切ないメロディーと儚げなヴォーカルがリスナーの心を打つジェイホークスの名作『ハリウッド・タウン・ホール』

2019年6月28日 / 18:00

90年代初頭、アメリカのロック界に登場したのがオルタナティブカントリー(以下、オルタナカントリー)と呼ばれる音楽で、これはパンク世代の若いミュージシャンが自分たちの音楽を表現するために方法論的にカントリーを取り入れたものであり、もちろんそこにはパンクロックが持っていたアナーキーな精神が包含されていた。今回紹介するジェイホークスは厳密に言えばオルタナカントリーのグループではないが、オルタナカントリーのムーブメントの中から登場してきたことは確かである。彼らのメジャーデビュー作『ハリウッド・タウン・ホール』(‘92)は70sフォークロックやカントリーロックをベースにした音楽性を持ちながらも、90sのオルタナティブらしさを感じさせる紛れもない傑作である。主要メンバーのマーク・オルソンとゲイリー・ローリスの手になる切ないまでに美しい楽曲群と、グラム・パーソンズ&エミルー・ハリスを想起させる彼らふたりの青臭いツインヴォーカルが実に素晴らしい。
パンク、ニューウェイブ、テクノから ペイズリー・アンダーグラウンドへ

50年代終わりから60年代にかけて、ロックは一般大衆の若者たちに支持された。しかし、70年代半ばになると成熟を迎え、技術にしても楽曲の質にしても高度なものとなっていく。そんな時に現れたのがパンクロックであった。70年代半ばにパンクロックが市民権を得たことで、若者たちのロックに対する意識はそれまでとは変わっていった。それは、“拙い技術でもロックが演奏できる”ということだ。ポストパンク時代になると世界中でガレージバンドが急増し、演奏しやすいこともあって60年代のフォークロックやサイケデリックロックが再評価される。

80年代に入るとデジタル機器の普及が進み、ポピュラー音楽の主流はテクノやディスコ音楽へと変わっていくが、そんな時でも多くのガレージバンドはパンクロックの精神を忘れず、人力演奏でライヴをこなしオリジナル曲を作っていた。まず結果を出したのは、ジョージア州アセンズ出身のR.E.Mだろう。80年にインディーズデビューした後、バーズやヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽を範として、パンク的な要素も併せ持っていたのである。デビューして間もなく大手レーベルへと移籍し、その後はCMJ(カレッジ・メディア・ジャーナル)の後押しもあり、若者たちの圧倒的な支持を集める。80年代は一般的(大人)な知名度と、ファン(若者)の知名度の差が大きくなった時代でもあって、最初のうちR.E.Mはビルボードなどメインストリームのチャートには登場しなかったが、CMJのチャートではいつも上位にいるという音楽産業の「ねじれ状態」を経験したグループだ。彼らと同じような立ち位置にいるアーティストたちのことを、いつしかオルタナティブロッカーと呼ぶようになる。R.E.Mと同じくアセンズ出身の人気グループとしては、B-52’sやラブ・トラクターなどがいる。

オルタナティブロックの動きは、アメリカの他の地域でも見られる。特によく知られているのは、L.Aのペイズリー・アンダーグラウンドと呼ばれる動きで、ロング・ライダース、グリーン・オン・レッド、ドリーム・シンジケート、レイン・パレードなどが知られている。中でもロング・ライダースは、綴りが“Long Ryders”で、バーズ(Byrds)への想いがひときわ強いグループだ。このグループのリーダーで音楽オタクでもあるシド・グリフィンは、1985年にグラム・パーソンズの伝記を出版しており、この本が当時オルタナティブフォークやオルタナティブカントリーロックのグループを激増させるきっかけのひとつになった。
セントルイスとミネアポリスの ミュージックシーン

ミズーリ州セントルイスには、R.E.Mのピーター・バックにも影響を与えたアンクル・テュペロがいた。デビューアルバムの『ノー・ディプレッション』(‘90)がCMJで絶賛され、ライヴチケットは入手困難になっていた。彼らは前述したアーティストよりも古いカントリーとパンクをベースに新たな音楽を生み出す。オルタナカントリーというジャンルが成立したのは、アンクル・テュペロの存在が大きいのだが、それは彼らのサウンドを範にしたグループが次々に登場してきたからである。アンクル・テュペロは94年に解散後、サンヴォルトとウィルコの2グループに分裂し、90年代から21世紀にかけてオルタナティブロックシーンをリードする存在となっていく。主要メンバーのジェイ・ファーラーとジェフ・トゥイーディーは、ジェイホークスのマーク・オルソンとゲイリー・ローリスとよく似た存在で、彼らはよきライバルでもあった。

そして、ミネソタ州ミネアポリスには大スターのプリンスをはじめ、後に「Runaway Train」(‘93)の世界的ヒットで知られるソウル・アサイラム、ハニー・ドッグス、リプレイスメンツ、ギア・ダディーズなどがいて、ミネアポリスの中堅インディーズレーベルであるツイントーン(Twin/Tone)でソウル・アサイラムとレーベルメイトだったのが、今回の主人公ジェイホークスだ。

もうひとつ、ミネアポリスで忘れられないのが、インディーズレーベルのESD(East Side Digital)の存在である。ESDがリリースした多くのアルバムがオルタナカントリーの代表的なものであり、このレーベル抜きではオルタナカントリーは語れない。ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツ、ブラッド・オレンジズ、エリック・アンベルの諸作、シェイキン・アポッスルズ、ボトル・ロケッツ、ゴー・トゥ・ブレイジズ、シュラムス、シェリ・ナイトなど秀作は多い。81年に設立されたESDだが、21世紀に入る頃には経営難になり、それからは活動縮小を余儀なくされた。
ジェイホークスというグループ

