【ライヴアルバム傑作選 Vol.2】ソウル・フラワー・モノノケ・サミット『アジール・チンドン』は阪神淡路大震災の被災地から生まれた日本の流行歌の正統なる後継

2023年2月15日 / 18:00

トルコ・シリア地震での被害状況をテレビで見るにつれ…というか、正直言って正視に堪えない画も多く、何とも言えない気持ちになっているところである。筆者自身も日本で大きな地震を体験する度、辛い気持ちにならざるを得なかったことが思い起こされる。現地ではまだ被害状況も完全に把握し切れないような大惨事ではあるので、一日も早く平穏な日が…なんてことを言うのは早計であろうから、まずはさまざまな救援が行き渡ることを祈りたい。今週、紹介する『アジール・チンドン』は1995年の阪神淡路大震災をきっかけに生まれた作品。スタジオ収録曲もあるが、大半がライヴハウスで収録されていることもあり、【ライヴアルバム傑作選】として紹介する。
慰問ライヴで醸成された楽曲

この『アジール・チンドン』は真の意味で、初めて日本のストリートから生まれた日本のロックと言えるのではなかろうか。ストリートには“通り”とか“街”という意味もあることで言えば、そこには通りはおろか、街すらも形を成していない状態ではあったので、現密に言えば、ストリートという言葉を使ってはいけないかもしれない。よって、ここで言うストリートとは路上であったり、巷であったりを思い浮かべてもらえれば幸いである。ヒップホップでのストリートは“現場”という意味で用いられることがあるそうなので、こちらのほうがベターかもしれない。

本作が録音されたのは1995年夏から秋にかけてであるが、収録曲が醸成されていったのは1995年2月以降のことである。同年1月17日に発生した阪神淡路大震災。その被災地で行なわれた慰問ライヴにて披露された楽曲群だ。披露というと、自分たちの持ち歌、予め決まったレパートリーを演奏したものと思われるかもしれないが、それだけでなく、慰問ライヴに集まった人々から教わった楽曲も相当数あったという。集った人たちは高齢者も多かったというし、何しろ被災者であるから、楽器を持ち寄って丁寧に楽曲を教えるなんてことはなかっただろう。口伝も多かったに違いないし、サビのメロディーだけ教わってそこから楽曲に仕上げていったものもあったかもしれない。そう考えると、ソウル・フラワー・モノノケ・サミット(以下モノノケ・サミット)の楽曲は、まさに“現場”で“醸成”されたものだと言える。本作発表時点でのレパートリーは50曲以上あったそうで、『アジール・チンドン』にはその中から選りすぐりの9曲が収められている。

ご存知の方も多いとは思うが、まずは本作ならびにモノノケ・サミットの経緯を改めて記す。モノノケ・サミットは、ソウル・フラワー・ユニオン(以下SFU)の別ユニット。念のために説明すると、SFUは1993年にニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴの統合という形で結成されたバンドで、この時点で2枚のオリジナルアルバムを発表していた。

