『Johnny Hell』は浅井健一にしか醸し出せない独特なロックの世界に魅せられる傑作アルバム

2022年2月9日 / 18:00

2月2日、浅井健一&THE INTERCHANGE KILLSのライヴアルバム『Mellow Party-LIVE in TOKYO-』がリリースされたということで、今週は浅井健一のソロ作品をピックアップした。1980年代後半、BLANKEY JET CITYとしての活動以来、常に日本ロックシーンの最前線で活躍を続ける、日本を代表するロックシンガーである浅井健一のすごさについては何を語っても蛇足となってしまうかもしれないけれど、本作に限らず、バンドマンのソロ作品にはバンド時代とは異なる味わいがある一方で、ソロになっても変わらずに、そのアーティストの揺るぎない核心がより強く宿るもの。その辺を個人的な思い出も含めて書いてみた。ちなみに当サイトには『Mellow Party-LIVE in TOKYO-』のインタビューも掲載されているので、是非こちらもどうぞ!
浅井健一的磁場はデビュー時から不変

何だろう、この感じは? 問答無用にカッコ良い、浅井健一のアルバムとしか言えないアルバムだと思う。かの糸井重里氏が付けたスタジオジブリ映画『紅の豚』の有名なキャッチコピー“カッコイイとは、こういうことさ。”じゃないけれど、このアルバムにはカッコ良さが詰まっている。そもそも浅井健一というアーティストが徹頭徹尾そうなのだろう。カッコ悪さを微塵も見せない人なんじゃなかろうか。何なら、この人が持っている磁場は、周りにあるダサいものさえもカッコ良くしてしまうのではないかと思ってしまうほどだ。

そこでちょっと個人的な思い出話。BLANKEY JET CITY(以下、BJC)時代の楽曲に「D.I.Jのピストル」というナンバーがある。アルバム『C.B.Jim』の3曲目。こんなフレーズで始まる。《メロンソーダとチリドッグ/そいつがあれば/生きて行けると/思ってるオレは/ケツの青い/最新型のピストル》。最初に聴いた時、まぁシビれた。初めてBJCに出会って以来、何度目かの “何だろう、この感じは?”という衝撃だった。それからというもの、チリドッグのあるショップでは必ずと言っていいほどチリドッグをオーダーするし、もちろんドリンクはメロンソーダにしている筆者である。実年齢はすでに結構なものになっているのだが、そこはケツの青いままだ。メロンソーダとチリドッグは最高にロックなコンボとして自分に刷り込まれている。どんなバーガーショップであれ、そこで仮にメロウなオールディズが流れていても、そのコンボをオーダーした瞬間からBGMはグレッチの音に変わるのだ(と、ちょっとカッコつけてみても何か今ひとつなのは、当人の貫禄のなさがそのまま文章に出るからだろう)。メロンソーダとチリドッグという、おそらくアメリカではありふれたケミカルなドリンクとジャンクフードを、まるで別次元の食べ物のようにカッコ良く思わせてくれたことは間違いなく、BJCであり、浅井健一である。筆者と似たような思いを抱いたことがある人は案外少なくないのではないかと思う。

ちなみに、お笑い芸人、バイきんぐの小峠英二氏の愛車は1960年代のシボレーだそうで、それはBJCのメンバーが古いアメ車や単車に乗っていたことに影響を受けたからだという。車を買ったら最初にかける音楽はBJCと決めていたというから筋金入りだ。で、実際にかけたのは「D.I.J.のピストル」。う~ん、小峠氏、間違いなく信用できる男だ。氏もバーガーショップでは必ずメロンソーダとチリドッグをオーダーしているに違いない。
浅井健一が演奏すればそれはロック

話がズレてきたので戻す。浅井健一という人の、周りをカッコ良く染めてしまう磁場は無論、その楽曲のサウンド、歌詞にも大きく影響していることは議論を待たない。そのカッコ良さが最大限に発揮される場が音楽であると言ってもいいだろう。その観点から『Johnny Hell』を探ってみよう。

