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SION – Key Person 第25回 –

SION (okmusic UP's)

自分で歌を書くようになってから 音楽を好きになった

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』。第25回目はデビュー37年目になるSIONが登場。音楽に出会うまでの日々や初めてギターを弾いた日のこと、デビューのきっかけとなったエピソードなど、彼らしく冗談を交えながらも、ありのままの言葉で語ってくれた。
SION
シオン:1960年生まれ、山口県出身。85年に自主制作アルバム『新宿の片隅で』で衝撃的にデビューし、86年には『SION』でメジャーデビューを果たす。その独特な歌声、ビジュアル、そして聴き手の心に深く刺さる楽曲の数々は、日本のミュージックシーンにおいて唯一無二の存在。多くのアーティストから敬愛されるミュージシャンズ・ミュージシャンであり、SIONをリスペクトしているミュージシャン、俳優、タレントには枚挙にいとまがない。長年培った充実したライヴパフォーマンスには定評があり、年齢、性別を越えた幅広いファンに支持されている。
拓郎も陽水も弾けなかったけど 自分で歌を書けば弾ける

──SIONさんがギターを始めたのは14歳の頃だったそうですが、当時はどんな少年でしたか?
「女と酒と…ここに書けないことばっかりだよ。音楽のことなんてまったく考えていなかったよね。おっぱいと喧嘩のことばっかり(笑)。」
──楽しく過ごしていましたか?
「小学校の低学年の時に、初めて家族に“旅行だよ”って言われたんだけど、置いて行かれたんだよね。俺は右手にちょっと不自由があって、“初めての家族旅行だ!”って喜んで行ったところが障害者施設だった。で、俺を置いてお母さんもお姉ちゃんも弟も帰ってしまうという。爺ちゃんが駅のホームに見送りに来て、汽車が出る時に顔をくしゃくしゃにして泣くのを堪えていたんだよね。“なんでだろう?”と思ったけど、あとになって“そっかぁ”と。その施設がしんどくてね、“何だ、これ?”って。そこでの生活に一生懸命に対応しようとしたけど、やっと慣れた頃にまた家に戻されて。俺をそこに置いてきたことに良心が痛んだのかな? またもとに戻ったから、俺は遊びながらもずっと頭の半分では違うことを考えていて…すごく暴れていたけど、何か暗かったと思う。」
──言いたいことを言う場はなかった?
「うん。それに、全部を誰かのせいにしやすい年頃ではあったよね。学校に対しての不満も、大人に対しても。どんなに時代が変わっても、人にはそういう時期があるんだと思う。でも、親に食わせてもらっているのに偉そうなことを言うのはカッコ悪いと思って、わりと早くに独立したんだよ。この世界ってヒモになる人が多いけど、俺はそういうのが昔からダメなんだよね。女の子と行ったら飲み食いも遊びも払うのは当たり前で、お金がない時には“また今度ね”なんて言って誤魔化したり(笑)。」
──周りの人とのギャップも感じていたんですね。
「そうだね。中学2年の時、女の子に“教科書を貸して”と言われて貸したんだけど、俺がいつか“右手が治りますように”って書いていたみたいで、返してもらった時に“これ見られちゃったかも”って恥ずかしくなったから、その子の背中に冷たい手を入れてやった(笑)。40歳の時に一回だけ同窓会に出たんだけど彼女はそれを覚えてたよ(笑)。俺は他の人よりも腕一本分の強さを持っているけど、あるもので生きているというか。ひとりで暮らし始めた16歳の頃から、“あれがない、これがない”じゃなくて、“これがあるじゃん”と思うようになった。“あの手この手”って言うのかな?(笑)。」
──SIONさんは音楽をやるために上京されましたが、音楽を好きになったきっかけは何だったんですか?
「俺の周りにあった音楽はテレビに映っている演歌とかアイドルとかグループサウンズで、親がジャズとかブルースを聴いていたから~なんていう時代でも環境でもなかったからね。学校に吉田拓郎とか井上陽水とか泉谷しげるの歌詞とコードが載っている雑誌を持って来ている人がいて、その雑誌とギターを借りてやろうとするけど弾けない。じゃあ、弾けるコードはあるかとやってみて、なんとか3つばかしあった。拓郎も陽水も弾けなくて悔しかったから、自分がなんとか弾ける3つのコードで歌を書けばええじゃんって。そこから始まった。“俺は俺の歌を書けば弾けるじゃん!”って(笑)。だから、音楽を好きになったのは自分で歌を書くようになってからじゃないかな? 東京に来た頃には好きなミュージシャンを訊かれたら、カッコつけてボブ・ディランとか言ってたけど、拓郎さんも好きだったし(笑)。でも、やっぱトム・ウェイツ、ボブ・ディラン、ニール・ヤングは今でも新しいアルバムが出たら買います。」
人が嬉しいと 自分も嬉しくなっちゃう

