ユーミンの何度目かのブームをけん引したエポック作『Delight Slight Light KISS』に隠された戒めの眼差し

2022年10月5日 / 18:00

ベストアルバム『ユーミン万歳!〜松任谷由実50周年記念ベストアルバム〜』が10月4日にリリースされた。しばらく前から、このアニバーサリーに併せて、テレビ、ラジオはもちろん、紙媒体もユーミンの露出が多くなっており、ちょっとした祭り状態である。当コラムでは過去、『ひこうき雲』『SURF&SNOW』を紹介しているが、やはりこの祭りに乗じて、またユーミンのアルバムを紹介してみたい。アルバムの数が多いだけでなく、名作と呼ばれる作品も多いアーティストであるからどれをチョイスするか迷うところではあるが、個人的な思い出もあって、『Delight Slight Light KISS』とした。恐縮ながらその思い出も交えて、アルバムの作風とリリース当時の状況などを書いてみた
ここまでノンストップの50年間

デビュー50周年というその歳月の長さにただただ敬服するのだが、この間、某氏が“単に50周年というだけなら、それなりにいる”と言っていた。曰く“間が抜けている”、つまり、途中活動を中止している人や、バンドであれば一度解散して再結成というケースなら、デビュー50周年はわりとあるという。そういう人たちはツアーもほとんどやっていない。やっていないけれども、デビューが1960年代後半から1970年代前半ということであれば、それはそれで50周年にはなるのである。確かにそうだ。だからと言って、それが悪いとか何だとか言うつもりはない。50年もあれば、その間、少し休んでも咎められるものでもないし、休むことなく活動を継続している人のほうが稀なのである。要するに、ユーミンは別格という話である。

実際、今回、ユーミンの経歴をしっかり調べてみて、ちょっとビビった。そうであることはぼんやりと知ってはいたが、それを目の当たりにすると、驚異を覚える。畏敬を感じざるを得ないのである。1973年の1stアルバム『ひこうき雲』以降、今年2022年までに音源発表を欠かした年は2017年のみ。2017年にしても休養していたわけではなく、春から秋まで70本を超える全国ツアーを行なっていたのだから、むしろ活発に動いていた。特筆すべきはオリジナルアルバムリリースのペースだ。まず、デビューから2002年までに発表したアルバムが実に32枚。1年1枚以上という計算になる。オリジナルアルバムを発表しなかった年もあるけれども、1978年、1979年、1980年、1981年、そして1997年には1年に2枚ずつ出しているし、オリジナルが出ていない年には大体ベスト盤がリリースされている。その事実には啞然とさせられる。前世紀のユーミンは“留まる所を知らない”という状態なのであった。

しかも、その作品はすべてチャートトップ10入り。1981年の12th『昨晩お会いしましょう』から1995年の27th『KATHMANDU』までは全てて1位だったのだから、本当に絶句するしかない。その後、今世紀に入ってからはオリジナルアルバムのリリースペースこそ落ち着いたものの(それでも2~3年に1枚ペースであって、それは彼女クラスのアーティストではむしろ異例のペースと言っていいかもしれない)、ベスト盤や他アーティストとのコラボ作品などを含めて考えると、その活動歴において、“間が抜けている”なんてことはまったくないのである。こうなってくると、ユーミンは超人と言ってもよかろう。いや、もはや人智を超えた存在、ほとんど魔女と言ってもいいのかもしれない。

そんなユーミンであるから、その音楽に触れたことがない日本人は皆無と言っていいだろう。とりわけ前述した1970年代半ばから2000年代前半までに多感な時期を過ごした、現在30代半ばから60代半ばくらいの人たちは大なり小なりユーミンからの影響を受けていることは間違いない。その世代に、“思い出のBGMは?”なんてアンケートを取ったら、おそらくユーミンの名前が上位に上がるだろう。50~60代ではぶっちぎりのトップであるような気もする。

私事で恐縮だが、個人的にもユーミン楽曲で思い出すことがある。平成元年(1989年)か2年(1990年)の冬、まだ会社員だった頃(ていうか、会社員になってまだそれほど経っていなかった頃)。同僚に誘われてスキーに行くことになった。映画『私をスキーに連れてって』のヒットによってスキーブームに火がつき、当時の若者たちはこぞってゲレンデに出かけていた時期で、恥ずかしながら自分も当時のブームに乗ったひとりであった。同僚の赤いMAZDAファミリアで、女子は同行しなかった…と記憶しているが──いや、どうだったか…ホント覚えてないのだけど、そのファミリア内にはユーミンナンバーが、さも当たり前のことのように流れていたことをよく覚えている。『私をスキーに~』の挿入歌であった「サーフ天国、スキー天国」「恋人がサンタクロース」「BLIZZARD」辺りに加えて、「リフレインが叫んでる」がかかっていた。彼はわざわざ、少なくとも『SURF&SNOW』『NO SIDE』『Delight Slight Light KISS』から楽曲をセレクトしてカセットテープにダビングしていたのだ。今みたいにサブスクのプレイリストなんてものはなかったのだから、好きな人はこのくらいの手間は厭わなかっただろう。でも、シチュエーションに合わせてカセットの編集をするというのは、今考えてもマメはマメ。マメ狸だ。ちなみに、そこから30数年。現在、彼は某会社で部長職に就いていると聞く。マメな奴は出世もする。おそらくビジネス面においてもユーミン楽曲が彼に何かしらの影響を与えていたに違いない。自戒を込めて改めて白状しておくと、筆者も彼の影響でからその後、『SURF&SNOW』辺りを車に常備していた時期があったことを付け加えておく。
奥深き「リフレインが叫んでる」