SFUがどういうバンドであるか。乱暴に説明すると、その音楽性はミクスチャーと言うことができる(本来であれば過去の記事を引用するのがいいのだろうが、当コラムではかつてSFUを取り上げていなかった…。その内、書きます)。そう言うと、パンク+ヒップホップ辺りを想像させるかもしれないが、彼らの場合はそうではない。それだけに止まらない。かなり広義のミクスチャーだ。Wikipedia先生の力をお借りすれば、[日本列島周辺に住む民族の民謡(ヤマト、琉球、朝鮮、アイヌ等)や大衆歌謡(壮士演歌、労働歌、革命歌等)、アイリッシュ・トラッドやロマ音楽などのマージナル・ミュージックをロックンロール、リズム・アンド・ブルース、スウィング・ジャズ、サイケデリック・ロック、カントリー、レゲエ、パンク・ロックなどと融合させた音楽を展開]とある([]はWikipediaからの引用)。しかも、それら雑多な音楽を単に合わせるだけではなく、実に巧みに編み上げているというか、多彩な音楽性を違和感なくシームレスに重ね合わせている。簡単にミクスチャーという言葉を用いたが、これはもうハイブリッドと言ったほうがいいだろう。そういうバンドである(ちなみに、SFUの前身であるニューエスト・モデル はそれぞれ当コラムでも紹介している)。
そんなSFUが始動してから1年数カ月後、彼らの活動拠点でもあった関西を大震災が襲う。そこから1カ月ほど経った頃、メンバーのひとり、伊丹英子が被災地でライヴを行なうことを発案。被災地で暮らす人たち、とりわけ高齢者にとって今必要なものは娯楽であろうという想いがそこにはあった。メンバーも快諾した。しかし、まだライフラインさえもままならない場所も多く、彼らが普段使っている電気を用いる楽器の使用は憚られる。そもそもアンプは持ち運びにも難儀だ。必然アコースティック楽器での編成となる。メインヴォーカルの中川 敬はエレキギターを三線に持ち替え、ドラムはチンドン太鼓や朝鮮の打楽器である“チャング”、キーボードはアコーディオンとなった。歌は当初メガホンを用いたそうだが、さすがに演奏に負けて、拡声器に変わったという。その辺も“現場”で培われたものと言えそうだ。モノノケ・サミットはそんな形でスタートした。
チンドンならではのグルーブ

“被災地に明るい場所を作る”“避難所の高齢者に安らいでほしい”という想いのもとで始まったという慰問ライヴ。それを考えれば、そこで演奏されるべきはSFUのオリジナル曲や、メンバーの音楽的ルーツである欧米のロック、ポップスではなく、高齢者の多くにとって耳馴染みのあるもの、誰もが知っているものとなるのも、これもまた必然であっただろう。当時、伊丹英子が民謡に興味を持ち始めていた時期だったとも聞くので、それを実践したとも思われる。本作に収められた楽曲が昭和以前のものである理由のひとつがそこにある。大正期や明治期のものもある。

当然、筆者は各楽曲が生まれた時期(もしくは流行った時期)をリアルタイムで体験していないわけだが、それでも知っているメロディーがいくつもあった。M4「聞け万国の労働者」、M5「デモクラシー節〜デカンショ節」、M8「東京節」、M9「竹田の子守唄」辺りははっきりと聴き覚えがある。とりわけM5の《デカンショ デカンショで半年暮らす コリャコリャ/あとの半年ゃ寝て暮らす ヨーイ ヨーイ デッカンショ》、M8の《ラメチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ/パリコトパナナデ フライフライフライ》は歌詞も(すべてではないものの)メロディーと同時に口ずさめるほどであった。これは「デカンショ節」や「東京節」が初出以降、巷で歌い継がれてきたからであることは言うまでもない。M8は最近もCMソングで使われていたようだし、下手すると令和生まれにも耳馴染みがあるメロディーであっても不思議ではなかろう。何と言うか、メロディー自体の存在感が一過性の流行歌とはまったく異なる。収録曲はそういう楽曲ばかりである。

本作を改めて聴いて思うのは、その強固なメロディーをリピートするところに愉悦が感じられるということ。それは古今東西のロック、ポップスが持つ快楽であるとも言える。ヒップホップも持っているかもしれないし、もっと大枠で見たらダンスミュージックの悦び、愉しみは、誰もが口ずさめる旋律を繰り返すことで生まれるものであると言えるだろう。収録曲からはそれを再確認させられる。無論、単にメロディーを繰り返せばいいというわけではなく、ちょうどいい間合いでリピートされることが大切。すなわち、リズムやテンポ、いわゆるノリが重要になってくることも、当たり前のように感じる『アジール・チンドン』である。