──SIONさんには孤高なイメージがありますが、自分を引っ張ってくれる存在はいましたか?
「山口で一緒だった歌唄いが東京に住んでいて、上京前に“俺も東京に行こうと思うんだけど、ひと晩泊めてもらえますか?”って訊いたら、とりあえず中野まで来いって言うから向かったの。中野駅からバスに乗って、哲学堂公園っていうのがあるんだけど、その人が“ここが後楽園球場だよ”って言うから“おぉ~、ここでジャイアンツがやるんだ!”って(笑)、草野球がやるくらいの大きさだからそんなわけないんだけど、その時は夜で照明も点いてるから信じちゃって(笑)。結局ふた晩くらい泊めてもらった。でも、特に誰ともつながりはないかな? 飲みに行くのも、どこかをブラつくのもひとり。デビューしてツアーをするようになると打ち上げがあるんだけど、今はないけど当時は必ず最後はどこかでひとりで飲んで、ひとりで帰ってくる。なんか暗いんだよね。」
──孤独に感じることはないんですか?
「人より少ないからなのか、人より何かが多いからこうしているのか…アルバムを作ったら誰かにレコメンドを書いてもらったり、誰かと対談をしてって言われてきたんだけど、全部嫌だったんだよね。申し訳ないけど、なんか悪く感じて。16、7年前だったかスタジオで福山雅治がリハーサルかなんかをやってたようで、そこに前に福山を担当してたプロデューサーが顔を出したら、福山が“今SIONさんレーベルないんだよね。俺、何でもやるから一緒にやってあげてよ”って言ってくれたことがあって。福山、いい奴でしょ? それでシングル(2005年6月発表の「たまには自分を褒めてやろう」)を一緒にやって、『東京ノクターン』(2005年6月発表)っていう気に入っているアルバムもできた。そう、孤独ではないですよ。リハか本番でしか会わないけどいい音仲間もいるし、楽しい呑み仲間もいるし、そして猫がいる!(笑) っていうか、ほとんどの人は基本的に暗いんじゃないんかなぁ?」
──でも、「諦めを覚える前の子供みたいに」(2015年3月発表のアルバム『俺の空は此処にある』収録曲)で《人の事はどうだっていいと言いながら/人がいるから今日までこれたかな》と歌っているみたいに、SIONさんは人のことを嫌っているわけではないんですよね。
「そうだね。人のことが好きだから嫌なところを見たくないのもあるけど。最近は住宅街に引っ越して、“お前は住宅街に住んじゃいけねえ!”とか言われたんだけど(笑)、外で子供たちがキャッキャ言いながら遊んでいる声が聴こえてくると嬉しくなっちゃうんだよな。ハァ〜って救われる。大きいカッパを着た兄弟が手をつないでいるのとか、よっぽど腹が減っているのか、駅のホームでOLさんが立ったまま、でも美味しそうにおにぎりを食べているのとか、人が嬉しいと自分も嬉しくなっちゃうんだよ。そういう日はいい気持ちで帰る。人が好き、人が嫌い、ひとりが好き、ひとりが嫌い…っていろいろ歌っていて俺は面倒くさい人だから、できるだけひとりでいようと思うけど。」
──デビューシングル「俺の声」は1986年6月に発表されていて、私は1995年生まれなのでリリースからは時間が経ってから拝聴したのですが…
「暗かった?(笑)」
──デビュー曲は最初に自分の存在を知ってもらう作品ですが、その時から苦労が滲むような、そのままの自分を露わにする曲をリリースしている人がいるのかと驚きました。
「当時の周りの人がこれがいいって言ったからね(笑)。でも、それはトム・ウェイツのデビューアルバムにも似ているかもしれないね。“デビューアルバムなのに“クロージング・タイム”ってタイトルなんて”って。」
──SIONさんにとってのメジャーデビューはどんな出来事でしたか?
「めちゃめちゃ嬉しかった。最初は音楽のために上京したはずなのにバイトと遊びばっかりで、ふと“俺って何しに東京に来たんだろう?”と気づいて、レコード屋さんからレコード会社の住所を教えてもらって、曲を聴いてほしいって売り込みに回ったのが1981年くらいの時だったんだけど、それから一年後に声をかけてくれた人がいたんだよ。普通はテープを渡しても“聴いておく”って言いながらポイッと捨てられちゃうことが多いんだけど、その人はテープを持って会議室に連れて行ってくれてさ。それをラジカセで聴いていたら、途中で電話がかかってきたんだよ。“なんだ、こいつも聴いてくれねぇや”って思ったんだけど、その人は電話が終わったらテープを巻き戻したの。で、“ストックは何曲あるの?”って訊かれて、“50曲くらい”と答えたら、“もう他に行かないでね”と言われて。すごく嬉しかったね。それでデビュー前からラジオ番組をやらせてもらったけど、あれは大不評だった(笑)。もともとアイドルがやっていた時間に入ったから、“何でこの時間にお前みたいな汚ねえ声のひとり言を聞かなきゃなんないんだよ”って苦情の葉書が届いたり(笑)。飼っていた金魚が死んで、埋めようと思ったけど東京には土がないって話をして、まだレコードになっていない自分の曲をかける…っていうだけの番組だったんだけど、確かに“知るかそんなこと!”ってなるよね(笑)。でも、デビュー前からそんな経験もさせてもらってラッキーでしたよ。」
デビューしてから今も やっていることは何も変わってない