『Delight Slight~』は、[1989年度のアルバム売上年間1位作品。ユーミン初の年間チャート首位となった。本作以降、ユーミン・ブームはバブル期における社会現象となり、バブル崩壊までの3年にわたり年間チャートを制覇し続けることとな]ったという([]はWikipediaからの引用)。1980年代以降のユーミンにとってのエポック作だったと言える。このアルバムのビッグヒットは映画『私をスキーに~』のヒットと無縁ではなかったと筆者は見る。映画公開が1987年11月で、『Delight Slight~』は1988年11月リリースと、その間は1年空いているわけだが、同作のVHSのレンタル開始が1988年3月だったということを忘れてはならない。ビデオレンタル店、華やかなりし頃である。『私をスキーに~』の初見がVHSだったという人は結構、多かったはずである。話題作を半年遅れで家で見た人たちがその影響を受けて、スキーブームにどんどん拍車をかけていったというのが筆者の見解だ。事実、スキー人口がグッと増えたのは1989年からで、本格的なブーム到来は『私をスキーに~』公開から2年後であって、劇場公開後も映画作品がジワジワと人気を集めたと見るのは大きく間違ってないと思う。1987年冬から1988年にかけてスキー熱を高めた人たちが、1988年冬にゲレンデに向かった。道中のBGMは当然ユーミン。これはほぼ当時のマナーと言って良かっただろう。『SURF&SNOW』や『NO SIDE』はもちろんのこと、この年の新作『Delight Slight~』もまた必携のアルバムであったのである。

本作はオープニング、M1「リフレインが叫んでる」のインパクトがとにかく強い。先日放送された『関ジャム 完全燃SHOW』の“松任谷由実特集”において、レギュラー出演者である古田新太が注目していたのも同曲。また、当サイトの『5SONGS』でも、今週は“祝・松任谷由実50周年! 歌い継がれる名曲たち、ユーミンカバー5選”と題してユーミン楽曲を紹介しており、そこに挙げていたナンバーのひとつが「リフレインが叫んでる」であった。それ以外にも、最近ネットに上がっていたユーミンに関するコラムでもこの曲名を目にすることが多かったように思う。同曲に関しては個人的にも少し思い出すことがある。思えばあれは『Delight Slight~』が発売されたばかりの頃。長年の友人から「リフレインが叫んでる」の歌詞のすごさを熱弁されたことがある。どんなシチュエーションでその話をされたのかは完全に失念したものの、その内容は30年数経った今も忘れてはいない。

《どうしてどうして僕たちは/出逢ってしまったのだろう/こわれるほど抱きしめた》《どうしてどうして私達/離れてしまったのだろう/あんなに愛してたのに》(M1「リフレインが叫んでる」)。

友人曰く、“僕”…すなわち男は出逢ったことを後悔し、“私”=女性は離れてしまったことを後悔する。その対比が見事であり、ユーミンの表現力はやっぱりすごい。詳細はさすがに忘れたけれど、そういう内容だった。今になって思えば誰かの受け売りだったのかもしれない。そう考えるのが普通だろう。だけど、今でも覚えているということは、それだけ彼の物言いがアツかったからだし、それによって筆者自身、何か腑に落ちるところがあったからなのだろう。当時その友人も自分もお付き合いしている女性はいなかった。これは間違いない。そんな恋愛の渦中にいるわけでもなかった男ふたりが真剣にユーミンの歌詞について語っている様子は、今となると痛さを通り越して、我ながらどこか神々しさすら感じてしまう話である。それほどに同曲の磁場は強かったということだろう。

ちなみにその友人は現在、これまた某法人で部長に就任している。自分の界隈ではユーミンに影響を受けた人物は概ね出世している。そう思うと、あの頃、ちゃんと聴いておけば…と思うところがないわけではないが、それはともかくとして──。「リフレインが叫んでる」という曲名で、サビは何度かリフレインされながらも、歌詞は単純に繰り返されるわけではないところに、この曲の奥深さがあることは言うまでもない。筆者の友人が当時、指摘したことが真理なのかどうかは知る由もないけれど、ひとつの歌詞の中で男と女の視点を分けてそれぞれの価値観の違いを明確にし、それによってろくに恋愛もしていないようなリスナーにも恋愛の何たるかを考えさせるユーミンの筆致はホントすごいものだと思う。こんなふうに思考を操られるなら、それは決して悪いことではないし、むしろありがたく思うほどである。
バブル景気へのユーミン流の警鐘?

