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“貧しいところからブルースは生まれる”と、ステレオタイプな言い方から始めてみるとしよう。音楽の発生は多様であり、ひと括りにできないから必ずしも…とは思うものの、当たらずとも遠からず、だろうか。生活困窮、劣悪な労働環境、人間関係、不穏な夫婦関係、妻、恋人の不貞、仲間の裏切り、人種差別、犯罪、殺人、戦争…と。なるほど、ブルースはそういった状況のもとで生まれ、また、そういった内容を歌われていたりする。演っている演奏者、歌手も歌、曲と同じ境遇にあることも多々ある。中には贅沢な暮らしに身を置き、何不自由もないステイタスにいながらブルースをやるミュージシャンもいるにはいるが、それはそれ。彼(彼女)を通して伝えられるブルースから、より深淵な世界に想いを馳せるのも、この音楽への接し方のひとつである。要するに、この音楽を好きになるには、聴く側の想像力、感受性が問われるのである。
今回ご紹介するのもブルースである。が、その主役は一般的な定説を覆すように、黒人ではなく白人であり、出身地はミシシッピーでもなければルイジアナでもなく、アパラチアである。しかも使っている楽器もギターではなくバンジョーときた。ブルースの定型のような12小節で歌は作られていないし、ブルースらしいフレーズ、リックもない。しかし、ディープとしか言いようがない、深いブルースがここにはある。歌い、演奏しているのはドック・ボッグス(Moran Lee “Dock” Boggs 1898 – 1971)という人だ。
ボッグスは1898年、アパラチアの山ふところ、バージニア州ウェストノートンで10人兄弟の末っ子として生まれている。(不適切な表現を承知の上であえて使わせていただくが)“貧乏人の子だくさん”というか、父親のジョナサンは1848年生まれで、ということは少年時代に南北戦争(1861-1865)を体験していることになる。それもあるだろうが、アパラチアの辺鄙な山間地では医療機関にかかるのは容易ではなく病気や怪我、不慮の事故で子供はたやすく死んだし、何より子供も貴重な労働力だったから大家族は必然だったのだ。一家は貧しく代々ほぼ自給自足の農家で、父ジョナサンは時折大工をして糧を得ていた。ボッグスが生まれた頃にはアパラチアの炭鉱まで鉄道路線が通り、地域の主産業が石炭採掘になると、一家も農業をたたみ、鉱山で働く賃金労働者になる。ボッグスも今でこそミュージシャンの扱いだが、実は生涯、炭鉱労働者だった。ただ、ここでの労働がやがてボッグスの音楽を形作ることになる。
※アパラチアはアメリカ合衆国東北部に位置し、北東から南西に背骨のように伸びる山脈および丘陵地帯で、18世紀頃からアイルランドやスコットランド、ドイツ、スイス他、ヨーロッパからの移民が入植し、彼らによって伝承音楽がこの地に伝えられ、やがて米国のフォーク・ミュージック、カントリー、ブルースを育むなど、ポピュラー音楽の源流域とされる地帯。
ボッグス、炭鉱で黒人音楽を知る
炭鉱には南北戦争後、農場の雇い主の所有物でなくなった、解放農民となった黒人が出稼ぎにやってきていた。そこでアパラチア近在の貧農民と黒人たちが一緒に働くことになったのだが、白人たちは黒人を忌避することなく、親しくしていたという。特にアイルランド/スコットランドをルーツに持つ移民とその末裔は、カトリック、プロテスタントの宗教的な断裂もあって宗派によってはひどく貶まれていたという。同じ人種差別を経験するもの同士が、炭鉱内では互いの境遇を憐れみ手をたずさえていたらしい。
もともと音楽好きで譜面も読むことができた父ジョナサンの影響もあって、一家は日頃から歌を楽しみ、楽器を嗜んでいた(他に娯楽がなかったからだ)。中でも早くからバンジョーを弾いていたボッグスは黒人たちのビートの効いたワークソングに心惹かれるようになる。次第に聴いているだけでは飽き足らず、ついには彼らの宿舎に忍んでいき入り浸るようになり、そこで演奏されるバンド、ダンスパーティーの伴奏をしているストリングスバンドに心酔していくのだった。親しくなった黒人から教えてもらった曲なども自分のものにして、ボッグスはレパートリーを増やしていく。
やがて、彼を媒介して起こった化学反応というべきだろうか。スコッツ、アイリッシュから移民とともに伝承されたバラッド等の音楽と黒人音楽が、本人が意図しないままボッグスの中で融合されることなる。もともとアパラチア一帯で演奏されるバンジョーはフレイリング(クロウハンマーとも呼ばれる)という、親指や人差し指、中指等を弦に打ち下ろすように2ビートのダウンストロークで奏でられるスタイルが多かった。そこに、よりリズムが強調され、微妙なピッキングによるシンコペーションが加わり、さらに哀愁に満ちたボッグスの歌が乗った時、まさにアパラチアンブルースとでも言うべき音楽が生まれたのだ。
20歳になる頃にはボッグスは兄弟とともにバンドを組み、パーティーや集会所などで演奏するようになる。多くは炭鉱の宴会のような荒っぽい現場で、ボッグスも頻繁に乱闘や喧嘩に巻き込まれるという状況だったが、彼らは人気を博していたそうだ。そこから自信を得たボッグスはレコード会社の主催するスカウトオーディションに挑戦し、結果、ブランズウィックレコードに幾つかの録音を残すことになる。
この、1927年頃に録られた音源、他が冒頭左のジャケットのアルバムにまとめられ、1964年にリイシューされているものだ。
世界大恐慌により音楽の道を絶たれる
