEY』をリリースするとソロ名義での活動を本格化。16年のTHE YELLOW MONKEY再集結を経て、4年振りにソロ活動を再開させた。
ロックは灰汁が強くて ワイルドな、衝撃的な音楽

──幼い頃からゴジラがお好きで、少年時代は怪獣マニアだったそうですね。
「怪獣とかヒーローものが好きでしたね。ガキ大将ではなかったですけど、下町生まれなことや洋品店をやっている父親の影響もあって、べらんめえな感じはありました(笑)。父親が1954年に公開されたゴジラの第一作をリアルタイムで観ていて怪獣好きなので、それを僕にインプットしてくるんですよ。“ゴジラって面白いぞ! 一緒に映画を観に行くか?”みたいに(笑)。それをきっかけに僕もゴジラを好きになって、ウルトラマンや仮面ライダーとかのヒーローものにもハマっていたんですよね。コントやお笑いも好きだったので、その時代の典型的な男の子という感じだったと思います。」
──そんなHEESEYさんがロックを好きになったのはいつ頃だったのでしょうか?
「中学からは地元ではない地域の学校に通うようになったので、すごく退屈だったんですよ。そんな中学1年生の時にロックに出会って。友達の影響でいろんなバンドを聴いたけど、圧倒的にKISSが好きになり、それこそ怪獣にハマった時のような感じでした。“中二病”なんて言葉があるように、中学生くらいの年頃はちょっとぶっ飛んだハマり方をすることがあると思うんですよね。KISSに目覚めて、家に帰ってからはずっとロックを聴いていました。」
──KISSにハマって、ご自身でもベースを手に取るまでにはどんなエピソードが?
「友達にバンドをやらないかと誘われたんですけど、それが“HEESEYはKISSが好きだよね? ジーン・シモンズも好きだよね? じゃあ、ベースをやらない?”みたいな言い方で、その時は僕もバンドをやりたかったので“うん、好き! ベースをやろう!”と、すでにベース以外が揃ったバンドに入りました(笑)。まだギターとベースの違いも分かっていなかったけど、アルバイトをしてベースを買いましたね。」
──そんなご友人の誘導にも気がつかないくらい、ロックに夢中だったんですね。
「歌謡曲やアニメの主題歌なんかも好きで聴いていたんですけど、ロックは特別な音楽に感じたんですよね。学校で習うようなクラシックとも違うし、すごく灰汁が強くてワイルドな、衝撃的な音楽でした。当時はそこまで追求できていなかったけど、自己主張の強いもので、子供ってどこか悪役に惹かれるところがあるじゃないですか。ゴジラも最初は悪者だったし、ダーティーヒーローのような、悪くてカッコ良い魅力にも憧れていました。」
──バンドやロックに没頭する中で、将来的なことを考え始めたきっかけはありましたか?
「ジーン・シモンズを誘い文句に組んだメンバーとのバンドは結局、かたちにはならなかったんですよ。だから、僕が本格的にバンドを始めたのは高校生の時で、周りからしたら出遅れていたんです。でも、文化祭に出てみたりするうちに、“いつかこれでプロになってやる!”という気持ちがだんだん強くなっていって、2年生の頃にはそう決心していました。でも、プロになるためにはどうすればいいのか…それこそドロップアウトするのもひとつの手だと思ったんですけど、うまくやっていくためにまずは大学に進学することにしたんです。そうしたら親も納得してくれるだろうから、大学に通いながら、バイトをしてバンドを続けようと。でも、その両立はできずに中退しちゃったんですけど、バンドでプロになるという気持ちだけは強く持ったままでしたね。中退した時は流石に両親に怒られましたけど(笑)、“いつまでバンドやるんだよ?”とは言いながらも、“やめろ!”とは言われなかったんですよね。家にいさせてやるから自分の生活費は自分でなんとかしろと。今思えば協力してもらっていたと思います。」
──それはちょうどMURBASを始められた80年代頃だと思いますが、当時の音楽シーンはどんな印象でしたか?
「まだライヴハウスも数少なかったですし、僕が思うロックは盛んではなかったですね。ニューミュージックの中のロックっぽいバンドはテレビに出ていたけど、日本のロックシーンはまだまだ大きくはなかったと思います。だから、バンドだけではやっていけない状況だったんですけど、そんな中でも漠然と“絶対にいつかは!”とは思っていました。」
──ロックに夢中だっただけでなく、プロになりたいという想いでやってこられたんですね。
「でも、バンドをやっていると、バンドの中の思春期みたいなものもあるんですよ。結成して最初の頃は楽しくやっているけど、壁にぶち当たったり、新たな想いが出てくるターニングポイントが訪れるんです。実家に帰って親の跡を継いだり、バイトだったのが正社員になって音楽を辞めたりするバンド仲間が多くなってきたりしてね。そういう時期は必ずあって、僕も実家は東京だけど、そういうことを考え出すというか、夢を見ているだけじゃダメだと思った時がありましたよ。でも、自分の好きな音楽を分かってもらえるように、作戦みたいなものを考えるようになって、そんな時に加入・結成したのがTHE YELLOW MONKEYだったんです。」
自分というオリジナリティーは 何をするにしても大事

