MORRIE – Key Person 第27回 –

2022年10月20日 / 10:00

MORRIE (okmusic UP's)

“まだ可能性がありそう” そこがやり続ける一番のところ

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』の第27回目は、インディーズレーベルからリリースした1stアルバム『DEAD LINE』が2万枚以上の売上を記録するなど、数々の伝説を持つDEAD ENDのヴォーカリスト・MORRIE。彼の人生初ステージの記憶から、憧れを抱いてきたもの、今現在につながる活動動機を探る。
MORRIE
モーリー:1980年代、伝説のロックバンド・DEAD ENDのシンガーとしてシーンに登場。インディーズシーンで数々の記録を塗り替え、鳴り物入りで87年にメジャーデビュー。4枚のオリジナルアルバムをリリースし、90年1月の活動停止後、本格的にソロプロジェクトを始動。精力的にライヴを展開し、さまざまな音楽性をちりばめたサウンドを発表した。92年にニューヨークに拠点を移し、95年1月の3rdアルバム『影の饗宴』リリース以来、活動をストップしていたが、05年12月にCreature Creature名義でシーンに復帰。09年にはDEAD ENDを再始動する。以降はソロとバンドを並行して活動し、14年1月に20年振りの4thアルバム『HARD CORE REVERIE』を発表。19年4月には5thアルバム『光る曠野』を発表し、ソロ30周年のアニバーサリーを経て、22年9月にはMORRIE自身初となるDEAD ENDセルフカバーアルバム『Ballad D』をリリース。
人生で具体的に 何をどうするとか考えていない

──MORRIEさんがロックに目覚めたきっかけって何だったのでしょうか?
「“これだ!”という感じではないんですよね。母の従兄弟なのですが、お兄ちゃんみたいな人がいまして、彼はロックが好きで、僕が小学生だった頃に部屋に遊びに行くと、怪しげなポスターが貼ってあって、レコードをかけているわけですよ。それがDeep Purpleだったり、Pink FloydやLed ZeppelinやQueenなどの70年代のロックで、それがある種の洗礼だったとは思います。小学6年生の時にテレビで観て“なんや、このませた女たちは!?”と驚愕したThe Runawaysや、ラジオで聴いたVan Halenとかもそうですね。まずはFMラジオを聴いて、いい曲が流れたら録音して、それを繰り返し聴く。レコードは自分が直観的に“よし!”と思ったものを買って、部活から帰ったら繰り返し聴いていました。」
──その当時に思っていたロックの魅力とは?
「兵庫県の山奥に住んでいましたので、まず情報がないんですよ。ラジオを聴いて曲が気に入るかどうかだけなんです。あとは、だいぶ離れたジャスコみたいなところにレコード屋があったので、日曜日にそこへ行って、レコードを片っ端から見て、“これ良さそうやな”と思ったら、多くはない小遣いで買うみたいなね。音を聴いて、ジャケットやインナーの写真を見て、自分の中で想像を膨らませるしかなかったので、ある意味純真な聴き方ではあったと思います。」
──MORRIEさんのステージデビューは高校3年生の時だそうですね。