まず、サウンド。BPMが速い曲であったり、エレキギターの歪みが大きかったりすると、それがロック的なものを感じさせるのは、ある程度、当然のことだとは思う。もちろんそれだけではロックになり切らないことも承知しているけれども、送り手にとっても受け手にとっても、速くて粗いサウンドが単純に分かりやすいスタイルのロックではあろう。しかしながら、その逆で、BPMが遅かったり、サウンドが粗くないものでロックを感じさせることは──素人考えではあるが──簡単にはできないのではないかと想像する。その点で本作収録曲には、如何にも…なサウンドにもかかわらず、完全にロックな雰囲気を感じさせるものがいくつかある。注目したのはM7「空港」、M8「ROMERO」、M10「哲学」辺り。M7は、テンポは緩く、リズムレスでギターのアルペジオから始まる。そこに歌が乗ってきたあと、ギターがストロークに変わるのだが、ことさらにディストーションを効かせているようではない。だけれども、全然ロックを感じさせる冒頭だ。M8も同様。イントロはポップなギターリフで、これも歪みは抑えられている。ラテン調のドラムが入るので、こうして文字面だけを抑えたら、いかにも南米的な方向へ行きそうなものだが、この楽曲の緊張感はそうさせない。決して享楽的にはならないのである。

もっとも、M7にしてもM8にしても、そののちにリズム隊が入ってきてラウドには展開していくので、総体的には誰が聴いてもロック然とした楽曲とは言えるだろう。とりわけM8は間奏などはバンドアンサンブルが結構ワイルド。楽曲にメリハリを付けるために歪ませないところは敢えて歪ませていないと思われる(多分)。そこで言えば、最注目はM10「哲学」ではなかろうか。(おそらく)サウンドはアコギとフィドルでの構成。これまたそこだけで見たらカントリー風を想像してしまうだろうが、これがまったくフォーキーではないのである。楽曲全体を引っ張る弦の単音弾き(あれはアコギか?)の音色と音階はどこかノスタルジックな印象であって、ややもすると楽曲を牧歌的にしてしまうのでは…と思わなくもないわけではないけれど、自分で言っておいて何だがその発想は浅井健一を馬鹿にした話(?)だろう。アコースティック楽器のみの構成、そこで奏でられるメロディーは尖ってもいない。それにもかかわらず、スリリングな楽曲に仕上げてしまうのは──これまた素人考えだが──ちょっと不思議ですらある。それこそ浅井健一という人が持っている磁場が自然とそうさせているのだと思ってしまう。

さて、M7、M8、M10に注目して筆を進めたが、それ以外の楽曲は、もはや言うまでもなく…と言っていいほどに、容赦なくロックである。オープニングのインストナンバー、M1「Super Tonga Party」のジャングルビートに乗る凶暴なエレキギターから、我々の期待をまったく裏切らない。浅井健一の音が堂々と鳴り響く。M2「WAY」で歌声が聴こえてくると、“これだよ! これ!”と高揚する気分を抑えられない。M2にしてもそれ以外にしても歌メロは案外キャッチー。それでいて全然、下世話になってないのは、天性の歌声とヴォーカリゼーションによるものだろう。声にも独特の緊張感があると言ったらいいだろうか。同じメロディを歌ったとしても浅井健一が歌えばそれはどう仕様もなくロックとなってしまうような、ここにも独自の磁場が発生しているように思う。そんな12曲でもある。
ストレートな物言いとメッセージ

言葉にも完全に浅井健一ワールドとしか言えないセンスが発揮されている。『Johnny Hell』というアルバムタイトルからして雰囲気があるし、M 3「原爆とミルクシェイク」の楽曲名はまさにそんな感じだ。個々の楽曲の歌詞で言えば、M5「RUSH」の《全校生徒 一人/給食は ウイスキーコーク》とか、M8「ROMERO」の《レザーコートは かなり長すぎる/いつでも そいつを 引きずって歩く》とか、M11「危険すぎる」の《Hey ネブラスカ 古い井戸 集団墓地にとまるカラス》とか、M12「Green Jelly」の《緑のゼリーにライトをあてて/中心を見てたら なんだか寂しいな》とか、絶対に他の誰かでは書けないであろうフレーズが並んでいる。発想が独特だし、誤解を恐れずに言え“どうしてこんなことが思い浮かぶのだろうか?”と思ってしまうほど、独自の世界観がそこにある。ただ、『Johnny Hell』には、そうしたザ・浅井健一ワールド以外の歌詞も目立つ。以下、列挙する。

