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エディ・ヴァン・ヘイレン、癌との闘病の末に65歳で死去

 現地時間2020年10月6日、エディ・ヴァン・ヘイレンが癌との闘病の末、65歳で死去したと息子のウルフギャングがTwitterで発表した。
 
 ヴァン・ヘイレンのギタリストでバンド・リーダーだったエディ・ヴァン・ヘイレンには、長年にわたり死が近いという噂がつきまとっていた。薬物乱用に加え、2000年に受けた舌癌の診断が主な原因で、医師は彼の舌を3分の1取り除き、2年後には完治したと宣言されていた。ここ数か月間、咽頭癌の専門的な治療のためにドイツへ渡ったと報道されていたが、死が差し迫っているという噂は誇張されすぎているように見えた。
 
 長期にわたり公衆の前に現れなかったことが、体調が悪いのではないかという噂に繋がったため、近年では昨年10月に米ビバリーヒルズのマクラーレンのディーラーや米ロサンゼルスでのトゥールのコンサートに姿を現していた。また12月にはホリデー・メッセージを投稿し、【NAMM Show】用に作成したギターのリリースを祝っていた。そして今年3月16日には息子ウルフギャングの誕生日を祝福していた。
 
 2017年の米スミソニアン博物館でのインタビューでは「ロック・バンドでギターを弾いている60歳のパンク・キッズみたいです。私は音楽を作ることができて、恵まれていますし、大変光栄に思います」と語っていた。
 
 エディ・ヴァン・ヘイレンは、1955年1月26日にオランダで生まれ、父ヤン・ヴァン・ヘイレンはクラシック音楽の訓練を受けたクラリネットとサックスの奏者でピアニストであった。「音楽は私たちの人生を通して共通のテーマでした。私たちが幼い頃からずっと」とエディは当時のインタビューで説明していた。
 
 ヴァン・ヘイレン一家は、1962年に米カリフォルニア州パサデナに移住した。そして兄アレックスとともにピアノを習い始め、エディは楽譜が読めなかったものの、ピアノ・コンテストで優勝するほどの腕前だった。ロックンロール、特にデイブ・クラーク・ファイブの「グラッド・オール・オーバー」に魅了されると、エディはドラムを始めた。スミソニアン博物館でのインタビューで、エディは「ギターは弾きたくなかった」と当時のことを振り返っているが、兄アレックスの卓越したドラムの演奏を聴いて、「私のドラムを奪えばいいよ、お前のギターを演奏するさ」とギターを弾くことになった経緯を明かしていた。
 
 ヴァン・ヘイレンのデビュー・アルバムが1978年に発表される頃には、エディは熟練した革新的なギタリストとなり、楽器、アンプ、エフェクトで実験を重ねる、自ら認めるギター・オタクであった。一方、ヴァン・ヘイレンのインストゥルメンタル曲「Eruption」では、両手を使うことで、これまでのタッピング技術にパーカッシブでメロディアスな要素をブレンドして進化させ人気を博した。きっかけについては「1971年のロサンゼルスでのコンサートで、”Heartbreaker”のジミー・ペイジのソロ演奏を観てタッピングのアイデアが浮かんだと思う」と米雑誌『ギター・ワールド』に語っている。「ジミーは開放弦にプリングしていて、”ちょっと待てよ。開放弦……プリング。それならできる。指を留めねじとして使って、その周りで動かすとどうなるのだろう?”とそこでアイデアが浮かんだ」と続けた。
 
 スミソニアン博物館のインタビューでタッピングを発明していないことを認めたエディは、「私が実際に演奏したように誰かが演奏するのを聴いたことがない」と付け加えた。「俗に言われるトリックを生み出した主な理由は、必要だったからです。私はペダルやファズボックス、その他みんなが持っている機材を買う余裕がなかったのです。だから、自分の指でできる限りのサウンドを表現しました」と説明した。
 
 ヴァン・ヘイレンとして12枚のスタジオ・アルバムをリリースしたエディの功績には、「ジャンプ」や「I’ll Wait」などのヒット曲にシンセサイザーを用いたことや、1982年にマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」のギター参加などがある。他にも、ヴァン・ヘイレンのフロントマンを務めたサミー・ヘイガー、クイーンのブライアン・メイ、ピンク・フロイドのベーシストのロジャー・ウォーターズ、LL・クール・J、デヴィッド・ガーフィールドによるアルバムにゲスト参加している。
 
 一方で、エディの独創的な気質は、ギターボディ技術のいくつかの特許へとつながった。「より多い方が、常に良い」と彼は指摘し、「私はいつも試行錯誤を通して”もしこうやったらどうなるだろう?”、”もしこうしたら、何が起きるだろう”と自分に問うのです」と言っていた。
 
 2012年には、雑誌『ギター・ワールド』の読者投票で最も偉大なギタリストに選ばれた。また、2007年に【ロックの殿堂】入りも果たし、1992年にはバンドとして【グラミー賞】の<最優秀ハード・ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞>を受賞している。世界中で8000万枚以上のアルバムを売り上げているヴァン・ヘイレンは、2012年に『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース』、2015年に東京ドーム公演を収録した『ライブ・イン・ジャパン』をリリースしている。
 
 エディ・ヴァン・ヘイレンは、1981年から2007年まで女優ヴァレリー・バーティネリと結婚しており、2008年にジェイニー・レシェフスキーと再婚している。息子のウルフギャング・ヴァン・ヘイレンは、2006年にオリジナル・ヴォーカリストであるデイヴィッド・リー・ロスを迎えての再結成以来、バンドのベースを担当している。

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