──THE YELLOW MONKEYとして活動してからも紆余曲折はあったと思いますが、ロックバンドとして日本武道館やドームクラスの会場でライヴをしたり、CDの売り上げも1,000万枚以上と、HEESEYさんが思い描いていたものがかたちになっているように思えます。
「そうですね。THE YELLOW MONKEYは人生にひとつの宝物です。厳密に言うと、吉井和哉が作ったバンドで、彼も最初はベースだったし、仲が良いバンドのベーシスト同士で、好きな音楽も似ていて、打ち上げで一緒に酒を飲む仲だったんです。で、吉井が新しくバンドをやるって時にはもう“THE YELLOW MONKEY”というバンド名まで決まっていて、彼がギタリストに転向したのと同じ時期に僕のやっていた16LEGSが解散したから、ベーシストとして加入させてもらいました。その時には自分も頑張って30歳まではプロを目指してやろうと決めていて、プロになれなかったとしても音楽は好きだから続けるけど、もう何かを目指すっていう感じではないと覚悟していたんです。吉井と菊地兄弟(英昭、英二)もバンド活動をしてきた人なので、THE YELLOW MONKEYの結成時にはそれぞれに想いがあったと思います。いいタイミングで出会えて、共通した想いがあったからこそ、ここまでやってこれたんだなと。」
──THE YELLOW MONKEYの活動が止まってから2016年に再集結するまでの期間は、HEESEYさんがヴォーカル&ベースのHEESEY WITH DUDESや、TYOなど、引き続きバンドとしての活動をされていますよね。
「やっぱりバンドが好きなんですよね。HEESEY WITH DUDESはソロだったけど、メンバーの力のおかげがあるからユニットっぽくしたくて“WITH DUDES”だし、ずっとバンドでやってきたからソロアーティストになろうという想いはなかったんです。MURBASの頃にしても“いつかはソロで!”なんて想像もしていなかったですね。今はソロ名義でもやっていますけど、それはもっとあとになってからやってみたいと思うようになったことなので、最初にバンドに憧れたとおりバンド育ちというか、バンドの人なんだと思います。ソロでも全部自分でプレイするわけではないですし。」
──2013年からは本格的にソロワークを開始した時には、何か心境の変化があったのですか?
「HEESEY WITH DUDESではベースを弾いて歌って、曲も全部作って、自分で仕切って、自分の名前があるというのが少し重くなってしまったんですよね。全部は抱えきれなかったんです。でも、曲を作ることに苦しんだけど、楽しかったという気持ちもあって、その想いから始めたのがTYOなんですよ。そこでベーシストと曲作りをやっていくうちに、2013年で50歳を迎える時にソロを始めるのも面白いと思って。“HEESEY”という完全なソロ名義でやってみようと、まずはライヴ活動を始めたんです。で、14年5月に1stアルバム『YOU SAY HEESEY』を出したんですけど、50歳のタイミングで始めたというのは自分の中でいいターニングポイントになったと思います。」
──HEESEYさんは10代の頃からずっと止まらずに音楽活動を続けてこられていますが、何を大事にしてきたと思いますか?
「オリジナリティーというか、自分というものを音楽に落とし込むことですかね。自分であり、個人というオリジナリティーは何をするにしても大事です。サポートの仕事や誰かのレコーディングでベースを弾くこともあって、バックに徹する美学も面白いと思ったんですけど、僕はそれだけに徹底することができなくて。“これHEESEYが弾いてるじゃん”と分かるような、爪痕を残したくなってしまうんです。バンドでも自分らしさを表現していたいし、自分の生き写しのようなベースを作品にと思っています。」
──そんなHEESEYさんにとってのキーパーソンとなる人物は?
「まずはジーン・シモンズですよね(笑)。とはいえ、KISSの曲やジーン・シモンズが弾いている曲を全部コピーしたわけではないんですけど、自分にとっては唯一無二のアイドルです。夢中になったし、影響も受けましたね。あとは…やっぱりTHE YELLOW MONKEYに誘ってくれた吉井和哉ですかね。音楽の趣味も共通するところが多いし。もちろん菊地兄弟もですね。自分にとってバンドのメンバーは全員がキーパーソンですね。」
取材:千々和香苗


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