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今週はシンガーソングライターの馬場俊英が2006年にリリースしたアルバム『人生という名の列車』を紹介する。ここまで、アルバムは通算22枚、シングルも配信を含めれば20枚以上を発表している彼。毎年ライヴも欠かすことなく、10月28日には、彼と彼のファンにとって“聖地”と言える大阪城音楽堂での公演、『野音でピース!2023』を開催するなど、デビュー以来、極めて順風満帆に活動している。しかし、そんな彼にもメジャーデビューしたばかりの頃は決して順調とは言えない時期があった。『人生という名の列車』は馬場俊英がその言わば不遇の時代から復活を果たした際の記念碑的アルバム。今も彼の潜在能力の高さが伺える作品でもある。
1996年にデビューしたが…
ブームというのは、ブームが沈静化する時、ブームに乗じて登場してきたものが一早く去ってしまうのは当然として、本来去るべきはずではなかったものまでも連れ去ってしまう。それがブームの最大の罪である──。30年以上前に誰かから聞いた話だ。誰から聞いたのか忘れたし、もしかすると、それを話した人も伝聞を語ってくれたのかもしれないので、元ネタがあって、それが有名なのかもしれない。何にせよ、わりと正鵠を射た話ではないかと思う。故に30年以上経っても思えているのだろう。
最近でブームとなったものと言ったら何だろう? タピオカ辺りを例に挙げると分かりやすいだろうか。令和元年くらいまで街の至るところにタピオカドリンクを販売している店があった。それまでタピオカを扱ってなかった店まで販売していたと思うし、コンビニやスーパーにもタピオカと名がついた商品が結構あったように記憶している。そのブームも終わった。ドリンクの販売店は続々と閉店し、それと同時にブームに便乗していた店や会社のいくつかも、その名前を聞かなくなった。廃業、倒産を体験した人にお気の毒に…とは思うが、街に散乱されているプラカップと太いストローを見なくなったのは良かったと思う──話がズレたので戻す。そのタピオカブームは第3次の流行とも言われているし、その衰退にはコロナ禍の影響があったとも言われているので、タピオカは一過性ではなく、今後は定番化するのかもしれない。しかしながら、ドリンクの販売店はおろか、関連商品も一気になくなったことは事実である。ブームが終わるというのは、そういうことなのである。
だが、ブームが去っても、その余波を受けることなく、残り続けるものが確実にある。タピオカにしても、それこそ昭和からメニューにタピオカのデザートを載せている台湾料理店は今もなお商売に励んでいるだろうし、タピオカだけでなく、豊富な中華食材を取り扱っている販売店はまだ健在だろう。確かめたわけじゃないが、たぶん間違ってないと思う。ブームに便乗するのも悪くない。むしろ乗ったほうがいいことのほうが多いだろう。ビジネスマン、商売人は必ず乗るべき…くらいに思う。ただ、生兵法は大怪我のもと…ということわざの通り、ブームになっているものに大した知識がないにも関わらず乗った場合、大失敗する確率は高そうではある。逆に言えば、豊富な知識があれば勝算は上がるということになろう。また、そのブームとなっているものに対する知識は乏しくとも、それに関連するもの、類似するものの知識を蓄えているのなら、ブームが去ったとしても、少なくとも大きく慌てることはないだろう。即座に切り替えが効くくらいのスタンスがあればよりベターだ。
そうしたところから、かなり強引に馬場俊英というアーティストの話に入っていこうと思う。彼のデビューは1996年。シングル7枚とアルバム3枚をリリースするも、2000年にレーベルとの契約が終了している。それもそのはず。今回調べて分かったことだが、この時期の彼の音源はまったく売れなかった。Wikipediaの馬場俊英→作品の項目の表組にある、その時期の音源の最高順位は全て“-”となっている。順位が不明なのだろう。その後に彼がインディーズでリリースした4th『フクロウの唄』(2001年)は272位、5th『鴨川』(2002年)は268位、6th『blue coffee』)(2004年)は271位となっているので、もしかすると2000年までのメジャーで出した音源はそれ以下だったのかもしれない。(おそらく集計方式が異なっていたために、2000年までの音源は“-”なっていた思うが、それにしても)セールス的には失敗していた。契約終了も止む無しであったと言える。
