エンターテインメント・ウェブマガジン
NHKで1月5日から始まった大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」。第一回「ありがた山の寒がらす」では、舞台となる吉原の様子や登場人物たちを紹介しつつ、主人公の“蔦重”こと蔦屋重三郎(横浜流星)が、食うに困った女郎たちを救うため、老中・田沼意次(渡辺謙)との対面を経て、何やら思いつく過程が描かれた。
蔦重を演じる横浜流星のきっぷのいい江戸っ子ぶりも様になっており、これからに期待を抱かせる第一回だった。すると気になるのは、今後の物語の行方だ。それをひもとくヒントが、綾瀬はるか扮(ふん)する“九郎助稲荷”の語りに隠されていたように思う。ここではその語りに注目し、物語の行方を探ってみたい。
舞台となるのは、江戸時代中期。劇中では1772年、1773年という西暦が表示され、十代将軍・徳川家治(眞島秀和)も登場。そのあたりの時代ということはなんとなくわかるが、具体的にどんな世の中だったのか、いまいちピンとこない。
そこで振り返ってみたいのが、家治登場の場面で語られた「江戸幕府誕生からおよそ170年」という言葉だ。「170年」という数字だけではイメージしにくいが、2025年が、明治維新(明治元年は1868年)から157年であることに気が付くと、少しは時間感覚がつかみやすくなるのではないだろうか。つまり、今のわれわれが、“ちょんまげと刀”の武士の時代が終わった明治維新に感じるくらい(あるいはそれ以上)、蔦重たちにとっては、戦国の世が遠い昔だったわけだ。(もちろん、世の中の時間の流れ方が当時と今では異なるので、単純には比較できないが。)
しかも、この類似性はただの偶然ではなく、意味があると考えられる。それを確かめるため、この後に続く次の語りを振り返ってみたい。
「今や百万都市となった江戸に燃え盛るのは、戦の火ではない。偉くなりたい、楽したい、一旗揚げたい、もうけたい。たい、たい、たいづくし。万事めでたい太平の世に、燃え盛るのは欲の業火。はてはこの世を思うがままに、この両の手で動かしたい。この欲深き時代を、鮮やかに駆け抜けた男がおりました」
戦のない太平の世で、人々が己の欲を満たそうと躍起になる様子を表しているが、どことなく今の時代と重なって見えてこないだろうか。昨年12月に行われた取材会で、本作の脚本を手掛ける森下佳子氏は、舞台となる江戸中期についてこう語っていた。
「基本的には身分制度がはっきりしていて、格差がある。その中で、みんながお金を求めている。どんな人でも何かと戦いながら生きていると思いますが、生死をかけた戦いから遠くなったあの時代の人が、何と戦ったのか。それはたぶん、“自分の欲”ではないかと。その点では、『べらぼう』の登場人物たちが戦う相手は、今の私たちとあまり変わらない気がしています」
さらに劇中、蔦重が吉原の場末にある“浄念河岸”の女郎屋を訪れる場面では、次の語りが入っていた。
「そう、吉原の中は今でいうところの、結構な格差社会でございました」
厳格な身分制度が存在する中に登場した“格差社会”という言葉。ますます江戸中期が今の世と重なってくる。さらに森下氏は、物語の時代背景について、次のようにも語っていた。
「『べらぼう』の時代は、経済を立て直そうとしているとき、異常気象が発生し、すべてが振り出しに戻ってしまうんです。これは、私たちがこの夏(2024年の夏)経験したことではないかと。そのくらい、時代的にはよく似ていると思います」
決定的ともいえる言葉だが、そんな現代にも通じる格差社会の江戸時代中期を、蔦重がこれからどのように生き抜いていくのか。初回試写会の時に行われた会見では、主演の横浜が蔦重について、「町人なので、見てくださる方々と同じ目線で、自分ごとのように近く感じられて、共感していただけると思う」と語っていた。この言葉の通り、蔦重の生きざまを、格差社会の現代を生きる私たちに引き寄せて見られるのではないかと期待している。
(井上健一)