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3月1日に米倉利紀、通算27枚目のオリジナルアルバム『black LION』がリリースされた。遅ればせながら今週はその米倉利紀の過去作をピックアップする。自身初のチャートトップ5入りを果たした7thアルバム『i』である。本文でも述べたが、本作が発表された1998年はR&Bというジャンルが日本では今ほどポピュラーではなかった頃。そんな状況の下、米国で本場のスタッフとともにレコーディングし続けてきた彼は、日本におけるコンテポラリR&Bの第一人者のひとりと言って間違いないだろう。『i』にはそのプライドとこだわりがしっかり詰まっているようだ。
1998年の日本のコンテポラリR&B
筆者は、1960年代から当代に至るまでのR&Bと言われる音楽に詳しいわけでもないので、そんな自分がこういうことを言うのは乱暴な話であることを承知の上で申し上げる。日本のR&B、とりわけ男性ヴォーカルによるコンテポラリR&Bは、久保田利伸がシーンに紹介し、米倉利紀が完成させたと言っていいのではなかろうか。今回、米倉利紀のアルバム『i』を聴いてそう感じた。本作の発売は1998年である。1998年と言えば、宇多田ヒカルがシングル「Automatic」がデビューした年であり、MISIAがデビューシングル「つつみ込むように…」、そしてアルバム『Mother Father Brother Sister』を発表している。いずれも大ヒットした年である(「Automatic」は同年12月発売なので、厳密に言えば1999年の大ヒット曲ではある)。この1998年は日本のR&Bの起点というか、臨界点というか、特異点とでも言うべき年であり、最重要な年であったことは間違いない。翌年には、宇多田のアルバム『First Love』が日本国内のアルバムセールス歴代1位を記録。“日本人の持つポップミュージックのDNAが変わった”とか、“宇多田ヒカルの出現によって日本の音楽シーンが焼野原になった”と評する人もいるほどで、潮目が変わった…なんでもんじゃなく、地殻変動が起きたという感じだったのだろう。以降、多くのR&Bアーティストが出現しシーンを賑わせてきた。代表的なところを挙げるとすると、Crystal Kay、小柳ゆき、AI、JUJU、加藤ミリヤ等々、女性シンガーに至っては枚挙に暇がない感じだし、男性ではJ Soul BrothersからのEXILE、CHEMISTRY、三浦大知らが2000年以降に登場して、人気を博したことは説明不要だろう。平井堅もそう。彼はデビューこそ1995年と1998年よりも早いものの、ブレイクのきっかけとなったシングル「楽園」は2000年リリースであるから、彼もまた特異点以降に台頭してきたアーティストと言える。
日本のコンテポラリR&Bの歴史をザっと振り返ってみたが、1998年の重要性は分かっていただけたかと思う。本筋はここからである。この1998年に発売された米倉利紀の『i』は彼の7thアルバムである。邦楽シーンにおいてR&Bがまさにこれから隆盛を迎えんとする時期、彼はすでに7作品ものアルバムを世に送り出していたのである。しかも、デビューが1992年だから、1年に1作ペース。いや、オリジナルアルバムとは別に1995年にはコンセプトアルバム『cool Jamz』、1997年にはリミックス作『mad phat natural things side-B』を発表しているので、年一ペース以上でアルバムを発表してきた。その上、4th『adesso』で初の20位、『cool Jamz』で13位とチャートリアクションも着実に上がっていて、ついに自身初のトップ5入りを果たしたのがこの『i』である。しつこいようだが、それが全て1998年以前のことである。久保田利伸の登場以降、その1998年頃までに、大衆が明確にR&Bと認めたシンガーは男女ともにそれほど多くはない。というか、少ない。せいぜいラッツ&スターを経てソロデビューした鈴木雅之くらいだろう。マーチンは久保田のデビューの少し前にソロ活動を本格化させている。あとは、1995年デビューで、翌年にシングル「情熱」がヒットしたUAもそのひとりと言われているようだ。個人的にはUAはワールドミュージック寄り気もするけれども、UAを入れたところで当時の邦楽シーンでR&Bと呼べたのは数人くらいであろう。そんな中にあって、デビュー以来コンスタントに作品を創り続け、着実に大衆の支持を得て、“日本のR&Bの特異点”以前に自らのポジションを確立した米倉利紀は改めてすごいアーティストと言わざるを得ない。シーンの数年先を行っていたことになる。