《生き続けろ やり続けろ はき続けろう/飛び続けろ やり続けろ 乗り続けろ/生き続けろ 飛び続けろ》(M2「WAY」)。

《僕には何にもできないけど/近くに困った人がいたら/助けてあげたいそう思ってる/そこから大きく広がれるさ》《だから言おうぜ 自分の道は/自分で決める 左右されるな》(M3「原爆とミルクシェイク」)。

《あまりあまり この世は ひどいことが 多いから/せめてせめて 物語は 美しいままで おいとこうよ》(M4「Pola Rola」)。

《あまりにも残酷な事がなされてる/僕たちには知らないが本当なんだ》《Hey Johnny Hey Johnny いかれようぜ/Hey Johnny Hey Johnny だって世界は/Hey Johnny Hey Johnny いかれてるぜ》(M9「Johnny Hell」)。

《話したってつまらないよ 神秘的なところまで行こうぜ/心には壁なんかないのさ》《素直な自分の思いは 真水だとか炎だとか/同じものでできてるのさ/さえぎるものなんかないよ》(M10「哲学」)。

《確かに悲しみあるのは知ってる/確かに恐怖があるのも知ってる/だけれど人々 みんなゼロだから/失うものなど 失うものなど/失うものなど どこにもないよね》(M12「Green Jell」)。

《人はなぜ こんなにも 愚かなの 愚かなの/自然界で 涙を流せるのは 唯一なのに/唯一なのに 唯一なのに》(M13「人はなぜ」)。

本作『Johnny Hell』収録曲には、わりとストレートな物言いと、ストレートなメッセージ性が多いことに気付く。筆者は浅井健一ソロ作品を始め、BJCもSherbetsもAJICOもJudeもそのすべてをチェックしたわけではないし、聴いていない作品も多いから、他にも上記のような歌詞があるのかもしれない(あるとしたら、先に謝っておく。すみません)。だけど、ここまで多いとそれは本作の特徴とは言えるのではなかろうか。

また、浅井健一の磁場の話に戻るとすると、こうした歌詞でもそれが完全に浅井健一のものになっているのは見逃せないところだと思う。《自分の道は/自分で決める》や《心には壁なんかない》、《人はなぜ こんなにも 愚かなの》などは、それとまったく同じものではないにしろ、近いフレーズを使っているアーティストは多いと思う。浅井健一が初出ではないだろう。よって、仮にこれが、“今さら、ゆずのコピーかよ!?”と思わず突っ込みを入れてしまいそうな、オリジナリティーが皆無のフォークデュオであったり、ソウルなんてちゃんと聴いたこともないのに“ブラックミュージックって最高だよね”など言ってるような基礎もできてない自称ヒップホップグループとかが持ってきていたとしたら、それほど響かないのではなかろうか。もしかすると、上記にしても歌詞をピックアップしただけではピンと来ない人もいるかもしれない。ありふれたメッセージと言ってしまうと語弊があるとは思うが、人によってはそう思う人もいても不思議はなかろう。だけれども、浅井健一が創造した旋律に乗せ、浅井健一自身が歌うことで、リスナーへの伝わり方がどこか違ってくるように思う。演者が信じて表現すれば、仮にそれがありふれたと思われるようなものだったとしても、その輝きは増す…といった感じだろうか。どうも上手く言い切れた感じがしなくて申し訳なく思うけれども、そんなふうにも思う。また、こうしたストレートな感じは、ソロ作品であるがゆえに、バンド以上に浅井健一というアーティストの核にある部分が色濃く出た──そんなことも言えるのかもしれないとも思ったところではある。
TEXT:帆苅智之
アルバム『Johnny Hell』
2006年発表作品

<収録曲>

1.Super Tonga Party

2.WAY

3.原爆とミルクシェイク

4.Pola Rola

5.RUSH

6.Hello

7.空港

8.ROMERO

9.Johnny Hell

10.哲学

11.危険すぎる

12.Green Jelly

13.人はなぜ


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