馬場俊英が最初にメジャーに居た1996年から2000年はまさにブームの渦中だった。いわゆる“CDバブル期”だ。日本でのCDの販売が最高を記録したのが1998年で、1999年から売り上げが減少している。[シングルは、1995年・1996年・1998年には、オリコンチャートで20作以上がミリオンセラーを記録]していた。出せば売れた…とはいささか乱暴な物言いだが、それに近い側面もあったと思われる。レコード会社は儲かっていたから、予算も潤沢だった。バンドもソロもこの時期、多くの新人がデビューしていた。しかし、シングルも[2002年以降は、毎年1作から数作が出るか出ないかというペースにな]り、ブームは去っていった(ここまでの[]はWikipediaからの引用)。
自主制作からのメジャー復帰
ブームの下り坂での契約終了となると、もはや浮上の目はない。浮上どころか、そのまま音楽業界から消えてしまったとしても何ら不思議ではない。当時そんなアーティストはあまた居たと思う。しかし、馬場俊英はそうではなかった。2000年にレーベルとの契約が終わってから、活動の場をインディーズに移した。自主レーベルを設立し、前述したアルバムを制作。聞いたところによると、その時期には自分のCDを自らショップに納品したこともあったというから、インディーズというカテゴリではなく、自主制作と言った方がしっくりくるかもしれない。自身のライヴ活動と並行して、他者への楽曲提供も行なっていたそうだが、少なくとも、1~2年は地味な活動が続いたようだ。
そうした活動を続ける中、2004年にラジオ番組内の企画として生まれた「ボーイズ・オン・ザ・ラン」がコブクロにカバーされ、2005年には、これもまた同番組内で制作された「人生という名の列車」を、その後、テレビのバラエティー番組において内村光良やさまぁ〜ずらがカバー。馬場俊英にも注目が集まり、ついに彼はメジャーレーベルと再契約を交わすこととなる。2005年8月にリリースした、「ボーイズ~」も収録した4曲入りシングル「BOYS ON THE RUN 4 SONGS」が再メジャー音源の第1弾であり、それに引き続いて、満を持して発表されたのが今回紹介する7th『人生という名の列車』である。本作には彼の再浮上のきっかけとなったと言える、その2曲も収録されており、ともにそのインディーズ期に彼が何を想って活動していたのかがよく分かる代物である。
《一体誰があの日オレに一発逆転を想像しただろう?/でもオレは次の球をいつだって本気で狙ってる/いつかダイアモンドをグルグル回りホームイン/そして大観衆にピース!ピース!ピース!ピース!ピース!/そしてさらにポーズ!》(M1「ボーイズ・オン・ザ・ラン〜Album version〜」)。
《前略 父さん母さん あなたたちもこの風に吹かれていたんだと/この向かい風に立ち向かっていたんだと/遅まきながら知った気がした あれは平成十年》《どんなときも信じる事 決してあきらめないで/向かい風に立ち向かう 勇敢な冒険者でありたい 平成十八年》(M9「人生という名の列車」)。
M9の《平成十年》は彼が最初にメジャーデビューした年。《平成十八年》は当初“平成十七年”だったものを改変したというが、前者は本作がリリースされた年で、後者は再メジャーデビューした年なので、どちらにしても、馬場俊英の個人史にとって重要な年である。M1は4th『フクロウの唄』と5th『鴨川』にも収録されており、それをメジャー復帰アルバムの1曲目に置いたことでも、彼にとっていかに大事なナンバーであったかがうかがえる。ともにフォークロック的楽曲で、今聴いても音源に見事に閉じ込められた迫力──“鬼気迫る感じ”と言っていいかもしれない──を体験できるのは間違いない。M1は過去に挫折を味わったことがある人なら必ずや共感できるだろうし、M9は彼と同世代(…ということ今はいわゆる“アラカン”か?)は今も落涙必至ではなかろうか。もちろん、世代や背負ってきたものが違う人でも、これらの楽曲に何かしら感じるものはあるだろう。だからこそ、この楽曲群は“CDバブル”の終わりとともに一旦メジャーを離れた馬場俊英自身を再びシーンに浮上させたのだ。それは疑いようのない事実だろう。
作編曲家としての確かな手腕
