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3月20日に4年振りのニューアルバム『ETERNAL』がリリースというニュースに次いで、来年2025年2月9日まで1年間を通したツアーが発表された清春。今週はその清春のファーストキャリアである黒夢の作品を紹介する。本文にも書いたが、黒夢、そしてその後に清春が結成したSADSと言えば、一時期、怒涛の如く、全国ツアーを展開していた時期があり、当時を知る者としては、清春にはライヴアーティストとしての印象が強く残っている。黒夢、SADSのオリジナルアルバムには優れた作品が多いけれど、清春のバンド時代から1枚を選べと言われたら、このライヴ盤『1997.10.31 LIVE AT 新宿LOFT』で間違いなかろう。
最大で年間100会場全112公演!
先日──黒夢のメジャーデビューシングル「for dear」の発売日である2月9日、2024年3月から2025年2月9日まで1年間を通した30周年記念ツアー『清春 debut 30th anniversary year TOUR 天使ノ詩 『NEVER END EXTRA』』の日程が発表された。ズラッと日時と会場名が並ぶその様子を見て、実に懐かしい気持ちになった。思えば1990年代半ばの黒夢、2000年前後のSADSの全国ツアーは常にこんな感じだった。いや、当時のライヴは週末だけじゃなく、平日も当たり前のように行なわれていたので、正確にはこんなものではなかったと言うべきだろう。とりわけ解散直前の黒夢は、1998年から1999年にかけて100会場全112公演という超ド級の行程でツアーを行なっていたのだから、まったくもって今回の比ではなかった。しかしながら、こうしてライヴ日程が細かく並んでいる姿は何とも清春らしいものとして懐かしく思い出される。
振り返れば、黒夢がデビューした1990年から2000年頃は、いわゆるビジュアル系と言われるバンドが大きく台頭してきた時期だった。黒夢以外では、LUNA SEA、GLAY、L’Arc〜en〜Cielが相次いでメジャー進出し、皆、人気を獲得していった。活動規模がどんどん大きくなり、音源は軒並みミリオンを超えるセールスを記録し、コンサートも次第に大型化。スタジアム公演、ドーム公演も珍しくなくなり、『LUNA SEA 10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY ∞』が10万人、『GLAY EXPO ’99 SURVIVAL』が20万人、L’Arc〜en〜Ciel『1999 GRAND CROSS TOUR』東京公演が2日間で25万人を動員したのは、いずれも1999年のことだ。それぞれ順に5月、7月、8月のことである。各バンドがせめぎ合っていたこともうかがえる。
だが、黒夢はそこにはいなかった。件のバンドたちがライヴ会場のキャパシティを大きくし、最終的に上記のような超特大コンサートを開催したのに対して、黒夢はそれに倣わなかった。迎合しなかったと言ってもいいかもしれない。キャパを大きくするのではなく、会場の数を大幅に増やしていったのだ。全国各地から大都市へ観客を集めるのではなく、彼ら自ら全都道府県に出向いて行ったのである。別に清春は、彼らがあっちへ行くなら自分たちはこっちへ行く…というようなことは言っていなかった。当時よくインタビューさせてもらったのだが、少なくとも自分はそういうことは聞かなかったと記憶している。だが、全国のライヴハウスをくまなく回る当時の黒夢の方針には、ビッグキャパシティ傾向への反発、対抗心があったと見るのがスマートであろう。まさに比類なき、バンドのアイデンティティーを見出そうとしたのであった。
特筆すべきは、ライヴを開催するのが県庁所在地など大都市ばかりでなかったことだ。Wikipediaを見てみたら、1997年の『TOUR Many SEX Years vol. 2//Many SEX , DRUG TREATMENT』では、スターピアくだまつ、結城市民文化センターアクロス、鎌倉芸術館、1998年の『TOUR Many SEX Years vol. 5//CORKSCREW A GO GO!』では、守山市民ホール、泉の森ホールといった、少なくとも当時ロックバンドがツアーであまり訪れることがなかったと思われる会場名を見付けた(筆者の主観も入っているので、間違っていたらごめんなさい)。とても細かく回っていたことが分かる。インディーズバンドであったり、デビューしたばかりの人たちであったり、あるいはベテランと呼ばれる域に達しアーティストであったりが、普段なかなかメジャーな人たちが行かない場所でコンサートを行なうケースは今もたまに見かける。しかし、当時の黒夢はシングルもアルバムも出せば必ずチャート上位となっていたバンドである。当時も相当に稀なことだった。今そんなアーティスト、バンドはまったく見当たらないと思う。