「高校1年の終わりにギターがやりたくなったんですけど、田舎だからロックみたいなものを聴いている人はクラスにひとりかふたりくらいでした。別のクラスにThe Beatlesが好きでギターを弾いていた友人がいたので、彼からリッケンバッカーを借りて最初に教わったのが、スリーコードの「I Saw Her Standing There」。最初はギタリストになりたかったんですが、音楽の授業で歌っていると、それなりに歌えて声量があるとか思われたんでしょうね。高3の時に東洋大姫路高校のバンドがオーディションに出るためにヴォーカルを探していて、“お前は声がいいし、洋楽を知ってるから歌ってみてよ”と誘われ。面白そうだと歌ってみたのがThe Policeの「Message in a Bottle」。オーディションに通って、出場権を得た姫路の文化センターがお客さんの前での初ステージでしたが、その時に「Message in a Bottle」他、Led Zeppelinの「Stairway to Heaven」、Pink Floydの「Time」、Deep Purpleの「Burn」とか…6、7曲をやりました。」
──その時は楽しめましたか?
「あっと言う間で覚えていないですけど、妙な解放感があっていいなと思いました。」
──周りにロックを聴いている人があまりいなかった中でロックバンドをやるというのは、道から外れるような風潮があったのでは?
「ありましたし、それは田舎を出てから神戸や大阪に行っても外れていましたね。髪の毛を伸ばして染めていたらアウトサイダーでしたから。まぁ、そこは腹を括るというか。自分や人生に対する無根拠ながらもというか、無根拠ゆえの妙な信頼がありますので、今でもそうですけど、人生で具体的に何をどうするとか、人生計画のようなものは考えないんですよ。行き当たりばったりできているので、当時は“バンドをやりたいからやる”というだけでした。自暴自棄とか投げやりな感じということでもなく、当時から“死ぬ時は死ぬし、それでいいんちゃう?”という構えでしたね。」
──1984年にはDEAD ENDを結成しますが、80年代の音楽シーンはMORRIEさんから見てどんな印象があったのでしょう?
「面白かったですよ。80年代初頭から色んなジャンルで新しい感覚を持った面白いバンドが出てきて、日本では80年代前半から中期はインディーズブームがありましたし、ライヴハウスにもよく行っていました。当時はヘヴィメタル、パンク、ハードコアパンク、ニューウェイブ、ロックンロールとか、どのジャンルの人なのかがファッションで分かるんですよ。DEAD ENDはメタルをやりたいとか、パンクをやりたいとかではなくて、とにかく面白いことをやりたいメンバーで集まりましたね。あの頃はいろんなバンドが混在していて、社会感覚として、何でもありみたいな感じがありました。90年代はそれがもっと細分化されていったと思いますけど、80年代の時点で“どれだけ変な恥ずかしいことをするか?”“どこまで過激なことができるか?”っていうものの競い合いみたいなところがありました。いつの時代も鬱屈した衝動を抱えたラジカルな若者はいるわけですが、僕らの世代は政治運動というようなことはまったくなく、暴力破壊衝動が音楽として発芽したような感じだったと思います。」
──DEAD ENDはそういった競い合うような気持ちを持っているバンドには思えなかったのですが。
「バンドの方針というか統一的意志みたいなものはなかったので、バンドとしてはなかったと思います。煎じ詰めればこの世のことって全て好みなんですよ。メンバーそれぞれが“俺はこれがやりたい”“俺はこれだ!”って好きなものに邁進する派でした。“お前違うで”“俺が正しいで”と、敵と味方になったら永遠に戦わなくてはなりませんから。当時からそんな感覚はあったと思います。」
“俺たちはこれしかできない” みたいなところがあった