それは演奏がチンドンスタイルであることも大きく関係しているように思う。電気を使わない(使えない)から楽器の音を増幅、加工ができない。ギターにしても何にしてもエレキのように大きな音を長く鳴らすこともできないので、比較的細かく音符を繋いでいかないといけなくなる。手数も増える。別パートが同じメロディー、同じリズムパターンを取る箇所もあろうが、ずっと同じわけにもいかない。モノノケ・サミットのメンバーは皆、確かな手腕を持ったミュージシャンであるから、フレーズに己の個性も出したいだろうし、それが楽曲全体にいい効果を生むことをよく知っているはずである。筆者は音楽理論や演奏面については素人同然なので、これは想像でしかないけれど、そんなチンドンスタイルならではの演奏であることで、よりいいグルーブが生み出されるようになったのではなかろうか。ポリリズム──[拍の一致しないリズムが同時に演奏されることに]よって生まれる[独特のリズム感が]SFU以上に発揮された([]はWikipediaからの引用)。そう思うのだ。
カバー集に留まらない作品の精神性

モノノケ・サミットの活動が阪神淡路大震災の被災地で行なわれた慰問ライヴであり、高齢者に音楽で安らいでもらうという意図があったことは先に述べた。だからと言って、この『アジール・チンドン』はそこで演奏されたものを単にカタログ的に並べたものではない。しっかりと(この言葉を使うのは本意でないが)俗に言うメッセージを湛えているところは強調しておきたい。

オープニングがM1「復興節」である。原曲は1932年の関東大震災直後に作られたものだという。これをアルバムの頭に持ってきたところからして、本作がいつどんな想いで創作されたのかということが明確に分かる。また、続くM2「美しき天然」は、もともとチンドン屋がよく演奏していたことで世間に広まったと言われている楽曲。これを収録することでモノノケ・サミットのスタイルを提示していると思われる。優れたDJのプレイの如く、1、2曲目でアルバムとバンドの本質を的確に表した見事な選曲である。

また、明治、大正、昭和の流行歌や民謡、唱歌をそのまま歌うのではなく、モノノケ・サミット流に歌詞をアレンジしている。そこにも彼らの“意気”が感じ取れる。

《家は焼けても神戸っ子の 意気は消えない見ててよネ/アラマ オヤマ ホンマの人間ここにあり/笑って 怒って 涙はいらない デッカンショ/阪神復興 エーゾエーゾ/淡路復興 エーゾエーゾ/日本解散 エーゾエーゾ》(M1「復興節」)。

《国際化 ボーダレスと言うけれど 地球の裏側の島国の/言葉をしゃべって得意顔 ほんまの祭りはどこにある》(M3「ラッパ節」)。

《ウチナチュもアイヌもイヤサッサ/ヤマトンチュもコリアンもドッコイショ/アイヌもウチナンチュもヘイエイホー/コリアンもヤマトンチュもアリアリラン》(M8「東京節」)。

よもやそんな抗議はないと思うが、“伝統的な民謡や唱歌を替えるなんて…”という向きが万が一にもあるかもしれないので念のため言っておくと、これはむしろ本来の流儀と言える。M5「デモクラシー節〜デカンショ節」がまさにそれで、そもそも「デカンショ節」は[兵庫県丹波篠山市を中心に盆踊り歌として歌われる民謡であり]、その節に独自の歌を載せたものが「デモクラシー節」である。M8「東京節」もそうだ。原曲は米国の「Marching Through Georgia(ジョージア行進曲)」で、原曲とはまったく関係のない大正期の東京の風俗をそこに乗せたものだ。当時の世相を絡めてアップデイトしていくことが正しきマナーなのであって、モノノケ・サミットはそれを行なっていたのである。そう考えると、彼らは日本の流行歌の正当な後継者と呼んでもいいかもしれない。
TEXT:帆苅智之
アルバム『アジール・チンドン』
1995年発表作品

<収録曲>

1.復興節

2.美しき天然

3.ラッパ節

4.聞け万国の労働者

5.デモクラシー節〜デカンショ節

6.貝殻節〜アランペニ

7.がんばろう

8.東京節

9.竹田の子守唄


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