常に前作を凌駕した音楽性
全国各地のライヴハウスを細かく回ることになり、必然的にライヴ活動が中心となった黒夢は、その音楽性も微妙に、しかし確実に変化していった。端的に言うと、ミドル~スローが少なくなっていく。メジャー1st『迷える百合達 〜Romance of Scarlet〜』で言えば「Aimed Blade At You」「百合の花束」「romancia」、3rd『feminism』では「白と黒」「情熱の影―Silhouette―」「くちづけ」「至上のゆりかご」など印象的なミッドナンバーがあったし、その妖艶な雰囲気は初期の黒夢のイメージになくてはならないものでもあったように思う。「百合の花束」はアルバムのタイトルチューンと言ってもいいような楽曲だ。しかし、次第にアルバム作品においてはその比率が少なくなっていった。
まったくなくなったわけではない。4th『FAKE STAR 〜I’M JUST A JAPANESE FAKE ROCKER〜』には、「夢」というその曲名からしてバンド史における重要楽曲と指摘したいようなバラードもあるし、これもタイトルが意味深なミッドスカ「REASON OF MY SELF」も収められている。だが、これ以外はアップチューンで、17曲中(SEを除けば12曲中)ミドルは2曲だ。5th『Drug Treatment』では、「MIND BREAKER」は比較的テンポはゆったりしているものの、これはラウドロックに分類されるものだろうし、「LET’S DANCE」や「BLOODY VALENTINE」は同アルバムタイトルの他楽曲とは異なるバンドアンサンブルではあるがミドル~スローではない。6th『CORKSCREW』に至っては全編パンク、ロックンロールと言っていいアルバムとなった。1998年から1999年にかけては、ライヴバンドとしてのスタンスを固めつつあった時期のアルバム『FAKE STAR』収録曲にしても、そこに収められたシングルナンバーの「BEAMS」「SEE YOU」「ピストル」をライヴで聴いた記憶がほぼない。その一方で、メジャーミニ『Cruel』に収録された「Sick」、『feminism』収録の「カマキリ」といったブラストビートで迫るロックチューンがライヴで欠かせない楽曲になっていたことを今もはっきりと覚えている。
黒夢は1999年1月29日に無期限活動停止することなり、清春はすぐさま新たなバンド、SADSを始動させる。間髪入れず、同年6月にはUKツアーを行ない、7月にメジャー1stシングル「TOKYO」を発表したのだから、やや語弊がある言い方だが、SADSは黒夢から地続きのものであったと見ていいだろう。何しろSADSの最初のギタリスト、坂下たけとも(Gu)は、1998年から1999年にかけての黒夢のサポートメンバーであったし、同じ時期にドラマーとして黒夢をサポートしていた満園英二(Dr)はのちにSADSに参加することになる。SADSは黒夢後期とそうメンバーは変わらないのである。ただ、音楽性はこれもまた微妙に変化していった。1st『SAD BLOOD ROCK’N’ROLL』は、タイトル通りと言うべきか、やはり速いビートのロックンロールが目立つ作品ではあるものの、「Loveless Lover」「憂鬱という名の夢」といったミッドナンバーも収められており、黒夢後期とは若干、勝手が違っている。さらに注目なのはその後、2ndアルバム『BABYLON』において…である。『SAD BLOOD~』とは明らかにベクトルが違う、俗に言う“ノリのいい”ロックンロールを集めただけではなく、初期黒夢にも通じるダークな世界観を見せるなど、敢えてポップさと距離を置いたような作品であったのだ。この辺の考察は、当コラムで『BABYLON』を取り上げた時にしているのでそちらをご参照いただきたいが、黒夢からSADSの1st、2ndに至る話でも、清春が創作活動においても自らに反発してきた人であることがよく分かる。一所に安住を求めないアーティストなのであった。
反骨精神全開の歌詞
『1997.10.31 LIVE AT 新宿LOFT』は、黒夢が周囲のビッグキャパ傾向に反して地方をくまなく回るライヴバンドへとなっていった時期の作品。そもそもこの時期にライヴアルバムを出したこと自体、清春が周囲に迎合していなかった姿勢が垣間見える。この頃、ライヴ作品に関しては映像ものが主流になっており、1990年代に入ってからは、音源のみのライヴ盤で目立ったものと言うと、BLANKEY JET CITY『LIVE!!!』(1992年)くらいだっただろうか。同時期、同世代のバンドで音源のみのライヴ作品を出していたアーティストは見当たらないし(その後、発売したケースはある)、黒夢にしてもそれ以前に『tour feminism PART I』を始めとして何作も映像作品をリリースしている。この『新宿LOFT』にしても併せてVHSとDVDを発表している。そんな中でライヴアルバムを出すというのは“敢えて”であっただろうし、自らのスタンスの誇示があったのは間違いなかろう。