──1986年6月にインディーズレーベルからリリースしたアルバム『DEAD LINE』は2万枚以上の売上を記録していて、デビュー前にもかかわらず大阪・バーボンハウスで開かれた発売記念ライヴには800人以上が集まるという、そのデビュー前の反響はどう受け止めていましたか? それこそ『DEAD LINE』は当時、インディーズでは前例がないほど売れたわけですが。
「バンドで本格的にアルバムを作るというのが初めての経験で、そこで自分の実力を目の当たりにせざるを得ませんでしたね。メンバーのことは分からないので僕だけの話ですけど、“ダメダメやな”と思いました。でも、出来上がって、お金もかけて作ったからリリースするしかない。心の中では“売れないでくれ、売れないでくれ…”と思っていましたよ。なのに、バカスカ売れるし、お客さんは増えるしで、“おいおい…もうやるしかないな”と。まぁ、今では笑いながら聴けるんですけどね。やっぱり当時の破天荒なエネルギーが詰まっていますし、若さはそれ自体が価値じゃないですか。それはもう絶対にできないことなので。」
──その翌年の1987年9月にアルバム『GHOST OF ROMANCE』でDEAD ENDでメジャーデビューされましたが、MORRIEさんにとってメジャーデビューというのはどんな出来事でしたか?
「上京して生活環境が変わって、メジャーデビューをして制作規模も大きくなりましたけど、“この流れに乗ってガンガンいくぜ!”という感じでもなかったですね。メジャーになると、1枚目のアルバムを作って、次は“さらに売るには?”となりますよね。それこそ曲をポップにするとか、歌詞を分かりやすくするとか、ラブソングを書くとか、実際にそういう要求もありましたし。分かっていたけど、それが肌には合いませんでした。いい意味でも悪い意味でも、バンドのアティチュードとして“俺たちはこれしかできない”みたいなところがありましたから。ある程度は売れないと次が出せなくてやっていけない状況の中、それぞれに個人的なせめぎ合いはあったとしても、最終的に妥協した人はいないと思います。まぁ、それしかできないんで。」
──売れようと思って売れることができたとしても、歴史に残ることというのはやろうと思ってもなかなかできないことだと思います。DEAD ENDのやりたいことをやる姿勢が結果的に今もロックシーンに影響を与えていますし、やりたいことに没頭したからこその影響力があったのではないかと。
「結果から見てきれいにまとめるとそうかもしれないですね(笑)。1989年の9月に『ZERO』というアルバムを出したんですけど、制作中からバンドはもう終わるかなって感じがちょっとあって。「I WANT YOUR LOVE」という曲から始まりますが、僕の口から《I want Your love》、しかもど頭のコードがDメジャーでガーン!なんて、それまで聴いていたファンからしたらあり得なかったはずです。あれは売れようと色目を使ったのではなく、“もう何でもいいや”みたいな(笑)。ある種の開き直りというか。DEAD ENDはうまいバンドだったので、テクニカル的にも結構いろんなことができてしまうんですよ。結果的にはあのアルバムがメタルからの完全脱却になって、僕の見立てでは9割くらいファンが変わりました。たぶん前作の『shambara』(1988年5月発表のアルバム)まで好きだった多くの人はそっぽ向いちゃったと思います。ところが何十年も経って“今聴くといい”と言う人がかなりいるので、開き直ってメジャーな感じの曲を作りましたけど…僕のことは置いておいて、演奏はしっかりしているし、筋が通っているから、未だに聴かれていても十分に聴き応えがあるんじゃないかという気はしますけどね。」
──何かに憧れて自分でもやってみようとなると、まずは真似から始めると思うのですが、MORRIEさんは何かの真似をしていた時期はないんですか?
「真似というか参考にするようなことはありますが、人生において誰かを崇拝して、とことんその対象の真似をするようなことはないですね。ただ、バンドを始めた時にGASTUNKってバンドがいて、僕が見て一番カッコ良いバンドでした。ライヴを観に行ったり、対バンもさせてもらったりして、ヴォーカルのBAKIさんのシャウトがすごいと思っていたけど、それを自分でやっても同じようにはできないじゃないですか。でも、そこで衝動的直感的にやっているうちに自分なりの歌い方ができていくという按配です。とにかく歌っていて法悦的に気持ち良くなれるのがベストですね。何か引っかかるとか、苦しいとか、いつも限界みたいなところでやっていた時期もあったので、陶酔とは遠かったことが多いけれども、稀にそういう瞬間があったとは思います。それを瞬間ではなく、あらゆるパフォーマンスにおいてそういう境地を実現できるのが理想です。覚醒された忘我というか無我の境地。そうやって最高のものが出るんだと思うんですけど、それでウケなかったらしょうがない。それは今もそんな感じです。」
──この企画では最後にもっとも影響を受けたキーパーソンをうかがうのですが、そういった存在はいますか?
「ひとりあげるとすれば、やはり初期に大きなインスピレーションを与えてもらったGASTUNKのBAKIさんです。ただ、その時その時で好きな人はいますけど、絶対的に崇拝する人はいないですし、根源的、本質的観点から言っても全ては“私”ですから。」
──誰かを目指すという気持ちではないのであれば、MORRIEさんは今どんな感覚で音楽を続けていらっしゃるのですか?
「歌を歌うということは多分に肉体労働ですから、この肉体を駆使してどこまでできるのかっていう挑戦ではあります。“目指す”というのではないですけど、“まだ可能性がありそうだな”と思えるので、そこがやり続ける一番の理由ですね。あとは、やっぱり楽しくないと。ソクラテスの“生きるために食べよ、食べるために生きるな”じゃないけど、“音楽をやるために生きているのか、生きるために音楽をやっているのか”ということです。可能性が感じられる間はやるでしょうし、じゃなかったら辞めると思いますね。生活のためという比重が大きくなるならば、ミュージシャンなんてお金を稼ぐには非効率ですし、やっている意味がないですから。音楽に限らず、アートをやっている人も文章を書いている人もそうだと思うんですよ。だから、やはり大切なのは志だと思います。」
取材:千々和香苗


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