米国スタッフとのレコーディング
米倉利紀が邦楽での男性ヴォーカルによるコンテポラリR&Bを完成させたというのは、ここまで述べてきたような外形的なこと以上に、もちろんアルバム『i』の作品クオリティから大いに感じたところである。まず、ほぼ古さが感じられない。1998年は25年前、四半世紀前である。それにもかかわらず…である。まったく…とは言わない。さすがにドンシャリ感はあって時代を感じるものの、自分のようなR&B弱者が聴く分には、ほぼ古さはない。この辺はあとでも述べると思うが、生音が実にいい。同期も使ってはいるが、ギター、ベース、ドラム、キーボード、それぞれの音像がくっきりとしており、何と言うか、全体を通して上質な印象である。その辺も今となっても古さを感じさせないところではないかと思う。
彼はデビュー時から米国でレコーディングを行なってきたという。本作はニューヨーク録音で、プロデュース、アレンジをニューヨークのスタッフが手掛けた楽曲もある。そこは本作の大きなポイントだ。M1~M3を、Puff Daddyの名でも知られるSean Combsと共に多くのヒップホップをプロデュースしてきた“Prince Charles”Alexanderが手掛け、そして、M4、M9、M11に、1990年代を代表する女性ヴォーカルグループ、SWVのプロデューサーであったArty Skyeが参加している。本場のテイストを、鮮度を落とさずに直輸入していたといってもいい。しかも、M1~M3にそれを配しているのはかなり意図的であったのだろう。誤解を恐れずに述べれば、それは当時の日本のシーンへ過度に迎合するのではなく、世界標準のR&Bをやるということではなかったのではなかろうか。とりわけオープニング、M1「I will」がスローバラードであったことに米倉利紀の強い意志を感じる。己のやりたいことを貫いた上で、“まずはこれを聴け!”と言わんばかり。バラードだが、力強さを感じる。M2「Break it down」はアッパーなファンクチューンであり、続くM3「baby c’mon」もビートは強め。比較的正攻法で歌い上げているM1に比して、フェイクとアドリブを効かせてR&Bらしいヴォーカルを聴かせている。M3のサビでのファルセットを駆使した高音の歌唱はかなり聴きどころだ。聴きどころと言えば、この辺りはコーラスもいい。本場の女性ヴォーカルが米倉利紀のヴォーカリゼーションとしっかり絡むことで、楽曲の世界観を確かなものにしていると思われる。
M4「Drive me crazy」は世界的なシティポップブームで近年脚光を浴びる松原みきの作曲のソウルナンバー。ゆったりめだが、ブラスも入っていて音数は多め。それにもかかわらず、きっちりと整理されているのはプロデューサーの手腕が確かなものだと言わざるを得ない。アウトロでかなりハイトーンのアドリブが入るが、気持ち良く歌っているのはサウンドが与える高揚感によるものではないかと思わせる。アルバム前半はニューヨークで本場のプロデューサーの確かな仕事っぷりが示されており、米倉利紀が思い描くR&Bをしっかりと形にしている印象だ。
一方、河越重義氏が編曲を手掛けたM5以降も決して負けてはいない。サウンドはまったく見劣りしないと言っていいだろう。M5「East 14th Street」はダンサブルでファンキーなポップチューンで、ギター、キーボードが楽曲に推進力を与えている。ヴォーカリストのアルバムとは思えない…と言い切ってしまうのもどうかと思うが、サウンドの躍動感はかなりのものであろう。聴いていて実に気持ちがいい。
M6「Love in the sky(original version)」はアルバムの前年秋にリリースされた15thシングルの文字通りのバージョン違い。シングル版はアルバム後半のM14に収録されていて、聴き比べれば歴然で、M6は同期が控えめで、楽器のアンサンブルが強調されている。ドライなアコギ、キビキビとしたドラム、オルガンと、とてもいい音で録れているし、個人的には間違いなくこちらを推したいと思う代物だ。メロディーはシングル曲らしく、サビがキャッチーで、J-POPと言ってもいいはずだが、それをこういうサウンドと合致させたことに意味があったように思う。そうした楽曲でもあるから、セクシーでアーバンな雰囲気のM7「Mr.Lover」、しっとりと歌い上げるバラード、M8「ANNIVERSARY」へとアルバムがスムーズに違和感なくつながっていくのだろう。また、シングルだからと言って安易にアルバム2曲目に置かず、しかも、シングルとはバージョンの異なるバンドアンサンブルで聴かせているところにも彼のこだわりを強く感じるところだ。