また、この時期はベストアルバムの全盛期であった。バンドものだけで言っても、『TRIAD YEARS act I -THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY-』(1996年)に始まり、『REVIEW-BEST OF GLAY』、LUNA SEA『SINGLES』(ともに1997年)、『B’z The Best “Pleasure”』『B’z The Best “Treasure”』、サザンオールスターズ『海のYeah!!』、『THIS BOØWY』、(いずれも1998年)と、各メーカーともこぞってベスト盤を出したし、出せばバカ売れした。今になって思うと、黒夢の『新宿LOFT』はそんな状況へのアンチテーゼだったとも受け取れる。かつて発表した音源をチョイスし並べ替えてマスタリングする。それもいいだろう。だけど、こちらは全国のライヴハウスをくまなく回っているライヴバンド。自らの楽曲は、過去の音源などではなく、ほぼ毎日、生演奏でファンに届けている。それをそのまま音源にすることは造作もない──。無論、清春はそんなことを言った記憶はない。でも、あのタイミングでライヴアルバムを出したことには、そんなプライドが感じられるところだ。ちなみに、黒夢もベスト盤『EMI 1994〜1998 BEST OR WORST』をリリースしているが、それは無期限活動停止後の1999年2月のことであった。何と言うか、しっかりとけじめをつけていた印象がある。
清春の言質を取っていないのに、なぜに本作が“自らのスタンスの誇示”だとか“ベストアルバム偏重へのアンチテーゼ”だとか思うのは、当時の黒夢の楽曲の歌詞によるところが大きい。反発、反骨精神しかを見出せないのである。
《目障りな制度が Chart 妨害 Count Down/年功序列で芽を潰して Proud Face/Break out, too Burst 染まる前に/Get out, Get up 脱走する》(M1「FAKE STAR」)。
《NEEDLESS 理解もない 第三者の言葉/僕に関する事 口を挟むのが嫌いで》《NEEDLESS 何時になれば 自由と呼べるだろう/僕に合わない物 Ah 消えて欲しい》(M3「NEEDLESS」)。
《Tragic Tragic 腐った電波で/Ugly Ugly 使ってもらう Popular》《No Thanks No Thanks むしずが走る/Is This Rocker? 子供向けタレント》(M6「DISTRACTION」)。
《物心ついた頃から/不可解で仕方がなかった/たいした文章も書けない/その癖に威張り散らしてる》(M8「C.Y.HEAD」)。
《そう、確かにDOORが開いた 僕は振り返らないでいよう/この汚い楽園は心、無くしている 無くしている/わずかな戸惑い消す様に 少年は歌ってる/誰の真似より誰の言葉より疑う事 疑う事》(M13「少年」)。
《初期衝動に 魅せられて 走り出した/僕の感性 いつまでも 閉じたくない》(M14「Like @ Angel」)。
性急なビートとエッジーなギターサウンドが相俟った“THE ROCK”なサウンドに乗せられたこんな歌詞を見たら、そりゃあ勢い熱くもなる。M8はだいぶ身に詰まされなくもないけれど(“でも、俺は断じて威張り散らしてはいないぞ!”と自己弁護するしかないが…)それはそれとして──ライヴアルバムという一時期のバンド像をパッケージしたものであるにもかかわらず、清春というアーティストの本質の一面を浮き上がらせた感のある『新宿LOFT』なのである。
TEXT:帆苅智之
アルバム『1997.10.31 LIVE AT 新宿LOFT 』
2009年発表作品
<収録曲>
1.FAKE STAR
2.DRIVE
3.NEEDLESS
4.S・A・D
5.CAN’T SEE YARD
6.DISTRACTION
7.BARTER
8.C.Y.HEAD
9.BAD SPEED PLAY
10.カマキリ -1997 BURST VERSION “SICK” THE BROKEN DOWN-
11.SICK -1997 BURST VERSION-
12.SUCK ME!
13.少年
14.Like @ Angel
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