ジェイホークスは1985年にミネソタ州ミネアポリスで結成された。86年にデビュー作の『ザ・ジェイホークス』(別名:バンクハウス・アルバム)を地元のインディーズレーベルであるバンクハウス・レコードからリリースする。その内容はカントリー音楽をベースにバーズやフライング・ブリトー・ブラザーズのようなフォーク&カントリーロックをスパイスにした、一見すると時代の流れとは逆行しているかのようなサウンドだった。このデビュー作には光るものは感じられるものの、カントリーに寄りすぎていてオルソンとローリスの瑞々しい感性はまだ見られない。この後、デモテープ作りに励むが、ローリスが自動車事故で一時期脱退するなどのトラブルもあって、ツイントーンから次作『ブルーアース』をリリースするのは89年になってからのことであった。

91年のある日、ツイントーンの代表デイブ・エアーズがデフ・アメリカン(現アメリカン・レコーディングス)のナンバー2で友人のジョージ・ドラクリアスと電話で話している時、たまたまジェイホークスの『ブルーアース』をBGMで流していた。ドラクリアスは「これは誰だ?」とエアーズに尋ね、エアーズは「うちのジェイホークスだよ」と返した。この後、ジェイホークスはデフ・アメリカンと契約することになるのである。念願のメジャー契約を果たしたジェイホークス、この時のメンバーはマーク・オルソン(ギター&ヴォーカル)、ゲイリー・ローリス(ギター&ヴォーカル)、マーク・パールマン(ベース)、ケン・キャラハン(ドラムス)という面子であった。
本作『ハリウッド・タウン・ホール』について

メジャーデビューとなる本作『ハリウッド・タウン・ホール』は、ジョージ・ドラクリアスのプロデュースによりロスとミネアポリスのスタジオで録音された。タイトルにハリウッドとあるが、これ実はカリフォルニア州のハリウッドではなく、ミネソタ州のハリウッド町にある教会のこと。

ドラクリアスは本作のレコーディングにあたり、彼らにキーボードを付け加えるべきだと助言し、ロック界屈指の名ピアニスト、ニッキー・ホプキンスとトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのメンバーで、セッションマンとしても有能なベンモント・テンチのふたりを起用している。彼らの参加により、サウンドに深みが出ただけでなく、より引き締まったサウンドになった。ドラクリアスはドラムの弱さ(ジェイホークスはグループ結成当初からドラムに恵まれず、アルバムリリースごとにドラマーが変わっている)が気になっていたので、著名なセッションドラマーのチャーリー・ドレイトンを呼び寄せ、リズム全体のコーチとしても使っている。

収録曲は全部で10曲(オリジナル盤)。前作『ブルーアース』に収められていた「Two Angels」と「Martin’s Song」の2曲を再録音している。ブレンダン・オブライエンをはじめとする有能なエンジニアたちによって、オルソン&ローリスの儚げなヴォーカルと彼らの繊細な音楽性が緻密に演出されている。傑作中の傑作「Waiting For The Sun」をはじめ、どの曲も名曲と呼ぶに相応しい仕上がりであり、ジェイホークスが90sオルタナティブシーンを代表する名グループであることがよく分かる。彼らのことをオルタナカントリーのグループだと言う人がいるが、彼らの音楽はグラム・パーソンズと同様、狭いジャンルに閉じ込めておけるほど小さくはない。

本作をリリースしてからジョー・ヘンリーの『Short Man’s Room』(’92)に全員で参加した後、キャラハンが脱退し、ドラムが不在になる。ドラクリアスの助言を聞き、女性キーボード奏者のカレン・グロッバーグを迎え、次作『トゥモロー・ザ・グリーン・グラス』(‘95)をリリースする。相変わらずドラムは不在で、昔馴染みのドン・へフィントンがゲスト参加している。内容は本作と双璧をなす名盤で、『トゥモロー・〜』を代表作に推す人も少なくない。マーク・オルソンは難病の妻(女性アーティストのヴィクトリア・ウィリアムス)をサポートするため、このアルバムを最後に脱退することになった。

僕の中ではこの時点でジェイホークスは終わったのだが、2011年にリリースした『モッキンバード・タイム』で短期復帰(このアルバムリリース後、すぐに脱退)を果たし、変わらぬ儚げな歌声を聴かせてくれた。

もしジェイホークスを聴いたことがないなら、これを機会に『ハリウッド・タウン・ホール』か『トゥモロー・ザ・グリーン・グラス』をぜひ聴いてみてください。きっと、何か新しい発見があると思うよ♪
TEXT:河崎直人
アルバム『Hollywood Town Hall』
1992年発表作品

<収録曲>

1. 太陽を待ちながら/Waiting For The Sun

2. クラウデッド・イン・ザ・ウイングス/Crowded In The Wings

3. クラウズ/Clouds

4. ふたりの天使/Two Angels

5. 僕をおいていかないで/Take Me With You (When You Go)

6. シスター・クライ/Sister Cry

7. 雨の如く降りそそぎ・・・/Settled Down Like Rain

8. ウィチタ/Wichita

9. ネヴァダ、カリフォルニア/”Nevada, California”

10. マーティンの歌/Martin’s Song


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