当時、裏表2曲 のSP盤でリリースされたボッグスのレコードは評判となり、結構売れたらしい。呼ばれて演奏する機会も増え、彼は炭鉱労働者を辞めて音楽だけで食っていけるかもしれないと思いかけた。ところが、1929年に世界大恐慌(The Great Depression)が起こると状況は一変する。以前このコラムでミシシッピー・ジョン・ハートを紹介した時にも触れたが、この金融破綻は全米で一家離散、ホームレス、身売り、失業者があふれ返るというパニックを引き起こした。それは30年代後半まで続くのだ。もはや庶民にレコードを買う余裕などなく、音楽産業も壊滅的なものとなる。無名に等しいアーティストのレコードなど売れるはずはなく、ライヴ演奏の機会もなく、この時期、多くの音楽家がその道を絶たれている。ボッグスとて例外ではなく、やむなく彼はバンジョーを質に入れ、炭鉱夫の仕事に戻るのである。
それから30年の時が流れ、アメリカでフォーク・リヴァイバルが起こる。これはアメリカやアイルランドなどの伝統音楽、ブルースや民謡などを見直そうというムーブメントで、ヒップなカウンターカルチャーのような捉え方で都市の若者に支持された。そして、埋もれていた音楽とその演奏者が相次いで再発見され、レコーディングやライヴ、フェスへの招聘などがセッティングされる。ボッグスもピート・シーガーの義弟でミュージシャンのマイク・シーガーによって再発見され、人生の最晩年に華を咲かせることになるのだ。
ボッグスはフォークウェイズレコードに矢継ぎ早にレコーディングを行なう。すでにLPの時代になっており、音源は3枚のアルバムとなって世に出、いずれも高い評価を得る。冒頭に揚げた右側のジャケットにあるのが、CD2枚にまとめられたその音源集である。レコードが発売されると、その音楽に黒人音楽と欧州由来の伝承音楽が融合されていることに歴史研究家、音楽評論家は驚嘆したという。「Sugar Baby」「Country Blues」をはじめ、いくつもの彼の代表曲が左のアルバムで20代の頃に演奏されたもので、老境に入り、再演されたものが右のアルバムでも聴ける。そんなボッグスの、円熟というよりも、ただひたすら枯れた味わいに、深く打たれるものがある。耳を傾けながら、40年近い彼の空白の時間に思いを馳せる時、そこにはとてつもない“ブルース”が横たわっていると思わずにいられないのだ。
※文中、ニュアンス等を伝える構成上、貧乏人、黒人等の不適切な表現が多々あることをお詫びいたします。
TEXT:片山 明
アルバム『Legendary Singer and Banjo Player』
1964年発表作品
<収録曲>
1. Down South Blues
2. Country Blues
3. Pretty Polly
4. Coal Creek March
5. My Old Horse Died
6. Wild Bill Jones
7. Rowan County Crew
8. New Prisoner’s Song
9. Oh Death
10. Prodigal Son
11. Mother’s Advice
12. Drunkard’s Lone Child
13. Bright Sunny South
14. Mistreated Mama Blues
15. Harvey Logan
アルバム『His Folkways Years, 1963-1968』
1998年発表作品
<収録曲>
■Disc 1
1. Down South Blues
2. Country Blues
3. Pretty Polly
4. Coal Creek March
5. My Old Horse Died
6. Wild Bill Jones
7. Rowan County Crew
8. New Prisoner’s Song
9. Oh Death
10. Prodigal Son
11. Mother’s Advice
12. Drunkard’s Lone Child
13. Bright Sunny South
14. Mistreated Mama Blues
15. Harvey Logan
16. Mixed Blues
17. Old Joe’s Barroom
18. Danville Girl
19. Cole Younger
20. Schottische Time
21. Papa Build Me A Boat
22. Little Black Train
23. No Disappointment In Heaven
24. Glory Land
■Disc 2
1. Banjo Clog
2. Wise County Jail
3. Sugar Baby
4. Death Of Jerry Damron
5. Railroad Tramp
6. Poor Boy In Jail
7. Brother Jim Got Shot
8. John Henry
9. Davenport
10. Dying Ranger
11. Little Omie Wise
12. Sugar Blues
13. Loving Nancy
14. Cuba
15. John Hardy
16. Peggy Walker
17. I Hope I Live A Few More Days
18. Turkey In The Straw
19. Calvary
20. Roses While I’m Living
21. Leave It There
22. Prayer Of A Miner’s Child
23. Coke Oven March
24. Ruben’s Train
25. Cumberland Gap
26. Careless Love
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