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【映画コラム】映画製作の裏側にあるものを描いた『キューブリックに愛された男』と『キューブリックに魅せられた男』

 監督作の『2001年宇宙の旅』(68)の4K/8K/UHD化、『シャイニング』(80)の続編『ドクター・スリープ』の公開など、今なお話題に事欠かない映画監督スタンリー・キューブリックの没後20年にちなんで、彼の関係者に取材した2本のドキュメンタリー映画がカップリング公開された。
 

(C)2016 Kinetica-Lock and Valentine

 ますば、長年キューブリックの専属運転手兼世話係を務めた、イタリア人のエミリオ・ダレッサンドロへのインタビューを中心に構成された『キューブリックに愛された男』(16)から。

 2人の縁は、エミリオが『時計じかけのオレンジ』(71)の大道具を丁寧に運搬したことから始まる。ちょうど運転手を探していたキューブリックが、エミリオに「映画は好きかい?」と尋ね、「映画よりも車が好き」と答えた彼を気に入って専属運転手としたのだ。

 そして、『バリー・リンドン』(75)から、『シャイニング』(80)『フルメタル・ジャケット』(87)を経て、遺作となった『アイズ ワイド シャット』(99)まで、エミリオは、几帳面で細かい指示を出し、メモ魔で、電話魔で、甘えん坊のキューブリックに、献身的に尽くす羽目になる。

 この間、エミリオは芸術家の気まぐれに翻弄(ほんろう)され、家庭生活を犠牲にし、変人の世話にへきえきしながらも、キューブリックから絶大な信頼を得て、2人の間には奇妙な友情が育まれていく。

 そんなエミリオの目を通して、キューブリックの映画製作の舞台裏、素顔や日常生活など、完璧主義と徹底したこだわりで知られたこの映画監督の素顔が浮かび上がり、ドライな作風とは違い、意外にウエットな人間性がにじみ出てくるところが興味深く映った。

 また、これほど濃密な関係を築きながら、エミリオが、一時引退するまで「長過ぎる」としてキューブリックの映画を一度も見たことがなかったという事実には驚かされた。そして「どれが気に入った?」(キューブリック)、「『スパルタカス』(60)だね」(エミリオ)、「あれは大した映画じゃない」(キューブリック)という、ちぐはぐな会話が、2人の関係性を象徴するようで面白い。

 あるいは、『アイズ ワイド シャット』の撮影現場に招かれたエミリオの妻が、エージェントと間違って寄ってきた者たちに対して、「私は誰でもないわよ」と言い放つ場面もそうだが、あくまでも庶民的で、映画の世界にどっぷりと漬かっていない普通の感覚を持ったこの夫婦を、キューブリックが深く愛したことがよく分かってほほ笑ましくなる。よくある暴露ものではなく、キューブリックから慕われた“普通の男”の矜持(きょうじ)が心に残る名編になっている。

(C)2017 True Studio Media

 一方、『キューブリックに魅せられた男』(17)の主人公であるレオン・ヴィターリは、『バリー・リンドン』に出演後、俳優の道を捨て、自ら志願してキューブリックの助手となった。

 以後、キャスティング、演技指導、プリント・ラボ作業、サウンドミキシング、効果音の製作、字幕と吹き替えの監修、宣伝レイアウトの作成、海外向けの予告編の製作、在庫管理、配送、公開スケジュールや配給の調整…と、キューブリックの映画製作における、あらゆる雑務をこなしていく。レオン自身も「僕はフィルムメーカーではなく、フィルムワーカー(仕事人、奉公人=本作の原題)だ」と語る。

 本作は、そんなレオンの、まるでしもべのようなキューブリックへの奉仕ぶりを追っていくのだが、寝る間も惜しむその行動は明らかに異常に映る。ある者は「レオンの行動を理解するためには、まず、天才で、悪夢で、温かくてよそよそしく、冷たくておおらかで、知の巨人にして、映画に取りつかれた男(キューブリック)が、どう映画を作るかを理解しなければならない。これは大変だ」と語るほどだ。

 そして、そんなレオンの姿を通して、映画作りの中毒性や、人たらしと暴君というキューブリックの二面性が表れてくるあたりが、この映画のユニークなところだ。

 実際、「スタンリーは僕を食べ尽くした」と語り、やせ細り、評価もされず、経済的にも恵まれない、現在のレオンの姿は哀れを誘うが、「でも自分で選んでやったことだから。全力を尽くしたし、後悔はしていない」と語る姿には、先のエミリオ同様、キューブリックと共に過ごした日々や、自らの仕事への矜持が感じられて、救われる思いがする。

 この2本のドキュメンタリーを見ると、映画作りは、レオンやエミリオのような数多くの無名の人々が陰から支えていることを改めて思い知らされる。この2本を見た後に、キューブリックの映画が見たくなるのは、もちろん映画自体の出来が素晴らしいこともあるが、映画の奥にひそむ彼らの仕事ぶりをたたえたい気持ちが湧くからだろう。(田中雄二)