J-POPとのシームレスな融合
M9以降はアップチューンが連続する。とはいえ、それぞれに個性的。M9「How are you doing?」はビート強めでありつつもポップ。サビはキャッチーで明るく、親しみやすさを感じる。M10「Sex with You!」はファンク色強めで、セクシーな歌詞はそれに呼応したのだろう。サビのリフレインは、昨今のK-POPにも通底しているのではないかと思ってしまうほどのシャープさがあると思う。
M11「Oh! Boy…..」はArty Skyeのアレンジでイントロから確実に音の違いが分かる代物。やはり楽器のアンサンブルが素晴らしく、特に間奏のギターは絶品である。メロディに日本語が上手く乗っているからか、J-POP的な傾向が強いと言えるかもしれない。そんなM11からM12「Yes,I do.(with BIG HORNS BEE)」へつながるのも心憎い。よく分かっていらっしゃる。M12は本作の前年にリリースされたシングルナンバー。BIG HORNS BEEのメンバーで、フラッシュ金子こと、金子隆博が作編曲を手掛けている。サウンドはもろにモータウンで、歌は実に大衆的。曲の展開も本作中、最もJ-POP的だ。ブラックミュージック要素も邦楽的ポップさも隠さないというか、どちらもスポイルしない姿勢が発揮されていると言える。これは米倉利紀の基本的なスタンスではないかと思う。M13「BE HAPPY」もそうで、ヒップホップ的なニュアンスもありつつ、Bメロではっきりと日本的なメロディーを取り入れていて、R&B要素と親しみやすさを上手く融合させている。M6でオリジナルバージョンを収録していながら、M14「Love in the sky(single version)」も収めているのもその関連だろう。極端なことを言えば、M14はなくとも──もっと言えば、M12~M14もなく、M11からメロウなバラード、M15「Hold you tight」で締め括ることも可能だったはずである。米国で現地のスタッフとともにレコーディングし、言わば本場のR&Bをクリエイトしてきたと言える米倉利紀。それは本作、とりわけ前述したM1~4がはっきりと示している。しかしながら、マニアックにそれを求めるだけでなく、しっかりと日本のフィールドを意識しているのもまた米倉利紀なのである。一度だけ、彼にインタビューさせてもらったことがある。2020年1月、24th『pink ELEPHANT』のリリース時のことである。彼はこんなことを言っていた。以下、そのインタビューから一部抜粋する。
“日本で生まれ育っている以上、僕たち作っている側も聴いている人たちも、J-POPや歌謡曲というものを避けることはできないと思うんです。洋楽がどれだけ好きでも、J-POPや韓流のものすごく美しいメロディーに心を打たれるのって、僕らの生き様なんだと思うんですよ。そこは米倉利紀として大事にしたいと思っていますね”。
彼のアーティストとしてのスタンスは世紀を跨いでも変わっていなかったことが分かる。少なくとも四半世紀、自らが標榜する音楽を貫いてきた。そのこだわりは比類なきものであることは言わずもがなであろう。
TEXT:帆苅智之
アルバム『i』
1998年発表作品
<収録曲>
1.I will
2.Break it down
3.baby c’mon
4.Drive me crazy
5.East 14th Street
6.Love in the sky(original version)
7.Mr.Lover
8.ANNIVERSARY
9.How are you doing?
10.Sex with You!
11.Oh! Boy…..
12.Yes,I do.(with BIG HORNS BEE)
13.BE HAPPY
14.Love in the sky(single version)
15.Hold you tight
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