そのM1「リフレインが叫んでる」を入口に『Delight Slight~』を聴き進めていくと、本作のテーマであるという“純愛”が浮き彫りになってくる。アルバムタイトルは、直訳すると“喜びのわずかな軽いキス”となり、激しい劣情とは真逆の恋愛観の象徴ということで間違いなかろう。確かに、M2以降の歌詞はその側面が強い。とりわけ、それをはっきりと言っている感じではないが、単純な純愛ではなく、劣情の果てを感じさせるものや、もしかすると不真面目や怠惰から脱却した先にあったりするもの、ネクストレベル純愛が垣間見える。今回、おおよそ30年振りに本作を聴いて、その辺が気になった。

《通り雨/全てがあなたに見えてしまう街は/どこまで続くの》《バッグを抱きしめて/濡れながら走るのよ/込み上げるような懐かしさをふり切って》《(Nobody Else)あれほど愛せない/No No No No No No/長い苦しみをあなたは知らない》(M2「Nobody Else」)。

《もっとしおらしい娘が似合うのに/どうして私を好きになったの/気まぐれじゃないわと信じたから/どんな努力でも楽しかったわ》《I know I know/私は今なら平気よ/I know I know/あなたが最後に悩まぬように/ふってあげる》(M3「ふってあげる」)。

《思いきりひっぱたいたのは/柄になくこわかったからよ/Love Affairでいいなら他のひとにして/今なら3日だけ泣いて忘れられる》《三日月が綺麗だったけど/おこしましょ リクライニングシート/くちびるが重なる直前わかった/イカシた車でもこの愛は釣れない》(M7「恋はNo-return」)。

《昔のように気やすくされても/私にはもう恋人がいるの I’m so sorry/だから 手のひらだけをあずけて/踊るのはこの曲が最後》《あなたのように身勝手じゃなくて/仕事が出来るおとなの彼なの I’m so sorry/だから 私やさしくなれたわ/嫌いだわ あの頃の私》(M8「幸せはあなたへの復讐」)。

テーマは純愛でも、初恋みたいな話ばかりが出てくるわけではないことは理解している。作者であるユーミンもこの時は30代前半であったし、リスナーのほとんども妙齢であっただろうから、むしろボーイ・ミーツ・ガールのほうがリアリティーに欠けるだろう。なので、そこら辺を指摘したいわけではない。そうではなく、注目したのは、歌詞の主人公の視線の冷静さ、客観性である。『Delight Slight~』のリリースは先ほども述べた通り、1988年。日本はバブル景気の真っ只中である。経済は狂乱状態であって、《イカシた車》が持て囃されたし、スキーもその影響下でブームとなったことは間違いない。流行歌は時代を映ものと言われる。もしこの時代をストレートに映したのであれば、享楽的に浮かれ足だった内容でもおかしくなかったはずである。しかしながら、ユーミンは本作では《イカシた車でもこの愛は釣れない》や《嫌いだわ あの頃の私》と言い切っている。バブル崩壊は1991年3月からと言われているから、ここから3年半は世間の大半は完全に浮かれていた時期に…である。

[サウンド面では前作に引き続きシンクラヴィアを多用するなど、このアルバムでは打ち込み主体になってきている]と言われる本作([]はWikipediaからの引用)。ギターのカッティングが冴えている楽曲も多いし、ブラスの鳴りもいいし、パーカッションにも躍動感がある。しかしながら、打ち込み特有というか、1980年代ならではの音の固さ、ドンシャリ感が際立っていて、今、聴くと時代がかっていることは否めない(この度のベスト盤では、オリジナルマルチよりリミックス&リマスタリングしているというから、松任谷正隆プロデューサーはその辺を分かっていらっしゃるのだろう)。ただ、それにしても、当時の最先端のレコーディング方法を導入した点はトップアーティストの面目躍如たるものであっただろうし、そこは流石だったと言える。それ以上に称えられていいのは、バブル景気の狂乱の最中、ユーミン自身の音楽もブームとなっている渦中で、そこに迎合することなく、純愛をテーマとしたところにある。優れたアーティストは未来を予見すると言う。『Delight Slight~』は、ユーミンから日本社会への警鐘であったのではなかろうか。
TEXT:帆苅智之
アルバム『Delight Slight Light KISS』
1988年発表作品

<収録曲>

1.リフレインが叫んでる

2.Nobody Else

3.ふってあげる

4.誕生日おめでとう

5.Home Townへようこそ

6.とこしえにGood Night(夜明けの色)

7.恋はNo-return

8.幸せはあなたへの復讐

9.吹雪の中を

10.September Blue Moon


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