──今はデビューから30年以上経っていますが、デビュー前は家もないのに路上ライヴをやっていたというエピソードも拝見して…
「いやいや、そんなことはないんだよ。俺はね、山口にいた頃からバイトをして、新幹線に乗って東京に来たんだから。潰れかけのスナックの裏だったけど、ちゃんと家も借りていたし。それをあとから山口から東京まで歩いて来たとか、虫を食って暮らしていたとか、神田川に何日か浮かんでいたとか(笑)、イメージでめちゃくちゃな話がいっぱいあるんだよね。」
──そうだったんですか!?(笑) 失礼しました。30年経って何が変わりましたか?
「デビューしてから今もやっていることは何も変わってない。仕事で歌を書いていないからなのか、無理して良く見せても自分は出ちゃうし。一年に十何曲くらいは書くだろうけど、それはずっと昔からやっていることで、それが生活の中心だから変わりようがない。」
──SIONさんは初めて曲を書いた時から、ご自分のことを歌っていたんですか?
「初めて書いた曲は「クミちゃん」みたいな曲だった気がするけど、“なんとかヤラしてくれないかな?”って歌詞だから、それからは変わってるよ(笑)。まぁ、今も「休みたい」とかちょっとふざけた曲も書くから、根本はずっと変わってないかもしれないね。俺は好き勝手にやって、チャンスをピンチに変えてしまうプロだけど、それでも音楽を続けられているのは、俺の歌をまだ聴きたいと思ってくれている人がいるからで。そこがツイているのかな? 今のところ6人くらいいるんだよ。」
──もっといますよ!(笑) チャンスをピンチに変えてしまうくらいのSIONさんでも“もうダメだ”と思ったことはありますか?
「毎回ダメだと思っているよ。35歳くらいからしっかり立ち上がっていないから、“もうダメだ”って落ちても、ちょっと膝立ちくらいで立ち上がったことになるんだよね。そんなに高いところを目指していないし、年齢のせいにしちゃいけないんだけど、いろんなことが全部億劫になってきた。草笛光子さんが“老いとは億劫との戦いです”っていいことを言っていたんだけど、確かに面倒くさくてね。そんな面倒くさがり屋が、今書いている歌のフレーズをどの楽器にするか悩んでいたり、“この歌詞がな~”とか言っているのもまた面白いよね。」
──その35歳には何があったんですか?
「84年くらいに初めてニューヨークに行った時、周りの人にニューヨークにすごく合うって言われたの。たぶん俺に必要だと思うって言っていたんだけど、結局その時に英語を勉強しなかったんだよね。それは必要なかったからだって当時は思っていたんだけど、俺にはその努力が足りないんだよ。“どうして勉強しなかったんだろう?”って、自分にがっかりした。“小さい頃からこの右腕が上がるって思っていたら上がっていたのかもしれない”っていうくらいに頑張り方が足りなかった。それを35の時に強烈に感じたかな?」
──最後にSIONさんにとってのキーパーソンをおうかがいしたいのですが、思い当たる方はいらっしゃいますか?
「いない。誰ともつながりたくなかったからね。でも、爺ちゃんの歌はすごく多いんだよ。親とは話したいと思わないけど、爺ちゃんには話したいことがたくさんある。今、戦争をやってるでしょ? うちの爺ちゃんは若い時にシベリアに行っていて、写真を見たら大砲を引っ張ったりしていてね。“人を殺して褒められることに参加するってどういう感じなんだろう?”とかさ。戦争じゃなかったら死刑になっているところを、その時は殺せば殺すほど褒められて、勲章をもらって、捕虜になって、帰国したら、絶対だった天皇が負けを認めて…もっと話が聞きたかった。でも、たまに狂ったように暴れたのはそのせいかと思うと、やっぱ聞けないね。一緒に縁台に座ってまた西瓜を食べたり、焚き火で芋を焼いたり、干し柿を作りたいなぁ。会いたいなぁ。そう考えると、俺のキーパーソンは爺ちゃんなのかもしれない。」
取材:千々和香苗

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