ただ、M1、M9でメジャー復帰したとは言え、それだけ(あるいはその路線)でその後も続いたかと言えば、それにも疑問が残る。馬場俊英はその2004年の再メジャーデビューから一度も活動を止めることなく現在に至っている。現在はメジャーを離れ、自らのレーベルから音源を発表しているが、冒頭で述べたように、2023年10月28日には大阪城音楽堂での7年振りのライヴとなる『野音でピース!2023』を実現させるわけで(しかも指定席はソールドアウト!)、インディーズだからと言って、決して活動の規模は小さくなってないだろう。結論から言えば、今回『人生という名の列車』を聴き直してみて、M1やM9以外の楽曲にも、馬場俊英というアーティストがメジャー復帰する要素が十二分にあったことをよくよく理解することができた。そこをちゃんと述べておきたい。
“そりゃあメジャーのレコード会社はこのアーティストを放っておかないだろう”──今もそう感じる楽曲がある。ポップスとしてちゃんとしているし、いろいろと巧みなのだ。例えば、M3「風の羽衣」。聴く人によっては、フォーキーなナンバーと受け取る人もいるかもしれないし、それはそれで間違ってもいないのだろうが、個人的には単にフォーキーと片づけられないほどに、いちいち良くできていると感じる。確かにイントロではアコギのストロークが聴こえてくる。M1、M2「君の中の少年」はまさにフォーキーだし、テンポは少し落ちるとは言え、それらに引き続いてのM3であるから、聴き手のアーティスト像は大きく変わらないだろう。ただ、そこにフルートが重なる。エレキギターがワウペダルを使ってチャカポコと鳴らされ、ファンキー要素のあるナンバーであることが露わになっていく。1番と2番の間、いわゆるブリッジでのサウンドはそれがさらに派手になっていくし、後半のサビでは溜めの効いたブレイクを入れて決めてくる。サビもキャッチーでさわやかなので、これはフォークというよりも、昨今ブームのシティポップ寄りと言ったほうが良かろう。M1、M2からシームレスに曲をつなげつつ、サウンドを変化させていく。アルバムとしてなかなか粋な作りだ。
M4「STATION」はミドルバラード。バンドサウンドでエレキギターも強めな上、ピアノ、ストリングスも配されている。サビメロはドラマチックでR&B的でもある。アコギが聴こえてくるものの、これも単にフォーキーというわけではない。続く、M5「一瞬のトワイライト」はM3以上にシティポップなサウンドを聴くことができる。Aメロは言葉多めで、そこは一瞬フォークソング要素を感じてしまうが、楽曲が進むに連れて、その言葉の多さにはブラックミュージック的な解釈ができることに気付く。ラップ…とまでは行かないけれど、リズミカルにヴォーカルが展開しているのである。加えて、サビはレンジが広く、M4以上にR&B的。キャッチーでありながら、しっかりと昇っていく。メロディーメーカーとしての確かな手腕が分かろうというものだろう。
アルバム後半も、M7「涙がこぼれそう」での、やはりブラックミュージック要素を感じさせるメロディを聴かせつつ、ロック色の強いサウンドも聴きどころではあるのだが、最注目はM8「アイビー」だろう。The Beatlesのオマージュ全開である。ブラス、ストリングス、オルガンに加えて、リバース音も聴こえてくる。ドラムの音も何ともらしい。歌のメロディは、それなりにJ-POP的で(…というと若干語弊があるかもしれないが)、展開はThe Beatles楽曲を彷彿とさせる。《タンジェリンとマーマレードのフレイバー》という歌詞は「Lucy in the Sky with Diamonds」からの拝借だろう。別にThe Beatlesオマージュが偉いとか言いたいのではない。もっと言えば、前述のシティポップやブラックミュージック要素が特別にいいというわけでもない。そういうことではなく、この辺からは、M1やM9で披露している歌詞の世界観だけでなく、その他の音楽的要素──メロディー、サウンドのポテンシャルの高さが馬場俊英に備わっていたことがしっかりと感じられる。こんなアーティストをメジャーのレコード会社はもちろんのこと、音楽好きなリスナーが放っておくはずがない。彼はそもそもブームに吞まれないアーティストであったのだ。
TEXT:帆苅智之
アルバム『人生という名の列車』
2006年発表作品
<収録曲>
1.ボーイズ・オン・ザ・ラン〜Album version〜
2.君の中の少年
3.風の羽衣
4.STATION
5.一瞬のトワイライト
6.今日も君が好き〜Album version〜
7.涙がこぼれそう
8.アイビー
9.人生という名の列車
10.遠くで 近くで
11.スタートライン〜Album version〜
12.旅人たちのうた〜Album version〜
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